鹿児島県下最大の都市である鹿児島市から、車でさらに南へ進むこと1時間。ここは九州本土の南端、海と茶畑に囲まれた小さなまち頴娃(えい)町。のどかな田舎らしい風景が広がるこのまちは、過去5年間で20〜40代を中心に10人以上が移住した実績を持っている。起業家やクリエイター、鉄道マニアからヨガインストラクターまで、多種多様な若者たちが集う頴娃町と、コミュニティを紡ぐゲストハウス「ふたつや、」が歩んできた軌跡をご紹介しよう。
茶畑と海、美しい薩摩富士をのぞむまち「頴娃町」
薩摩半島の南の端に位置する南九州市頴娃(えい)町は、人口約1万1千人の小さな町。
陸には広大な茶畑、反対側には青い海が広がり、その奥には「薩摩富士」と称される日本百名山の一つ、開聞岳が佇んでいる。
海運が主流だった時代には港町として大いに栄えていたらしい。中心部である石垣商店街には、最盛期100軒以上の商店が軒を連ねていたそうだ。しかし、時代の流れとともに衰退が進み、昨今は空き家の増加や過疎化の悩みに直面している。
そんな頴娃町の良さを守り受け継いでいきたいと、地元の方々が中心となって進めてきたまちづくり活動が今、徐々に移住者を巻き込みながら大きな成果を生んでいる。
2015年からこれまでの約5年間で、20〜40代を中心に10人以上が移住。宿や新規事業の立ち上げなどをきっかけに、地域への移住や多拠点生活に関心を持つ多くの若者たちから注目を集めているのだ。
その裏側には、このまちを愛する地元の方々と移住者たちが紡ぐいくつもの挑戦、そして多様な価値観を受け入れるコミュニティの存在があった。
観光まちづくりから繋がった空き家再生と移住者受け入れ
2010年、埼玉県からこのまちに移住した加藤潤さん。一足先に移住した弟の紳さんと共にタツノオトシゴ観光養殖場「タツノオトシゴハウス」を開業した。
今でこそ観光スポットとしても注目を集める頴娃町だが、当時はまだ無名。経営を成り立たせるためには頴娃町の観光価値を高める必要があると考え、地元のまちづくり団体「NPO法人頴娃おこそ会」と一緒に、頴娃町の観光まちづくりに取り組み始めた。
自分たちの手でできることを一つ一つ進めていくうちに、市や県といった行政機関との連携も取れるようになり、徐々に頴娃町が観光地として注目を浴びるようになっていった。
大きな転機となったのは、2015年に始まった石垣商店街での空き家再生事業だ。築100年、元塩販売店の空き家を改修し、まちの交流拠点「塩や、」に生まれ変わらせるプロジェクトが始動した。
そして、こういった観光まちづくりの動きに心を惹きつけられて、立て続けに3人の若者たちが頴娃町へ移住してきたのである。
3人のIターン移住者たちが起こす新しい風
1人目は2015年、観光まちづくりの動きに心を惹きつけられて頴娃町に移住してきた福澤知香さん。それまで観光業界で経験を積んでいた彼女は、頴娃おこそ会の専任スタッフとして頴娃町観光まちづくりの仕事に就きながら、石垣商店街で進行中の空き家再生プロジェクトにも携わることになった。
もともと宿の経営に関心を持っていた彼女は、移住後1年足らずで石垣商店街内の空き家を改修して民宿「暮らしの宿 福のや、」を開業。地域の日常の営みを体感できる宿として1年間で300人が訪れるほどの場所に育て上げ、頴娃町の観光まちづくり、そして空き家再生の動きを後押ししていった。
こうしてまちづくりの動きが活発になる中、頴娃町で初めての地域おこし協力隊を受け入れることになる。そこでやってきたのが、前迫昇吾さんと蔵元恵佑さんのお二人だ。
彼らの地域おこし協力隊としてのミッションは「空き家再生によって生み出された場の運営」、そして「地域資源を活用した事業づくり」。地元WEBメディアの立ち上げや、人が集う場の企画運営など、数々の取り組みの中にゲストハウス「ふたつや、」の開業と経営があった。
ゲストハウス「ふたつや、」がつなぐ移住・多拠点居住者の輪
ゲストハウス「ふたつや、」の誕生と挑戦
ゲストハウス「ふたつや、」は頴娃町石垣商店街の一角に佇む古民家を地元の方々や行政、大学、地元高校生らと一緒に改修して作り上げた宿泊施設 兼 シェアオフィスだ。母屋と離れが2軒並んで建っていることが名前の由来となっている。
2018年8月に開業し、母屋をゲストハウスとして、離れをシェアオフィスとして運営。現在は「宿泊できるサードプレイス」というコンセプトで、単発での宿泊から長期滞在、日中のみのデイユースも受け付けている。
経営しているのは2017年に地域おこし協力隊として頴娃町に移住した蔵元さん。3年間の任期が満了した後も自身の生業として引き続き経営を行いながら、事業と地域の未来を見据えたさまざまな事業展開を行なっている。
今年に入り、蔵元さんは「ふたつや、」近くの自身が住む家を頴娃町での長期滞在を希望する方々に解放。シェアハウスとして運用を始めた。同時に、頴娃町で事業を営む経営者たちとのネットワークを活かして、地域の潜在的な仕事と長期滞在客をつなげるコーディネート業務にも取り組んでいる。
蔵元さん「入り口はゲストハウス。そこから頴娃町に中長期的に滞在したいという方の居場所としてシェアハウスを案内できることが強みになっています。実際、今年に入ってからこれまでに6人の方々がシェアハウスに滞在しながら頴娃町に関わってくださっています。
ゲストハウスやシェアハウスで深いコミュニケーションが取れるからこそ、その人が何をやりたいのか、このまちにどんな居場所をつくることができるかがわかってくるんです。まちの産業など、観光だけじゃなく「ここにしかないもの」にどうやって携わっていけるかということを考えて、宿泊だけではない新しい形を常に模索しています」
頴娃町を選んだ決め手は「一緒に動ける仲間たちの存在」
2019年、ゲストハウス「ふたつや、」を取り巻くコミュニティとの出会いをきっかけに、映像クリエイターであるパートナーと一緒に頴娃町へ移住した福島 花咲里(かざり)さん。現在はフリーライター・ブロガーとして頴娃町の情報発信に携わりながら、観光まちづくりの取り組みにも関わっている。
頴娃町を移住先に選んだ一番の理由は「一緒に動ける仲間たちの存在」だそうだ。
福島さん「もともと地域に関わりたい気持ちは持っていました。鹿児島県内のいくつかの地域に仕事で関わりながら、「ふたつや、」が主催していたイベントに参加したりもしていて、移住する前から頴娃町にはちょくちょく足を運んでいたんですよね。
「ふたつや、」に集まるフリーランス同士のコミュニティや、近くの仲間たちと一緒にプロジェクトを考えて動いてる感じがとても羨ましくて、「自分もこの人たちとつながりたい」と思ったことが頴娃町へ移住を決めた大きな理由です」
移住というと意を決して違う環境に飛び込むような印象がある。しかし、「「ふたつや、」の存在が地域への一歩目を入りやすくしている。グラデーションのように、気づいたら移住できていた」と福島さんは語る。
よそ者が気軽に滞在できる居場所としての機能、そしてまちの仕事を編集し仲間を繋げるオフィス機能。この2つを兼ねそろえる「ふたつや、」の存在が、頴娃町に移住者を呼び込む大きなエンジンとなっている。
まちの挑戦はまだまだ続く
頴娃町では他にもさまざまな挑戦が現在進行形で動いている。
- 新たな空き家再生プロジェクト
- 茶畑に囲まれる宿の開業準備
- 鉄道を活かしたまちづくりプロジェクト
などなど、挙げればきりがないほどたくさんの動きが、このまちを舞台に巻き起こっているのだ。
頴娃町を愛する地元の方々と移住者たちが紡ぐ数々のプロジェクトは、今後どのような方向へ進んでいくのだろうか。その動向にこれからも注目していきたい。