アーケードの中、ひときわ明るい一角があった。小屋風のカフェの奥には、緑茂る自然木が植えられている中庭。屋上でのんびりコーヒーを飲んでいる人もいる。ここが現在の『オモケンパーク』なのだが、まずは、ここに至るまでのストーリーから。
ここ数年、広場や公園、空き地の利活用がおもしろい。管理が行き届かず、暗く汚いイメージであったそれまでの公園がリノベーションによって区民の憩いの場となった東京都豊島区の南池袋公園しかり、都心の一等地にありながら、個性的な体験型イベントやライブなど、さまざまな試みを取り組む銀座のソニーパークしかり。公共空間、半公共的な空間・空き地の可能性を、行政や企業が模索する時代。それを自らが受け継いだ土地で試みた人が熊本県にいた。本記事の主人公、面木健さんだ。
熊本地震で被災したビルを、あえて「再建」しない選択。
2016年4月の熊本地震により大きな被害を受けた熊本市。家やビルの多くは建て替えを余儀なくされた。熊本城近くにあるアーケード、上通商店街にあるオモキビルが面木さんの実家だった。100年前から続いた木造の建物は、熊本地震で甚大な被害を受けた。
普通ならそこで建て直す、もしくは改修して使い続ける選択をするのだが、面木さんが選んだのは更地にし、広場として活用すること。芸術や食、スポーツをはじめとした熊本の文化的資本、魅力を伝えていきたい、さらにはコミュニティを軸にした、つながりや賑わい、そういうものを見せたいと、さまざまな「社会実験」を始めることを決意する。
市民に愛される『オモケンパーク』へ。
例えば、「建てない建築家」であり、小説家の坂口恭平さんとともに『モバイルハウス計画in上通 〜建てずに都市を変える〜』というイベント。熊本地震で出た廃材を用い、モバイルハウスを製作したり、広場に植栽を行ったりするなど、アーケードの中にビルではない、新たな空間の価値を提案した。解剖学者であり数々の名著の著者である養老孟司さんを招いてのトークイベントも行い、「都市に森をつくる」をテーマに、商店街における緑の必要性をみんなで考えた。このほか、熊本現代美術館と連携してアート作品を屋外展示したり、市内に点在する古着店に声をかけ、「古着フェス」なども開催したり。
いつしか広場は、面木さんのニックネームである「オモケン」を冠した『オモケンパーク』と呼ばれる遊び場になっていた。
「こういうものを通して、『建物がなくてもワクワクすることはできるんだ』っていうのが、やってみた実感でした。建物がなくても場はつくれると。ただ、広場のままだと、常時利用できないなど、いろんな問題があったのも事実。およそ1年半、この場所で得た解をもとに、その上で、場づくり、建物づくりを考えていった、というのが、現在の建物を造るまで流れですね」
『オモケンパーク』ができるまで。
『オモケンパーク』に建物が完成したのは2019年7月。「建てない」選択と、数々の社会実験を行ってきたオーナー・面木さんの想いを、いかにリアルな建築へと昇華させたのか。設計を担当した建築家・矢橋徹さんとの対話です。
ソトコト編集部(以下、S) お二人の出会いはいつ頃だったのでしょう?
面木 健さん(以下、面木) 矢橋さんとは、坂口恭平さんのプロジェクトで、実際にモバイルハウスの大工として参加されたのが初めての出会いでした。こういうアウトプットができたのは矢橋さんのおかげ。ありがとうございました。
矢橋 徹さん(以下、矢橋) 面木さんとは「一発ホームランを狙ってアイデアを出し合う」という感じではなく、「細かくヒットでつないで」みたいな、そういう打ち合わせの風景だった気がするんですよね。
S ヒットでつないでいく?
矢橋 今回のプロジェクトに関して、まず没案がなかったんです。ずっと線形でつながったみたいな。少しずつ積み上げていく設計のやり取りをしていけたんです。クリエーションにおいて、面木さんは、僕的にはかなり近い感覚の持ち主で、言葉やニュアンスを共有しやすかったです。
S 詳細なオーダーがあったということですか?
面木 いえ。僕はこの場所への想いを伝えただけ。ここでなにをするか決まっていなかったですしね(笑)。
矢橋 空間の成り立ちみたいなもの、この場所で行われてきたさまざまな社会実験から得た答えを、少しずつ積み上げていった結果が今の空間になったと思っています。この、ある意味で街の中の谷底みたいな、風が抜けるすばらしい環境を、いかに建築によって倍加したり、強調したり、人を呼ぶためのメディアになったりとか、そこに注力して考えたんですけど、やっぱり過程においては、面木さんとのなにげないやりとりが、大きかったですね。
面木 「小さいものを造りたい」というのはありましたね。恥ずかしながら、絵を描いてみたり(笑)。
矢橋 僕も、もともと小さい建築に興味・関心があって。しかもそれが、街の中で展開できるのが今回の案件。建築家としての欲求をまさぐられた気がして、おもしろそうな直感もありましたし、そんなことをやろう
としている面木さんという人間にも興味があったんです。ここに小さい建築を造って、場を生み出したいという発想が、普通のクライアントの言葉じゃないなと。
面木 ビルを建て直した場合、借金額は2億円を超える。テナントに貸すとして1階は賃料が100万円近い金額になってしまう。そうなったらきっと大手チェーンなどしか入らないでしょう。熊本で生まれ育った僕はローカル色を大事にしたかったので、それはないなって。
矢橋 周辺ビルの2、3階はかなりが空き店舗ですしね。
面木 今後、日本は右肩下がりの時期に入っていくので、これまでのようなテナントビルという業態を選択することは自分も辛くなる。当然ですが、ビジネス的に持続可能なものでなければ意味がない。じゃあ、なにをしたいのかと考えた時に、熊本地震直後の光景がふと甦ったんです。
S それはどんな?
面木 シャッターの閉まった商店街の中に、どこからともなく人が街中にあふれ、友人や知り合いと出会えば励まし合い、ハグして別れる。「街とは本来、そういう心を通わす装置、ステージなんじゃないかって。僕がやりたいのはビルを建てることではなく、場づくりなんだってその時に気づいたんです。街を精神的な豊かさで満たす、つながりや出会い、多様性と寛容性、そして新しいことにチャレンジする若いプレイヤーが活躍できる場所にしたいって思ったんです。
矢橋 クライアントは通常、この場所を生かすために、なんとかお金を工面して、大きなビルを建てて、収益を上げるビジネスモデルを立てるのが一般的。そうじゃない逆の発想でオファーがあったのが、すごく僕にとっては興味があって。もともと同じ商店街にある『紅蘭亭』という、中庭のある飲食店が幼少期の記憶にあって、僕の建築の原点。「余白」を生かす建築。近い場所で、同じようなプロジェクトに関われることは、僕にとってチャンスでした。
面木 単なる仕事ではなく、チャンスと捉えてくれたのがうれしかったです。
S 建築の話に移りますが、光の入り方が美しくって……。
矢橋 もともと建物は100平方メートルを切ることを決めていました。ボックルカルバート(箱型)を基本に設計をスタートしたんですけど、思ったより暗くなりそうで、光を入れる装置として、段々になった屋上を造ってはどうかなという提案をしました。若干のスリットを入れることで、足が見えたりなど、人間のアクティビティが不思議な形でトリミングされるのもおもしろいかなって。
S そして、あえて造り込まないというか、さまざまな意味で「余白」を意識したように感じます。
矢橋 商店街に雨が吹き込んでしまうので、できれば閉じた空間にしたいという面木さんの気持ちもわかってはいたんですが、広場として活用してきた歴史を考えると、やっぱり「抜け」は必要だなって。樹木を植えることで多少の雨よけになったり、商店街から少しのバッファを残して建てることで、将来的に衝立のようななにかを建てることができるように設計しました。
面木 いろんな将来を見据えてくれたんですね。
矢橋 街との接し方と建物の配置計画は、今回の文脈では非常に重要なポイントだなって思っていました。商店街とゼロ距離で接するのではなく、少しだけ「引き」をとることで、緩やかにこの場所に導くようなカタチにしたいなって。屋外、半屋外、屋内など、グラデーショナルな空間の変わり方も、今後ここで行われるであろう、街のイベントや、店先の軒下を貸し出してテイクアウトの朝食サービスをしたりといった、可能性もあるかなと想像して設計しました。
S そういえば、県産材をふんだんに使った木造ですね。
面木 この建物はCLT(クロス・ラミネーティッド・ティンバー。積層接着した厚型パネルで、板の層を各層で直交するようにしたもの)と鉄骨の混構造という、新しい工法で造っていただいたのですが、実例がなかったので、いろいろ大変だったようです。
矢橋 法解釈が難しいCLTの使い方だったので、そこは役所との協議。その部分ですごく時間がかかりました、
面木 ただ、熊本市の職員の中にも街中でおもしろいことをやらせたい、応援したいって人もたくさんいて、今回の新しい試みに対しては、非常に好意的だったのがうれしかったですね。その思いに応えていこうと思っています。
矢橋 今後もぜひ関わらせてもらいたいなと思っています。イベントやマルシェを開催するなら、そのゾーニングなんかも担当させていただきたいですし、ここをきっかけに、街の未来に関わることもご一緒したいと思っています。
面木 はい、これらもよろしくお願いします!