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特集 | まちをワクワクさせるローカルプロジェクト

北澤潤さんのお父さんの駄菓子屋さん『なかよし・うおよし』。

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アーティスト・美術家として活躍する北澤潤さんのお父さんの北澤尚文さんが、念願だった駄菓子屋を、家族や地域の仲間と一緒につくりました。その名も、『なかよし・うおよし』。いらっしゃい!

東京都目黒区。小さなお客さまで大繁盛の場所が生まれました。
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レジに登録している駄菓子や玩具は約300種類。小遣いの100円を握りしめ、どれを買おうか迷っちゃう!
目次

夢だった駄菓子屋を、柿の木坂にオープン!

「このお菓子ください!」
「はい。全部で120円です。おや、20円足りないね。どれ戻す?」
「えっと……ちょっと待って」
 
駄菓子を買う子どもと店長の北澤尚文さんのそんな会話が聞こえるのは、東京都目黒区柿の木坂で2021年7月にオープンした駄菓子屋『なかよし・うおよし』だ。子どもは奥のスペースで待つ父親の元へ走り、お金が足りないことを伝えると、父親に従って手にしていた駄菓子を1つ棚に戻し、ちょうど100円にして再びレジに戻った。「ちょうどだね。ありがとう」と北澤さんは笑顔でレジを打ち、子どもに駄菓子を渡した。
 
そんなふうに、駄菓子屋を始めたことで地域の子どもたちや親御さんとの交流が生まれていることをどう思うかと尋ねると、北澤さんからは意外な言葉が返ってきた。

「単に駄菓子とお金を交換しているだけでは交流というか、地域づくりにはつながりません。昔は地縁関係があったから人とのつながりもつくりやすかったでしょうけど、今は地縁関係も薄いですから、オープンして数か月間で交流が生まれることはほぼありません。言ってしまえば、みんな他人です。他人だからこそ、少しずつ顔見知りになって、心の距離を縮め、やがては会話を交わしたり、何かを相談したりできる間柄になっていくのです。それには時間が必要です。地域づくりはそんなに簡単に成果が表れるものではなく、むしろ、どれだけ地道に、挨拶をしたり、笑顔を交わしたりするかが大事なのです。『ここは地域の交流の場です』とか、『ふれあいの場です』と大上段に構えた場づくりを目標にはしていないのです」と話す。「そうそう。夏休みに小学5年生の女の子から、自由研究のテーマとして駄菓子についてインタビューを受けました。1時間ほど、お母さんと一緒に。そんな時間や関わりを地域の中で積み重ねていけたら、交流も深まっていくかもしれませんね」。
 
そんな思いを持つ北澤さんが、駄菓子屋を始めた理由とは何か。
 
新潟県・佐渡島に生まれ育った北澤さんは、高校卒業後に故郷を離れ、やがて『なかよし・うおよし』のある柿の木坂の隣町の目黒区八雲に居を構え、東京都や特別区の職員として勤めながら、長男の諒さんと次男の潤さんを育てた。諒さんは大手ゼネコンの設計士として身を立て、潤さんはアーティスト・美術家となって「リビングルーム」や「サンセルフホテル」など、地域を舞台にしたユニークなプロジェクトで注目を浴び、今はインドネシアを拠点に活動を展開している。その息子たちが通った小・中学校のPTA会長を務め、青少年委員や八雲住区住民会議の会長を現在も務めるなど、北澤さんは地域活動に携わってきた。

「諒が通う保育園の父母会から原稿を依頼されたことがありました。僕が生まれ育った佐渡島のことに触れながら、諒と潤が育つ目黒を彼らの故郷として残してあげたいと書きました。その後、PTA会長を務めながら地域を、故郷をよくしていきたいという思いが高まり、子どもたちが楽しく集える駄菓子屋をつくりたいと考えるようになったのです。駄菓子屋なら僕にもできそうだったから」。地域の人たちが集まる場で事あるごとに「駄菓子屋をやりたい」と口にしていた北澤さん。その思いは、ひょんなことから叶えられた。

父の願いの店舗を兄が設計して、弟が内装の壁画を描く。ファミリープロジェクト感、たっぷりです。

家族や地域の仲間と、一緒にリノベーション。

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親同伴で来る子どもが多い『なかよし・うおよし』。「駄菓子屋とカフェが一緒になった現代的な内装だから入りやすいのでは」と潤さん。「家族を対象にしたイベントも開催したいね」と北澤さん。
柿の木坂の商店街にあった『魚由』という魚屋さんが閉店され、ご主人の息子でPTA会長として後輩の吉野正人さんが、『よければ駄菓子屋に使ってください』とお声をかけてくださったのです」という突然のサポートを受けた北澤さんは空き店舗を借り、念願の駄菓子屋を始めることを決意した。2020年5月のことだった。
 
ただ、建物は古く、リノベーションが必要だった。設計士の諒さんに相談すると、設計することを快諾。「駄菓子屋だけでは収益は上がらないだろうから、地域のさまざまなニーズに対応できる『駄菓子屋+α』としての空間づくりを心がけました」と諒さんは話す。北澤さんは、「相談する中で、カフェや2階の場所貸しなどで収益を上げ、それを駄菓子屋の運営に充て、トントンにできればと考えるようになりました」と。資金も潤沢ではなかったので主要部分の工事は業者に頼み、内装工事は北澤さんと諒さん、地域の仲間に手伝ってもらいながら進めた。「天井の板を剥がしたときには絶望感さえありました」と諒さんが苦笑するほど煤や汚れはひどかったが、「雨合羽を着て、ゴーグルをはめ、ブロアで埃を吹き飛ばして。みんなで手分けして行いました」とDIYの様子を思い出す。
 
一方、インドネシアで活動していた潤さんは、「家族のグループラインで経過を追いかけていました。お父さんのやりたいのは駄菓子屋ですが、兄はそのためにもほかの稼げる空間が必要だと助言。僕は地域でプロジェクトをやってきた経験を元に二人の接点を探す役割を担いました」。21年6月に一時帰国したときには解体が終わり、新しい空間をつくり始めていた頃だった。「僕も床にタイルカーペットを張ったり、テーブルをつくったり、壁を装飾したりしました。壁の壁画は、屋根の裏側や梁がむき出しになっている空間を見た瞬間に植物が合うとひらめき、ジャワ島のスターフルーツの木を描きました」。
 
そんな、家族のローカルプロジェクトとして、『なかよし・うおよし』
は完成した。
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カフェではコーヒーや紅茶、ミルクやジュースを提供。「いずれは軽食も出せるようにしたいです」と北澤さん。

地域の大人たちと一緒に活動を進めたい。

オープンして4か月。北澤さんに手応えを尋ねると、「予想以上の反響です。駄菓子がこんなに売れるとは」とニコリ。「ただ、駄菓子の利益だけでは、お店を維持するための家賃や人件費を賄いきれないのが実情です。そこで、地域活動に携わる大人たちが2階で飲んだり食べたりしながら会議する『赤提灯』を開くことで、経営としても安定し、より充実したお店にしていければ」と話す。
 
そして、「地域の皆さんと力を合わせて切り盛りしています」と仲間の協力があってこその運営であることも強調。北澤さんの駄菓子屋は子どもたちの居場所としてだけではなく、大人たちが一緒になって活動を進めていく場所でもあるのだ。これからどんな駄菓子屋になるのか、楽しみだ。
営を手伝ってくれている地域の仲間たちとともに。人が行き交う毎日が、ここにあります。
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これまでの北澤さんの地域活動で知り合った仲間のアルバイト、有償ボランティア、サポーターの19名で運営。諒さんと潤さんは運営にはノータッチ。店名のロゴは潤さんが手書きで描いた。
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『なかよし・うおよし』の人気駄菓子カタログ ※誌面より転載
photographs by Miho Kakuta  text by Yoshino Kokubo
記事は雑誌ソトコト2022年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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