正月に玄関先へ飾る正月飾り。正月飾りといえば、しめ縄や門松、鏡餅が思い浮かぶ。だが、しめ縄、鏡餅は飾っても門松までは飾らないという家庭が、若い世代を中心に年々、増えているのだ。そんななか山梨県ではある風習がもととなり、年齢問わず多くの家庭で門松を飾っている。
答え:門松ポスター
答えは門松ポスター。門松ポスターとは門松がポスターに描かれているものを指す。スーパーやホームセンターで100円前後で手に入るほか、多くの自治体で回覧板とともに1家庭に1枚配られる。飾り方はいたって簡単で、門松ポスターを玄関の扉にペタッと貼るだけ。山梨県では非常にポピュラーで、マンションやアパートにも貼られ正月には門松柄のポスターがズラリと並ぶ姿が見られる。
なぜポスター?
なぜ山梨県でこのような風習があるのかというと、太平洋戦争時が行われていた1945年7月6日~7日の間に、甲府市を中心とした都市が空爆を受けたことがきっかけ。戦後復興する上で、竹を切らずに戦争でダメージを受けた山を保護しようという動きがあり、門松自粛が山梨県全域で広がったと言われている(諸説あり)。今日まで続くこの風習は、理由を知る人は減っているものの、山梨県民の正月風景として根強く残っている。
この風習は東京都、神奈川県、長野県、静岡県と、山梨県を取り囲む県では行われていない。しかし、門松ポスターではないが「門松カード」「紙門松」などと名前を変えて行う都道府県もあるようだ。また、山梨県でも近年では時代の変化により、配布を止めて市町村のHPからダウンロードする形に移行している地域もある。
「武田流門松」を飾る家庭
ちなみに山梨県では竹のてっぺんが平らに切られた「武田流門松」を飾る家庭も少数派ではあるが存在する。武田流門松とは何か、起源は戦国時代にさかのぼる。
1572年12月、三方ヶ原の戦いで徳川家康が武田信玄に敗れた年の正月、武田信玄は徳川家康に「松枯れて 竹たぐひなき あしたかな(※1)」という句を送った。それを受け取った徳川家康が武田信玄の首を切り落とすように竹を切り、それを飾り付けた門松と「松枯れで たけだ首なき あしたかな(※2)」という句を武田信玄のもとに送り返したという歴史がある。
以来、甲斐の国(山梨県)では竹を斜めに切る=武田信玄の首を切るという意味として竹の節を平らに切るようになった。このため、武田信玄没後、徳川家が繁栄とともに竹を斜めに切る門松が全国に広まったものの、山梨県ではこの武田流門松が根付いている。
戦争で受けた地域を思いやった門松ポスターと、武田信玄をはじめとした甲斐の国を思う武田流門松。地域を思いやった門松の文化はすたれることなく、今後も山梨県の風習として残っていくのだろう。
※1:武田家が戦に勝利したからには、松平家(徳川家)の首を討ちとり繁栄するだろうという意味
※2:松は枯れず、必ずや武田信玄の首を落とし繁栄するという意味