「農業やりたい」――SNSでつぶやいた一言から始まった「農業Crew」。新潟県三条市の幼馴染3人組が結成した、農業ユニットだ。全員が農業とは別の本業を持ちながら、それぞれ合間の時間を縫って活動している。
会社員を続けながら農業。“半農”の魅力とは?
力仕事が多いイメージの農業。さらに平日は会社で働き、休日に農作業をする“兼業”のスタイルは負担が大きいのでは? そんなふうに思う人も多いだろう。
しかし畑には、野菜とともにみずみずしく笑う3人がいる。本業を続けながら農作業に取り組む“半農”の魅力とは一体なんなのか? そのはじまりから現在まで、「農業Crew」の中心的存在である長野美鳳さんに話を聞かせてもらった。
幼馴染3人で活動する「農業Crew」
「農業Crew」の活動拠点、新潟県三条市。南北に長い新潟県のなかでもほぼ中央に位置し、隣の燕市とあわせて「燕三条」と呼ばれる。包丁や金物、洋食器などに用いられるこの地域の優れた金属加工技術は、世界中から注目を集め続けている。言わずと知れた「ものづくりのまち」だ。
このまちで生まれ育った長野さんは、地元の同級生とともに「農業Crew」を結成。平日はそれぞれ別の本業をこなしながら、休日は畑に出て野菜をつくり、地元の朝市で販売。時にはイベントを主催し、野菜を使った飲食メニューを提供することもある。2020年の夏には、密にならずに楽しめるひまわり畑を作るなど、その活動は農業だけにとどまらない。
なぜ農業をはじめたのか?
2018年に「農業Crew」を結成し、自ら農業に取り組む長野さん。生まれ育った実家も、兼業の米農家だ。幼いころから両親の農作業を手伝うのが日常だった。その経験から自身でも農業を始めたのかと思いきや、違うらしい。「汚いし、疲れるし、ずっと嫌々やってて。『嫌い』ってそもそもインプットされて育ってきました」。長野さんは、笑いながらそう振り返る。
大学卒業後はプロダクトデザイナーとして地元企業に就職。初めは実家の農業を継ぐつもりさえ、まったくなかった。なのになぜ、自ら農業を始めたのだろう? そこには、長野さん自身の“農業”に対するイメージの変化があったようだ。
脈々と続く、燕三条の暮らし方
変化のはじまりは、新卒で入社した燕市の包丁メーカー「藤次郎株式会社」で、会社全体のブランディングに関わったこと。
会社の歴史をひもとくと、もともとは農機具の製造からスタートし、農業の閑散期に家庭用ナイフなどの刃物を製造したことが、包丁メーカーとしてのはじまりだったことを知る。燕三条地域は昔から水害が多く、冬場には降雪もある。1年を通して農業ができる環境ではないからこそ、ものづくりと兼業する暮らし方が根付いてきた。
長野さん「その文脈を知って、『あ、うちもそうだな』って思ったんです。お父さんもお母さんも働きながら農業をやってるよなあって。そのときに、実は私の家も燕三条で脈々と続いてきた暮らしをしてたんだと知りました。この地域ではそうやってものづくりと農業がずっと発展してきた。そういう地域の文脈も素敵だなって思うようになったんです」
“農業”そのものの魅力に気づいたのは、大好きなビールを勉強したことがきっかけだった。長野さんのビール愛は、一時期「醸造家になりたい」と思ったほど。結果的にその夢は、製造免許などの高いハードルに直面し諦めたが、ビールの歴史や成り立ち、味の違いを勉強するうちに、ひとつの答えに行き着いた。
それは、「ビールって農作物だ」ということ。素材や原料の違いで、あらゆる違いが生まれる。素材の品質は、ビールになったときの品質にも影響する。農作物のおもしろさを実感したのは、そのときだった。
野菜の豊かな表情に魅せられて
そんなビール好きが高じて、種類が豊富なオーストラリアのビールを飲むため、ひとりで現地を旅行したことも。そのときの体験が、農業を始める決定打になったという。
長野さん「オーストラリアで、たまたま現地のファーマーズ・マーケットみたいなところに行ったんです。そこで売り場に並ぶ野菜を見たときに、『めっちゃかわいいな』と思ったことがあって。日本の八百屋さんとは、また違う見せ方で野菜が売られていた。そのときに『場所が変わると野菜ってこんなに表情が違うんだ』と思いましたね。それがすごくおもしろかった。それで、日本に帰ってきて『農業やろう』って思ったんです」
このとき同時に浮かんでいたのは、実家のお米のことだった。どんなに良いお米ができても、「新潟県産コシヒカリ」としてひとまとめになって販売される。でも、もっと見せ方を工夫すれば、自分たちが作るお米も野菜も、たくさんの人に直接届けることができるのでは? それまでのブランディングやプロダクトデザインの経験も相まって、「自分で農業をやってみたい」と思うようになっていた。
そして、オーストラリアから帰ってくると、思いをそのままTwitterにつぶやいた。「農業やりたい」。その一言に反応したのが、幼馴染の小川沙織さんと金子理紗さんだった。
「農業Crew」結成、初めての野菜づくり
長野さんと同じく農家の家に生まれ、県内の農業高校を卒業したふたり。長野さんのツイートを見て、「やりたい」とすぐに反応をくれた。これが「農業Crew」のはじまりだった。
メンバー全員が、農家の生まれ。畑をやるための農地や農具はそろっていた。だからこそ「農業やりたい」の一言で始められたという背景もある。
とはいえ、自分たちでやるとなるとわからないことだらけ。畑の上では、常にスマートフォンが必須だった。農作業のなかで壁にぶつかると、すぐに検索、実践。それを繰り返して、1年目でもなんとか自分たちだけで形にできた。初めてつくる、ビーツやコリンキー、サラダごぼうなどの珍しい野菜たちも、しっかり実をつけてくれた。
収穫後は、地元の朝市での販売も好調。オーストラリアで見たような魅力的な売り場を目指し、ポップやパッケージも手づくりした。野菜ごとのおすすめの食べ方や、「農業Crew」の活動、ストーリーを伝える接客も好評で、初出店にもかかわらず用意していたぶんはすぐに売り切れ。しかし同時に、野菜やお米の販売だけではなかなか売上につながらないことも実感していた。
そこで2回目の出店からは、育てた野菜をフードやドリンクにして販売。「農業Crew」の野菜をその場ですぐに食べてもらおうと考えた。自分で加工するのは手間だけど、誰かに調理してもらって食べれば「おいしい」と感じてくれる人も増えるはず。ただ売るだけではなく、つくったもののおいしさを伝えるための活動でもあった。今ではそのまま販売するよりも、調理して販売するほうが多い。何度も工夫を重ねてたどり着いた、現在のスタイルだ。
“しんどい”はずの農業。3人なりの続け方とは
農業を無理なく続けるために
一から畑を作り、野菜を育て、収穫し、販売する。この1サイクルだけでも、相当の時間と労力が必要だったはず。実際に長野さんも、初めのころは農作業にかなり力を入れていたと話す。だが、それにも限界があった。
長野さん「1〜2年目の夏とかは、会社から帰ってきて、日が暮れるまで作業したり。そしたらちょっと義務感っぽくなったりもしました。頑張りすぎると嫌になってくる。だからこれは上手に手を抜かないとだめだな、と。3人のモチベーションもそれぞれ違うし、今は100%の力をかけるのはやめました。農繁期は家から畑が近いので毎日見に行ったりはしますが、がっつり作業をやるのは週2回くらいになっています」
会社から帰宅したあとは、明るいうちにできることを少しやる程度。それだけでも、土日の作業の負担は減らせる。「農業Crew」を始めてからの3年間で、無理をしないことの大切さを学んだ。今ではお互いのペースをつかみ、3人が「おもしろそう」と思えるものだけに取り組んでいる。
長野さん「やるかやらないかの基準は、『おもしろいなあ』とか『わくわくするなあ』っていうこと。たとえば『焼き芋売ったらおもしろそう。じゃあさつまいも作ろうかな』みたいな(笑)。私たちは野菜をつくって売ることよりも、お客さんに届けるための商品や方法を先に考えていることが多くて。私はそういうものを実現するのが得意だし、それが楽しい。だから農業を楽しめているのかもしれないですね」
おいしい野菜をつくるのはもちろん大事。でも、収穫した野菜を使ってなにをするか、そしてどうお客さんに届けるか、ということこそ、もっとこだわりたい。長野さんの思いは「農業Crew」を結成したときから変わらない。
友達とやれば、“遊び”に近づく
野菜をつくったり、イベントに出店したり、主催したり。やりたいことを次々と形にしていく彼女たちの農業は、自分たちが「楽しむための農業」でもある。昨年(2020年)つくったひまわり畑も、「農業Crew」メンバー・金子さんがやりたかったことのひとつ。「コロナ禍でもみんなで出かけられる場所を作りたい」という思いから、あえて野菜は作付けせず、ひまわり畑にすると決めた。
そんなふうに3人は、野菜の生産だけにこだわらない柔軟な活動を続けている。だからこそ、畑にいる彼女たちの笑顔はまぶしく映るのだろう。収穫した野菜を並べて出店する地元の朝市や、自分たちで主催するイベントでも、3人の表情からは常に楽しさが伝わってくる。「農業Crew」の活動を経て、長野さんの“農業”に対する価値観はさらに変化していた。
長野さん「ゴールデンウィークもシルバーウィークも、小さいころから田植えと稲刈りでずっと潰れてたんです。だから毎年その時期がすっごく嫌だった。でもそこに友達が来てくれたら、私のなかでも“遊び”に変わったというか。やっぱり農業って『家族でしんどい思いをしながらやるもんだ』っていう価値観が私もあったし、両親にもあった。でも、若い人がうちの田んぼや畑に出入りしてくれるようになってから、両親もすごい楽しそうにしてくれてて。親が喜んでくれたのがいちばん良かったですよ、ほんと(笑)」
“農業”と聞くと、泥だらけになったり、力仕事も多くてきつい仕事、というイメージを抱く人も多いだろう。もちろん時には大変な農作業もある。でも友達と一緒なら、それさえも“遊び”の感覚に近づいていく。そんな彼女たちの活動スタイルは、農業のほかにも収入源を持つ“兼業農家”だからこそできることかもしれない。明るくポジティブに畑と野菜に向き合う3人の姿は、「しんどい農業」というイメージを変えていく。
「農業Crew」が教えてくれた、自分の可能性
そして長野さんは、今年3月にフリーランスのデザイナーとして独立。「農業Crew」の活動を通して、個人で受けるデザイナーの仕事が増えたからだ。少しずつ積み上げてきた仕事が軌道に乗ったタイミングで、会社員を辞めることを決意した。これからはデザイナー業と並行して、さらに兼業農家としての収益にも向き合いたいと話してくれた。
長野さん「正直、これまでは収益化も難しくて、趣味の延長みたいなものだったと思うんです。でも、これからもっと新しい売り方を模索して、『農業は規模を大きくしないと収益が上がらない』というのを変えたい。ただ売るだけじゃなくて、アイデアとやり方しだいで、小規模でもちゃんと収入の柱になる方法を探したいと思っています」
そんな長野さんは「農業Crew」の活動とは別に、友人とふたりで飲食店を間借りし、1日だけ開店する「間借りごはん」の活動も不定期で行っている。ここでは、長野さんが「農業Crew」でつくったお米や野菜を使い、飲食メニューを提供。この活動も、「自分たちの野菜を使ってできること」を考えて生まれたものだった。
たくさんつくって稼ぐのではなく、つくった農作物の見せ方で勝負したい。デザイナーを本業にする長野さんらしい考え方だ。
今でこそ、こうしてさまざまな活動にチャレンジする長野さんも「今までは安定を求めて、進学も就職もとにかく“手堅く”生きてきた」と話す。だが、会社員と並行して「農業Crew」を始めたことで、次々と道が開けた。ひとつの場所や仕事にとらわれない働き方が、新しい自分に出会わせてくれたと振り返る。
「兼業」や「複業」という働き方には、「収入を増やす」ということ以上の価値があるのだろう。今、畑とデザインの仕事に生き生きと向き合う長野さんの姿から、その確かな価値が感じられた。