2009年から2016年まで、約7年半をかけて自転車で世界一周を達成した小口良平さん。帰国後は地元の長野県で、サイクルツーリズムを中心に地域の魅力を発信し続けています。157か国、15万5500キロメートルを走破した「冒険野郎」でありながら、その実、地元愛にあふれる穏やかなローカルプレイヤーの人物像に迫ります。前編となる本稿では、「世界一周ツーリング」の思考に至るまでの経緯を語ってもらいました。
目次
冒険の原風景は少年時代の諏訪湖サイクリング
自転車で世界一周をしたというと、クレイジーで破天荒な人間だと思われがちですが、実際の僕はごく普通の人間です。あの冒険のきっかけは何だったかと振り返ってみると、大学時代の就職活動だったと思います。
当時は就職氷河期と呼ばれた時代。そのなかで、僕はモラトリアムの時期をたっぷり謳歌していました。大きな目標やなりたいもの、やりたいことを得ようと思っていなかった。「就職できたらラッキー」くらいの感覚でぐるぐると思いを巡らせていたとき、ふと故郷の諏訪湖が脳裏に浮かんだんです。
諏訪湖は1周16キロメートルほどの湖で、子どものときに兄と一緒に自転車でまわったことがあるんです。僕が8歳ぐらい、兄は11歳ぐらいだったと思います。親に黙って諏訪湖を一周するんだと。子どもにとっては大冒険ですよね。
あのときの世界が拓ける感覚! 自転車だから感じる空気感、鳥の鳴き声とか、草花の香り、自然の音や匂いと一緒に、「いつも車で行っていた親戚のおばちゃんの家はこんなに遠かったんだ」と気づきます。あの日の僕は挑戦心と興奮に満ちていた。この原風景が心の奥底にずっと眠っていたのでしょうね。大学生の僕の心にあの「飛び出したい」という気持ちが湧き上がったんです。
当時は東京の板橋に住んでいたのですが、あの頃と同じように自転車でどこかに突き進んでみようと、ふと思い立ったんです。諏訪は温泉が有名なのですが、そのイメージとリンクしたのか、思いついたのは箱根でした。駅伝で走って行けるぐらいだし、自転車なら簡単だろうって。
汗と涙は人のために。見ず知らずの おばあちゃんがくれた言葉
普段使いのママチャリにぺットボトル1本だけを持って、首にはタオルを巻いて夜中にそのまま走り出しました。ずっとサッカーをやっていたので、体力には自信があったんですよね。でも自転車に長時間乗り続けるのはしたことなくて。5時間もすると身体が悲鳴をあげました。膝も痛い、腰も痛い、もちろんお尻もすごく痛い。朝になって神奈川県の湘南の海までは出ましたが、それでも箱根までは半分残っている。コンビニの駐車場で寝っ転がりながら「俺、なにしてんだろう?」って思いました。
「ザ・精神不安定」な若者をやっちゃってましたよね。今までの自分の人生を思い返しながら、ずっとサッカーをやっていたけどサッカー選手にはなれないし、法学部だったけど弁護士にはなれなかった。こうやって自転車で走り出したのはいいけれど、それすらできないんだなって思ったら自分がもう情けなくなってきて。そもそもチャレンジせず諦めてきた人生だったなと泣けてきました。
ちょうどそのとき、コンビニの駐車場でひとり泣く僕を見て近所のおばあちゃんがお茶を買ってきてくれました。「泣いてる理由はよくわからんけど、汗と涙は人のために流すもの。自分のために流す涙は、今日で最後にすんだよ」って励ましてくれた。これがターニングポイントになったと思います。単純に、おばあちゃんが見ず知らずの僕に優しくしてくれたことにすごく感動したし、これまで自分は他人に無関心だったと気づいた。だから自分も他人に対して優しくなれる人間になりたいって強く思ったんです。
他人に優しくできるようになるには余裕が必要で、その余裕を生むには自分に自信を持つことが大切なのではという考えに至り、強い自信につながる確かな経験こそが今の僕に必要なことだと気づいたんです。だから、今諦めたらいけないと思った。とりあえず、箱根には行こうって。足も膝もいたいけど、ここは進まないといけないと。
結果、箱根までたどり着くことができました。帰りも同じように、駐車場で寝泊まりしながらなんとか板橋まで帰りました。この経験が、すごく大きかった。初めて自分で決めたことを、自分の力でやり抜いたと思えたんです。思考がクリアになったのか、就職活動もうまくいって、無事就職先も見つかりました。
バックパック旅行で得た、新しいルールブック
僕の人生でもう一つ、価値観の変革になったのが大学の卒業旅行でした。それまで一度も海外に行ったことはなかったのですが、友人の影響もあってバックパックひとつでチベットに行くことにしたんです。チベット旅行でのカルチャーショックは数えきれないほどですが、なかでも特に深く心に刻まれた出来事を紹介します。
自分の人生に必要だから、ただやる
チベットの仏教徒が行う五体投地ってご存じでしょうか。文字通り、五体を地面に投げ出し大地に這うように聖地を目指す巡礼方法のことです。
まるでしゃく取り虫のように大地にひれ伏して起き上がり、また地に這ってを繰り返し、信じられないほどの時間をかけてやってくる。大地に伏す際、地に額をつけるから額に血豆ともタコとも言い難い、アザのようなものができていました。
単純に「なぜ?」と思いました。額のアザは痛々しいものではあったし、ここまでやることに何の意味があるんだろうって。思うままに彼に質問すると「意味や結果なんか求めていない。社会的には価値がないかもしれないけど、自分の人生には必要だからやるんだ」って。
その瞬間、自分の中でいろんなものがパーンと弾けたようでした。今まで自分は日本の社会でとても我慢していたんだ。何らかの意味を見出そうとして窮屈さを感じていたのだろうと。他人に迷惑をかけなければ、なんだってチャレンジしてもいいということを彼らから感じたんです。
また同じように、旅の道中ではこれまでの自分になかった多くの価値観に触れました。日本からそう遠くないチベットという地で、僕らと同じモンゴロイド系の人々がまったく違う生き方をしている。日本とは180度違う価値観や文化、地に足の着いた生き方に触れた経験こそが、後の自転車世界一周のモチベーションにつながったのだと思います。
この旅を通じてガラガラと自分の常識は崩れ落ち、殻を破るというよりも殻自体が壊れていく感じがしましたね。世界には200か国もあるのだから、その200のルールを見てから自分の生き方を決めてもいいんじゃないか。そう思ったんです。
─── そうして小口さんは2007年3月から約1年、自転車で日本一周を達成。さらに翌年2009年3月から、約7年半にわたる世界一周の自転車旅に出発します。
2016年に世界一周から戻った小口さんは現在、「自転車×地域創生」をテーマに長野県の辰野町を中心に、諏訪地方、上伊那地方で幅広い活動をしています。何を人生の軸に据えて活動しているのか、
続きは後編で ───。
取材・文 : 市 奈穂(いち なほ)
編集者・ライター。ウェディング・女性向けサイトを経て、現在では主にアウトドアメディアで編集者として活動中。ロードバイクでソロキャンプに出かけるのが一番の楽しみ。https://www.instagram.com/ichi_naho_photos/