ミツバチが紡ぐ物語。幸せが幸せを呼ぶ憩いの地
目次
『ミツバチの楽園』とは?
着想は「HACCI」の設立当初から。
創業111年以上の老舗養蜂園をルーツに持ち、高品質なハチミツを贅沢に使用したコスメや食品をお届けする「HACCI」。ブランドが初めて世に贈り出した商品「ビューティーハニー」は、ハチミツの素晴らしさを多くの人に知ってほしいという気持ちから生まれました。それと同時に、ミツバチの大切さを深く理解しているブランドとして、彼女たちが快適に暮らせる環境作りを行うこともまた必要不可欠だと感じてきました。そんな想いから、” ミツバチのミツバチによる楽園 ” を着想し、プロジェクトが始まりました。
ミツバチは、幸せな場所にこそ集う。
ヨーロッパでは、ミツバチは古くから「幸福の象徴」として愛されてきました。ミツバチの寿命は短く、ほんの1ヶ月ほど。そのため彼女たちは生存本能が強く、危険な場所には決して集わず、幸せな場所にしか巣を作りません。たくさんの花々が息づき、静かで、綺麗な水が流れる土地──ミツバチが快適に生活できる場所は、人間にとっても豊かで幸せな空間です。HACCI『ミツバチの楽園』は土壌作りからこだわり、養蜂家たちとセレクトした四季折々に咲く花々を敷地内にふんだんに植栽しています。
ミツバチを守り、育てるために。
アインシュタインが「ミツバチが滅亡すると人類は4年以内に滅亡する」と言ったほど、ミツバチと人間の生活は密接な関わりがあります。彼女たちの受粉は、私たちが日々口にする野菜や果物などの食料に、多くの恩恵を与えてくれています。しかし、森林伐採や農薬、気候変動により個体数が年々減少傾向にあるなど、ミツバチは今、さまざまな危機に直面しています。HACCI『ミツバチの楽園』では、 採蜜だけでなく農作物の受粉も担うことでミツバチの個体数を増やし、ミツバチを通じて生態系を守ることを目指しています。
『ミツバチの楽園』が生まれるまで。
" 楽園 " に最適な場所を求めて。
伊勢神宮に隣接するHACCI『ミツバチの楽園』。このプロジェクトにおいて、ミツバチとブランドの双方にとってベストな場所を見つけることは、何よりも大切なことでした。長年に渡り最適な地を探し続ける中で、伊勢神宮の神饌に供されるお米を作る「神宮神田」という場所で、自然豊かな理想の土地を奇跡的に見つけることができました。HACCIのルーツである三重県松阪の老舗養蜂園は毎年、神嘗祭(かんなめさい)でハチミツを奉納しており、伊勢神宮はHACCIにとっても大変縁の深い場所です。
「HACCI」と伊勢の深い繋がり。
特別な歴史があり、豊かな自然に恵まれた場所「神宮神田」。訪れてすぐにこの地に HACCI『ミツバチの楽園』を作りたいと強く願いましたが、当初その土地は空いていませんでした。ですが、出会いからわずか数日後。地主の方から、土地が空いたという連絡が入りました。さらに紐解いていくと、先々代の水谷清一と、先代の水谷忠夫が、まさに同じ場所に巣箱を置いて養蜂し、近所の方にハチミツを渡していたことが発覚。そんな運命的な巡り合わせのある場所に、楽園が誕生しました。
水路の整備から土壌作り、植栽まで。
1000坪ほどにも及ぶ広大な土地を、ミツバチや昆虫がストレスを感じることなく、快適に過ごすことのできる場所にするために、水路など、周囲の環境を整備することからスタートしました。さらに、当初は岩盤だった地に緑を育むため、深い繋がりのある三重県松阪 の山から10トントラック約120台分にも及ぶ土を運搬。豊かな土壌へと入れ替えることで、養蜂園のベースとなる環境を整えました。また、ミツバチが一年を通して蜜を採れるようにするため、HACCIスタッフが四季折々に芽吹く100種類以上の花々を植栽しました。
『ミツバチの楽園』が描く未来。
楽園で採れたハチミツを皆様に。
“ミツバチファースト” の環境を追求しつづけるHACCI『ミツバチの楽園』。そこで育ったストレスのないミツバチたちは、活動を開始する春から10月頃まで、多様な花々の蜜を採ることができます。健康的なミツバチたちは立派な巣を形成し、ハチミツの採れる量も多くなります。HACCIの商品は、そんな素晴らしい巣蜜やハチミツをふんだんに取り入れて皆様にお届けします。また、日本の養蜂産業の発展を願い、楽園で採れたハチミツの収益の一部は養蜂の活動に 寄付します。
女性とミツバチがふれ合う場所。
体力勝負となる養蜂は男性の働き手が多く、女性がミツバチとふれ 合うことのできる機会は決して多くはありません。ですが、社長をはじめ、女性が数多く活躍するHACCI は、ミツバチの素晴らしさを伝え、女性とミツバチをより深く繋げていきたいと考えています。 そのメッセンジャーとなる HACCI のスタッフたちにとって楽園は、 実際に訪れて植栽を行ったり、蜜を分離機にかけてハチミツを味わったりすることで、ミツバチについて学ぶことのできる大切な場所となっています。
ミツバチと人がともに育み合う。
ミツバチだけでなく、他の昆虫もミツバチと一緒に戯れたり遊べる場所、そして人も共存できる HACCI『ミツバチの楽園』は、始まったばかりです。この素晴らしい環境を維持し、ミツバチを増やしていくことは、とても大切なミッションです。また、次世代の養蜂家を育て、世界的に見ても非常に高い日本の養蜂の技術を伝えていきたいと考えています。ミツバチが幸せに育つことで、他の生き物や人も幸せになれる──楽園は、そんな幸せが幸せを呼ぶ場所を目指しています。
水谷家の養蜂の歴史
1912 水谷松治郎が三重県で養蜂を始める/水谷兄弟養蜂場
1933 水谷松治郎の息子・清一が三重県養蜂組合を設立し、 組合長を勤める
1938 水谷清一が日本養蜂連盟を結成
1957 水谷清一の娘・太美が発案した瓶詰めのハチミツが人気を博し、関西百貨店に納入を始める
1967 水谷太美が花の種類で分けたハチミツの販売を考案
1973 水谷養蜂園株式会社設立 水谷太美が代表取締役に就任
1991 水谷清一が勲五等瑞寶賞を授与
1996 水谷太美が代表取締役会長に就任
2004 水谷仁美がハチミツビューティーブランド・HACCIを設立
2023 水谷仁美が息子DDとともにHACCIミツバチの楽園をオープン
水谷養蜂の軌跡
” 転地養蜂の生みの親 ” 初代 水谷松治郎 Mizutani Matsujiro
創業者である水谷松治郎が、当時非常に価値のあるミツバチ を3箱購入したところから、水谷家の養蜂の歴史は始まりま した。松治郎は、ミツバチが集めるハチミツの美味しさに感 動し、家族や近隣の人たちが喜ぶ姿をみて、本格的に、弟と ともに「水谷兄弟養蜂園」を開園しました。決まった土地に 巣箱を置き、蜜を集める定置養蜂が主流だった時代に、花の 咲く時期に合わせてミツバチとともに全国を旅する画期的な「転地養蜂」をスタートさせました。
” 蜂の神様 ” 二代目 水谷清一 Mizutani Seiichi
二代目清一は、初代の転地養蜂をさらに発展させて、ミツバ チの安全な運搬方法や、合理的なハチミツの採り方、高い栄 養素を守る技術などを次々と開発しました。また、全国で初 めてミツバチを利用したイチゴ(ビニールハウス栽培)の受 粉に成功しました。清一は “ 蜂の神様 ” と呼ばれるほどミツ バチの生態に精通しており、養蜂業の発展に大きく貢献。昭和14年には日本養蜂連盟を結成しました。そうした功績が 高く評価され、国から勲五等を受賞するにいたりました。
” 自他共に認める女王蜂 ” 三代目 水谷太美 Mizutani Tami
三代目太美は、女性が仕事をすること自体が大変珍しかった時代、女性社長として女性視点で、ハチミツを世に広めました。そのひとつとして、れんげ、みかん、アカシア等、花の種類別にハチミツを分けて、売り出す事を発案しました。まさに、自他ともに認める女王蜂。ミツバチの社会から人間が学ぶべきことは沢山ある、というのが口癖でした。
水谷仁美 HACCI's JAPAN CEO Mizutani Hitomi
100年以上続く老舗養蜂園の長女として誕生。幼い頃から産湯にハチミツを使い、おやつにローヤルゼリー、お砂糖は自宅にないという、ハチミツの良さを熟知した水谷家ならではの環境で育つ。そんな身をもった体験から、2004年にハチミツの素晴らしさをもっと世の女性たちに伝えたい、という強い思いのもと、実家の良質なはちみつを使用して従来のはちみつの概念をくつがえすアイデアとラグジュアリーをコンセプトとした「HACCI」ブランド を立ち上げた。ロングセラーアイテム「ビューティーハニー」や、 ハチミツを10%以上配合し、3年かけて開発した「はちみつ洗顔石けん」など、ハチミツの持つポテンシャルを最大限に引き出して「ハチミツの美容革命」を起こした。
DD 水谷 HACCI's JAPAN 後継者 DD Mizutani
水谷の一員として、1993年に誕生。 幼少期をアメリカで過ごす。ボストンの高校を卒業後、渡仏。アートやカルチャー、ファッションへの関心を深める。フランスで得た知識を深めるために渡英し、ロンドン芸術大学を卒業、同大学院セントラルセントマーチンを卒業する。卒業後、日本に戻り「HACCI」に入社。語学力や多様な文化に触 れてきたバックグラウンド、独自のファッションセンスを活かし、 養蜂を通じて、新しい目線でミツバチの大切さ、ハチミツの素晴らしさを発信中。自身の造詣が深いデザインやアートの活動も行い、HACCI『ミツバチの楽園』においても中心となり、SNSやラジオ、雑誌など、さまざまなメディアを通じて活動中。
⚫︎HACCI’s JAPAN 合同会社