その場所、そこにある素材、そこにいる人と関わり、絵を描き続ける。東京・品川区天王洲にある、青い龍のような動物が描かれた倉庫の壁。「子どものころから絵を描くことが、呼吸することと変わらぬ日常だった」。そう語る画家・淺井裕介さんが約3週間かけ、アシスタントと共に描き上げた。予想や経験にいい意味で裏切られる楽しさを感じ、その場のリアリティから生まれる行為の結晶が、周囲の空気をも動かす。
場所のリアリティが、
描くべきものを
導いてくれる。
今年2月から東京都品川区の再開発地区・天王洲アイルの壁面が巨大キャンバスとなり、街の風景が変わり始めた。屋内外のアートを通じてまちづくりを行う「TENNOZ ART FESTIVAL 2019」が開催されているのだ。7つの会場で壁面アートや写真展示が公開中だ(コア期間は4月7日まで。ただし、主な壁面作品は2020年春まで展示)。
このアートのひとつ、『三信倉庫』の壁面作品を手がけたのは、画家の淺井裕介さん。作品のタイトルは「どこまでも繋がっていく」。循環する水をテーマにしている。大きな水色の龍のような動物のなかに、小さないくつもの物語が描き込まれた作品。物心ついたころから広告の裏紙に絵を描き、作家となり、国内外の道路や建物の壁に絵を描いてきた淺井さんだからこそ生み出せる作品だと、半生を聞いて納得した。
2003年からのマスキングテープに植物を描く「マスキングプラント」や、08年にインドネシアで始まった現地の土と水を使って描く「泥絵」シリーズの制作を通じて、10メートルを超える壁や空間を舞台に作品を発表されてきましたが、今回の天王洲の作品は、縦約30メートル、横約40メートルの大スケール。どのように制作を進めていったのでしょうか。
信じられないくらい大きな壁に取り組んでみたいという思いがあり、各地で行われるアートプロジェクトに招かれるたびに、街の中の壁などを見て「あれに描きたい!」と言ってみるものの、規模や予算を理由に実現できませんでした。昨年夏にこの依頼を受けた時はうれしかったです。ただ、公共な場所に描くには所有者の許可だけでなく、自治体の広告条例に反していないかなど、さまざまな審査を経る必要があって、多くの人の協力を得て実現できました。僕自身初めての規模なので、どうやって描くのか、みんなで相談しながら決めました。約20日間で、1日平均6人のアシスタントと一緒に描きましたが、完成できるのか、終了直前まで半信半疑でした。
この作品には、大きな絵の中に小さな物語の絵が数多く入っています。壁の図面に縦横の線を引いて格子状に分け、下図と重ね合わせて点を取り、その点を星座を結んでいくみたいにつなげて大きな形を描いてから、細部を描き込みました。足場は180センチの高さなので視界が限られ、長い直線を引いたつもりでも実際は2メートルほどしか引けていない……という感じで。着彩時はペンで下絵の枠を取ってから、大きな面はローラーで塗料を塗り、細かな面は日本画で使用する竹製の細い筆で描いていたので、とても地道な作業でした。
土も第三者も、
描くことを
飽きさせない存在。
莫大な量の作業をのべ100人を超える人と行うのは、とても大変なことだったと想像しますが。
描く人がのびのびとしていないとその感じが観る人にも伝わらないし、そう意識して緊張してもよくない。今回、いつもと最も異なるのは、描く場所が野外でしかも高所だったこと。アシスタントのコンディションにはある意味、一番気を使いました。事前に状況を伝えているものの、実際に上がってみると、「大丈夫です」と言いながらも足場の手すりから手を離せない人もいました。また、小さな筆でコツコツと作業を進め、その「時間」が形になっていくことがやりがいにつながるので、そういうことを分かりやすい言葉で伝えたり、作業をこまめに区切り、外から一緒に壁を眺めてみたりして、集中力を維持するようにもしました。
あとは、お昼ごはんです! 毎日5、6種類のインドカレーを選んで食べる、唯一の「娯楽」でした。朝9時から日没までの作業中、僕はみんなより半歩先、一歩先に描き、それぞれへの「仕事」をつくる役割で、作業場所も違ってくるので、みんなと一緒に顔を合わせられる昼の休憩は大事な時間でした。
その一緒につくりあげる力は、大きな作品を生み出してきたこれまでの経験で培われてきたのでしょうか。
何が何でも人を巻き込んでやりたい、ということではないのですが、与えられる場所が大きかったり、個人的なスペースではない場所で作品をつくるときは、一人でやることのほうが不自然な感じがします。例えば、知らない外国へ行ってその場所と関わろうとした時、一番わかりやすくその土地の影響を受ける手段は、現地の人の手を借りることだと思ったんです。
一人でやっていたらコントロールできることも、みんなでやるとできなくなり、作家にとって予測不可能な状況となる。でも、予測がつくことはものをつくる者にとって、必ずしも幸せなことではないんです。第三者の手が入ってくることで場が新鮮になり、相手に伝える必要から自分が何をしているのかを言語化しなくてはいけなくなる。多くの人と関わる、飽きようがない状況下で作品づくりを続けてこられたことは、とても幸運なことだと思います。
こう言うと誤解が生じるかもしれませんが、誰かと一緒に作品をつくることは、土を扱うことに似ています。同じ土地でも掘る深さ、掘る場所で土が異なるし、掘った土が以前と同じようなものでも、実際に壁に塗ってみると、その土は剥離したりして使えるとは限らない。
飽きないという意味では、土もまた第三者に近いおもしろい素材なんです。
自分の意思を離れ、
その場に抗えない
ことで生まれる醍醐味。
「飽きない」という言葉がありましたが、それを意識し始めたのはいつからですか。
僕は新鮮さが何よりも大事だと思っていて、高校時代の文化祭で初めて壁画を描いた時の気持ちと、今もほとんど変わりません。絵を描くことは不思議なことで、頭の中にあるものを定着させているのではなく、壁の前で描いているうちに少しずつ組み上がっていくような感覚です。自分の中に描くことのすべてがあるとは思えないんです。一つ出すと、それに反応してこうしてみよう、ここまできたらこうしてみようとなって、最終的には一応自分が描いたものとしてそこに絵が生まれる。描く過程で素材、場所といったものとコミュニケーションをとり、点を打ち、線を引く。そして、そのたびにドキドキワクワクする。そんな気持ちが原体験としてあります。
また、社会で仕事などを進めていて、途中でまったく違うものにジャンプすることはなかなか容認されませんが、美術はそれが可能な領域なので、最大限利用させてもらっています。それにはできる限り、具体的なイメージを始めにつくっておくことが大事で、それがそのまま出てくることもあるし、裏切られることもあります。すごくいいプランで絶対にやりたかったはずのものができなくて、別のものが出てくることは一番の醍醐味ですね。何だこれは? みたいな。
具体的な出来事では?
よく覚えているのは2011年、インド・ブッタガヤの小学校で子どもたちを見守るものとして大きな顔を描いた時のことです。目の後に鼻を描こうとして、鼻筋の線が上下逆になってしまったんです。そうなると、その上に口がきて、天井に体を描かなくてはいけなくなって。時間もないし、体勢は辛いし、僕としては絶対に避けたいのですが、そうなってしまったというリアリティがそこにあれば、僕の意思は関係なくなってしまう。このリアリティには抗えないのです。結果として確実にそれでよかった。準備不足のような方向へ進むのには大変な勇気もいるし、一見、雑に見えることもあります。しかし必要なところに必要な人が現れ、必要なものがあって、突如として出てくる力がある。いいものが生まれてくる瞬間には、そんな偶然があるように思います。そういう瞬間がすごく楽しい。
そのルーツはどこに?
描く行為そのものに興味があったので、昔からものをつくりすぎてしまう人間でした。高校卒業後は高校の片隅を借りて今よりも描いていたのですが、美術室も、その前の廊下も、使っていないトイレも制作物でいっぱいになってしまって。先生からも親からも処分するように言われて悲しくなりましたが、一番やりたいことは描くことだと自覚したんです。それで通学路にある何百本もの電信柱に気づき、マスキングテープを貼って、その上に描くことを思いつきました。家から学校までの道のりを制作空間に変える「発明」でした。怒られるけれど、剥がせば消えるので悪いことはしていない。その時もたまたまポケットにテープとペンがあったから生まれたことで、そこから発展してマスキングプラントや泥絵制作につながっていきました。
今でも白い紙、白い壁はあまり得意ではなくて、汚れや窓など、取っかかりがあったほうが描くべき材料が見つかりやすい。描く場所にあるリアリティに寄り添って、それに反応しながら、今後ものびのびと描き続けていきたいです。
今回の日本での取り組みも、作品を制作・展示して終わりではなく、進化するプロダクトの一部として活かされていくのですね。
ものづくりのプロセスは学びのプロセスです。益子ではイギリスとはまったく異なった陶器づくりが行われていて、素材もものづくりを取り巻く状況も独特でした。イギリスではある地域がものづくりに特化している状況が珍しいのです。今回、リサーチして開発したプロセスやプロダクトをイギリスに持ち帰ると、さらなる発展を遂げていくでしょう。もちろん、イギリスには益子の粘土も登り窯もありません。そのため、日本とは違う発展になるはず。模範や復元でなく、「翻訳」といえるユニークなプロダクトができるのではないかと思っています。