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「田舎に住みたい!」と大阪から天草へ。移住した夫婦が地域に溶け込んだ秘訣とは

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広々とした畑で農作業を手伝う2人の少年。大阪から熊本県天草市へ移住した、三田村博さん・恵美さんの長男・頼人くんと次男・悠平くんだ。「田舎暮らしがしたい」と2010年に夫婦で天草にやってきて、すぐに頼人くんが生まれた。天草での新生活で就農に挑戦し、現在は自然栽培や有機無農薬野菜を作る「まるみ農園」を経営。知り合いの全くいない場所での暮らしで、どう地域と関わり、溶けこんでいったのか。三田村夫妻に話を聞いた。

まるみ農園
三田村博さん・恵美さん:2010年に夫婦で大阪から熊本県・天草市へ移住。就農研修を経て2012年に農家としての生活を始める。2013年から自然栽培・有機無農薬栽培での野菜作りをスタート。2017年に「まるみ農園」に屋号を変更、ネット販売も開始。現在に至る。天草移住後に長男・頼人くんと次男・悠平くんが生まれ、現在4人家族。(c)まるみ農園(絵/山川さゆり)
目次

結婚前から夢みた田舎暮らし。下調べを兼ね各地へ旅行も

滋賀県出身の博さんと愛知県出身の恵美さんが出会ったのは、旅好きの二人がそれぞれで訪れた沖縄。恵美さんは派遣社員、博さんは建築関係の仕事をしながら、働いては資金を貯めて各地へ旅に出るというライフスタイルが似ていた。「いつかは田舎で暮らしたい」という思いも結婚前からよく話していて、結婚して大阪で暮らしていた頃からは「5年以内には移住したい」と具体的な目標を立て、その資金も少しずつ貯金していたという。

恵美さん「私は大阪がちょっと苦手だったのと、その前に東京にも10年くらい住んでいたことがあって。都会はもういいかなと思い始めていました。移住を取り上げるテレビ番組の影響もあって、漠然と田舎への憧れがありましたね」
博さん「私は滋賀の田舎で育ったので、もともと人込みが苦手だったんです」

近い将来の移住を見据え、結婚後も年に1~2回は下調べを兼ねて北海道や島根、鹿児島の種子島など、各地を旅行した。

恵美さん「寒いのが苦手な私は南の海、夫は北の川の近くを希望していて、まったく正反対でした(笑)」

三田村夫妻
移住先の下見も兼ねて旅していた頃。写真は北海道・摩周湖にて。(c)まるみ農園

移住体験プログラムで天草の海が見える家にひと目惚れ

結婚して4年ほど経ち「そろそろ本気で移住先を探そう」と話していた頃、たまたまネットで見つけたのが天草市の移住体験プログラム。恵美さんの希望に近い”南の海の近く”だったが、その時は天草が九州のどこにあるのかも知らないくらいだったという。

恵美さん「当時は私が仕事をしていたこともあって、夫だけで体験プログラムに参加してもらうことになりました」

2009年の10月から2カ月半のプログラムに参加した博さん、そこで紹介された空き家に心が大きく動かされる。

博さん「高台に建っていて海が一望できるんです。この眺めを見て『住みたい!』と思いました」

恵美さん「結果的に私の意見が勝ちましたね(笑)」

天草
博さんがひと目で「住みたい!」と思った、家のすぐ下にあるみかん山からの風景。後にこのみかん山の世話を引き継ぐことになる。(c)まるみ農園

家を借りるため、とりあえず就農研修へ 

2009年末、移住体験プログラムの終了が近づく。住みたい家は見つかったが、当時の博さんは無職。恵美さんも大阪の仕事は退職して移住することを決めており、「無職では家が借りられない」と、博さんが急いで天草市で求職活動をすることに。

博さん「ハローワークで探したりしているとき、天草市が行っている新規就農研修があるのを知って、これだと。天草市の信用もありそうだし、家も貸してもらえるかなと思いました」
恵美さん「もうほんとに軽い気持ちで流れに乗った感じです、計画性もなく(笑)」

こうして図らずもまったくの初心者から農業を始めることに。希望していた家も無事に借りることができ、2010年2月には恵美さんも天草入りした。しかし、この時点では天草に定住することを決めたわけではなかったという。

博さん「最初は『とにかくしばらく住んでみるか』くらいの気持ちで。体験プログラムが秋から冬にかけてだったので、夏場の天草はどんな感じかな、最低でもそこまでは住んでみないと分からないな、と」

移住資金は以前から貯めていた預金のほか、移住者向けの補助金制度も活用。借家は市の”空き家バンク”に登録されている物件だったので、補修費用などの補助も利用できたという。

博さん「こういう情報は移住体験プログラムで市の担当の方から教えてもらったりしたので、参加してよかったです」

移住直後の第一子妊娠。「ここで育てる」と定住を決意

「田舎に住みたい!」という憧れから、”流れに乗るように”天草へ住まいを移した三田村夫妻。しかし住み始めた当初は、憧れだけではどうにもならない苦労の連続だった。そもそも「とりあえず夏までは住んでみよう」というお試し移住のつもりだったが、予想外の出来事が二人の気持ちを変える。

恵美さん「結婚して5年できなかったのに、天草に移住した次の月に妊娠したんです。これはもう、天草にご縁があったんだと思いましたね」
博さん「しっかり腰を据えて『ここで子育てしていこう』と定住を決めました」

とはいえ、誰一人知り合いがいない土地で、初めての妊娠・出産。育児の準備を始めるも、近所には子育て世代がおらずなかなか情報が得られないため、心配は尽きなかったという。転勤族で他県に住み子育てする恵美さんの姉にアドバイスしてもらったりしながら、なんとか無事に天草市内の産院で長男の頼人くんを出産。この頃に経験した不安や心細さが数年後、出産育児に関するコミュニティを運営することにつながっていく。

まるみ農園
2012年、畑でジャガイモを掘る博さん。この頃、長男・頼人君はまだ1歳。(c)まるみ農園

どのようにして地元に馴染んでいったのか?

農業を通じて地域や人と繋がる 

2010年の移住直後から2年間、博さんは就農研修に参加。「家を借りるため」に飛び込んだ農業の世界で、当初はなかなかやる気が出なかった博さんだが、研修を終える頃には「もう少しやってみようかな」という気持ちに変わっていたという。その頃、恵美さんは次男・悠平くんも生まれ、授乳などを通して食の大切さを一層意識するように。

恵美さん「子どもの口に入るものは特に気をつけたいなと。それで、息子たちの手が少し離れたら、私も夫と一緒に野菜を作りたいと思うようになりました」

そして頼人君が3歳・悠平君が1歳の時に保育園へ入園でき、恵美さんも農業に加わって自然栽培や有機無農薬野菜の栽培をスタート。ネットで情報収集したり、天草市内で自然栽培をしている人を訪ねて話を聞いたりしながら、最初は自分たちが食べる分だけ作るところから始めた。

しかし、新天地でまったくの初心者が農業で生計を立てていくのは簡単なことではない。野菜を育てる農地を探すにも、移住者にはハードルが高かったのではないだろうか。

博さん「知り合いづたいに農地を紹介してもらったり。苦労といえば苦労ですが、そういうご縁から人とのつながりが生まれたのはよかったですね」
恵美さん「とにかく人に言わなきゃ始まらないので、どこに行っても『農業をやりたいんです、どこか農地知らないですか』と聞いてました」

まるみ農園
息子たちと一緒に農作業する恵美さん(奥)。中央は飼い犬のらいちゃん。(c)まるみ農園

移住直後に直面した言葉の壁。人の温かさで乗り越えられた

また大阪から移住してきた二人にとって、当初は言葉の面でも熊本の方言が全く理解できず、コミュニケーションの難しさに直面。特に、移住直後に住んだ高台の家がある場所は、いわゆる限界集落。住民のほとんどが高齢者だった。

恵美さん「お年寄りばかりで方言で話していると、本当に会話についていけないんです。何で笑っているのか分からないけど、そういうときはとりあえず自分も笑っておく(笑)。あとは、わからなければとにかく何でも聞く!」

また、地域の草刈りなど当番制の役割や行事には積極的に参加し、コミュニケーションを取るようにしたという。

恵美さん「みなさん本当に良い人ばかりで、すごく親切にしてくださって。近所の方は時々様子を見に来てくれたり、郷土料理を教えてもらったり。一緒にご飯を食べることもありました」

特にすぐ下に住んでいたご夫婦には良くしてもらったそうで、恵美さんの親と同世代だったこともあり、”天草の親”と慕うほど。子どもが二人に増えて交通の不便さもあり引っ越した現在でも、時々遊びに行くことがあるという。

恵美さん「ほんとに実家に帰るような感じですね。この方たちがいなかったら、いま天草にはいないかもしれません」

集落にはこのご夫婦が育てていたみかん(ぽんかん)の山があり、ご主人が亡くなった今は三田村夫妻が世話を引き継いでいる。

みかん山
三田村夫妻が”天草の親”と慕うご夫婦が育てた、海の見えるみかん山を2019年に引き継いだ。(c)まるみ農園

自然の中でのびのび育つ子どもたち 

天草に移住して子育てをスタートした三田村夫妻。恵美さんは以前から「子どもが生まれたらコンクリートの上より、土の上を裸足で走り回らせたい」と思っていたこともあり、豊かな自然に囲まれた天草はこの上ない環境だという。

恵美さん「うちは野性的に育てているので特にそう感じるのかもしれませんが。休みの日でも子ども達を畑で自由に遊ばせたりしています。それにコロナ禍の今は、天草でほんとによかったと思いますね。他県で子育てする友人たちからは遊び場にも困ると聞くので」

また、移住者だけでなく転勤族も多い天草では、子育て支援センターなどの利用者が多いという。そういった場所で子どもを介してのつながりができるのも、子育て世代のIターン家族にとっては心強い。

まるみ農園
畑でとれたての人参をかじる頼人君(右)と悠平君(左)(c)まるみ農園
まるみ農園
友人の子どもたちを畑に招いての芋ほり体験。(c)まるみ農園

出産育児の悩みを分かち合うコミュニティ 

また、恵美さんは農業と子育ての傍ら、産前産後や育児の情報提供・イベントを行う「天草お産路」というコミュニティも運営。ヨガや助産師による講演、食にまつわるワークショップなどを行っている。移住直後の妊娠で恵美さん自身が不安を抱えていた頃、このグループの前進の活動に参加したのがきっかけだった。

恵美さん「出産や子育て、女性としての生き方などについていろいろな刺激を受けたし、そこで出会えたかけがえのない仲間もいます。子どもが小さかった時はなかなか参加できなかったんですが、数年前にまた声をかけてもらって、いつのまにか今は代表に(笑)。今年はコロナもあってなかなか活動ができなかったのですが、以前の私と同じように悩んでいる方もいると思うので、少しずつまた再開していけたらと思っています」

まるみ農園
「天草お産路」産前産後ヨガの様子。(c)天草お産路

移住して10年。未来の伸びしろに期待

2020年、三田村夫妻が天草に移住して丸10年が過ぎた。まったくの初心者から始めた農業だったが、現在は自然栽培で季節ごとに多種多様な野菜を育て、ネットでの販売にも挑戦している。天草で生まれた長男・頼人君は10歳、次男・悠平くんは7歳になり、自然の中でのびのびとたくましく成長中。移住後の暮らしの満足度についてお二人に伺うと、意外にも100%ではないそうだ。

博さん「9割は満足しているけど、残りは不満ではなくてこの先への期待ですかね」
恵美さん「天草での暮らしは自由度が高いし、もちろんかなり満足はしています。ただ、忙しくてやりたいことができてない部分もあるし、あとは自分たちの努力次第です」

まるみ農園
三田村夫妻が営む「まるみ農園」の野菜。ネットで遠方からの注文も受けている。(c)まるみ農園

見知らぬ土地への移住は、仕事・家族・人間関係など、さまざまなハードルを越えなければいけないイメージがあるだろう。しかし、三田村夫妻は「移住も農業も、計画性はなく流れに乗りました」と笑いながら話してくれた。実際は苦労も多かったこの10年も、「だからこそ人と繋がれた」と前向きにとらえる。移住先で溶け込み暮らしを充実させる秘訣は、直面するさまざまなハードルを困難と思わず、人生を豊かにするステップとして楽しむことなのかもしれない。

 

●取材協力
まるみ農園 三田村博さん・恵美さん夫妻

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