白黒つけられない地域の色こそ、「地味」に魅力的。
微遍路がスタートして1週間ほど経とうとしている。毎日疲れ果て気絶するように眠るが、朝にはすっきりと回復していて、身体の調子は普段よりむしろよい感じだ。さて、本日向かうのは福井県を代表する観光地・東尋坊のある海岸線。ここは大きく囲うと「三国」というエリアに含まれるが、正確には坂井市三国町安島という地域になる。三国の市街地から10キロメートルほど、日本海を横目に歩いて行くが、いつの間にかまったくの異世界に入り込んだように思える。
まずはここならではの方言。「我々の言葉は朝鮮の言葉に似ているからね」と地元のおばちゃんも言うほど、福井人、さらにお隣の三国の人でも聞き取ることができない。地理的な近さもあるが、もともとここに暮らす男性のほとんどが外国船で働き、女性は海女さんをしながら家を守っていたという地域性もあって、方言にもその影響があるようだ。道中は地元にIターンしてきた海女さんから、ここならではのワカメやウニなどの海産物をつまませていただきながら談笑したり、三国にある島・雄島に鎮座する大湊神社の神主さんと一緒に島を巡ったり、それはそれは貴重な体験が歩くことで可能になり、魅力的な出来事や人とたくさん出会えた。
これまでも「東尋坊」というスポット(点)へ車という、言わば“瞬間移動”を使って訪れてきたが、歩くことで地域という面、そしてその面と面が連続するグラデーションを捉えることができた。点だけだと違いを感じられず、自らの頭の中でも「三国」というわかりやすい大きなカテゴリーにこの安島を収納していたことに今となって後悔する。
この安島に限ったことではないが、地域の色は本来白黒つかないわかりづらいもの。ある2色の間には無数の色が存在する。地域もそうだ。“地(土地)の味”と書いて「地味」と書く。地域の色や魅力って白黒でバシッと言えない。それをわかりやすく効率的に感じよう、感じさせようとするから、出合えるはずの魅力的なものや人との接点を遠ざけてしまうのだろう。
移民が豊かに暮らす、かつての国府のまちを行く。
越前和紙の里がある越前市今立地区から、越前市の中心街(旧・武生市)へ向かう。なんと私のことを地元の新聞で知った70代ほどのご夫婦から新聞社の方に「武生に寄る際一報ください」という連絡をいただいたそうで、お言葉に甘え、いただいた住所へ向かうことに。
天気が悪いせいか今立からは結構な距離を感じる。途中チェーン店が立ち並ぶ国道が見えてくる。私にとって武生はいつも車で通るまさにこの国道からの景色こそ武生であり、到着したのだと勘違いをしてしまう。実はここから旧・武生市内まではまだ距離があり、急ぎでご夫婦のお宅へ。どこの馬の骨かもわからない自分に対して「初めまして」とは思えない温かいお迎えに、冷たい雨で凝り固まった身体も一気にほぐれた。
旧・武生市は古き良き建物や商店街が残る素敵な街並みで、かつて越前国の中心として国府が置かれていたところ。一方、ここ武生は移民の受け入れに積極的なまちで、特にブラジル人やフィリピン人など外国人の割合は総人口の約5パーセントと福井県のどの地域よりも高く、街中を歩くとポルトガル語をはじめ外国語の看板も多く、ある地域の回覧板は2か国語併記という話も聞いた。なぜ武生なのか。ここに移り住む外国人からすると東京などに住むよりも生活水準を特段に上げる必要がなく、しっかり共働きをし、マイホームを購入して、余ったお金は故郷に仕送りもでき、さらに地域にすでにいくつかのコミュニティも存在し、安心して豊かに暮らせる。実際、地元住民とは共存までに数々の摩擦もあっただろうし、時間もかかったと思う。その半面、地元の中小企業やまちの賑わいは彼らのおかげで成り立っている部分もあるはずだ。
移住の延長線上に移民はある。まちを愛し、豊かにする人は決して日本人だけに限らない。そこに国籍で白黒つけられない。異色なものに対して、その摩擦をめんどくさがり、わかりやすさや、スピーディさばかりに気を取られてしまうと本当の豊かさが手から落ちていく。一見非効率なことにこそ豊かさがあり、そんな“負荷”価値を求め、また次のまちへと歩いていく。