「実践人口」を増やすための合言葉が「やってこ!」である。「やってこ!」が世代を超えたつながりを生み、ローカルをおもしろくする。憂鬱を乗り越えて次の「やってこ!」へ。
憂鬱な時間が残酷に流れていく。本連載で「実践人口論」を唱え始めて約2年。思想の根っこには、ヒップホップで学んだ”現場主義“の考え方が染みついている。
現場主義とはなにか? ラッパーにとってのライブステージであり、実際に顔を合わせたコミュニケーションから発展する情報交換であり、その連続性から生まれた作品をリリースすることだ。これはヒップホップに限った話ではなく、ビジネスシーンにも通ずる。『京セラ』から『KDDI』の礎を築いた偉大なる経営者・稲盛和夫も”現場主義に徹する価値“を問い続けていた。現場は課題を解決するヒントがごろごろ落ちている宝の山である、と。
隠居スタイルの反動
そう、ステイホームを余儀なくされたここ数か月は、私自身の生き方を常におもしろく導いてくれた現場の感覚からはほど遠いのである。ダイナミックな働き方から一転、自宅で庭いじりにしむ隠居スタイル。土はいいぞ、土は。家庭菜園とガーデニングで植物を愛でて、毎日の成長を微笑ましく見守る。
いや、これはこれで望んでいた世界だけれど、実際にそれだけ続けていくと身体がいてくる。毎日、どこかに旅したい衝動に駆られては耐えているんだよ、こっちは……。骨身にまで染みついた現場主義は、身体を実際に移動させたその先にあるんだよ! ローカルに転がる宝の山を掘り当てて、おもしろく、わかりやすく、一人でも多くの誰かに伝えたいんだよ!
知らない人と会って、知らない居酒屋で、知らない酒を飲む。翌日は二日酔いで身体はボロボロだけれど、疲れを引きずった身体にこそ温泉は最高なんだと気づく。定期的に訪れているコンクリートジャングル・東京で過ごす時間や煩雑な人づき合いのストレスを抱えるからこそ、大自然の四季折々の色艶が心を満たす。そのどれもが現場だ。正反対にある価値観を交互に行き来することで、実践者としての理想が作られてきたんだなぁ、と人類史に刻まれる未曾有の事態に陥って痛感している。
全国の現場に飛び立つための羽はバッサリともがれた。宝の山はいまこの瞬間もあちこちに転がっている。むしろ、危機に瀕した土地にほど宝は生まれるのだとしたら、くそったれなステイホームほど憂鬱なことはない。
両手で握りしめる仕事の尊さ
経営者になって4年目。まだ社員は2名しかいない会社だが、全力で協力してくれている仲間が大勢いる。
元々、ビジネス書で語られるようなマネジメント論にあまり興味がなく、現場主義者にできることは「おもしろい現場を用意して、若手に任すこと」だと思っている。しかし、会社規模を大きくすべく仕事を増やすと、現場主義者にとって非常に厄介なジレンマが発生するのをご存じだろうか?
ラッパーのようにかっこいいひとつの作品を作ればOKではなく、売り上げを確保するための商業的な仕事を複数抱え持つことになる。会社としては大歓迎。売り上げがあれば、キャッシュがあれば、危機的状況を乗り越えられる。ただし、手間のかかる現場が複数になったとき経営者は、プロデューサー的な役割に甘んじてしまうのだ。ようこそ、いらっしゃいませ。”憂鬱“の沼へ!
信頼できる仲間を頼り、次世代を担う若手を育てつつ、売り上げを確保する。気づけば心躍るような現場仕事から距離を置き、事業が安定すればするほどに考え事が増える虚しさときたら……! 私は、いや俺は……。一生手放したくないような、両手でギュッと握りしめるような仕事をしたいんだよ。いまこの瞬間、指の隙間で複数の現場を掴み、情熱と好奇心を細かくちぎって、スキルやノウハウの切り売りをしているような感覚があって怖い。いっそ全部手放したら両手が空くことも知っているが、自分の意思だけではどうしようもないし、売り上げがスコーンとなくなったらそれはそれでネガティブな憂鬱が生まれるだろう。
止まない雨はない。現場主義者の憂鬱もいつか晴れる。ポジティブな感情の揺れだと捉えて、次の「やってこ!」に備えてエネルギーを溜めていたい。