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特集 | まちをワクワクさせるローカルプロジェクト2

『とらや』から『中野商店』に。北海道の中頓別でお菓子をつくること。

雑誌『ソトコト』編集部

雑誌『ソトコト』編集部

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北海道北部にある小さな町、枝幸郡中頓別町。地域おこし協力隊隊員としてやってきた一人の若者が、この町で75年続くお菓子屋『とらや』を受け継いだ。今は『中野商店』として和洋菓子やパンをつくり、地域の人々に届けている。

厨房のオーブンでお菓子を焼く中野巧都さん。お菓子やパンづくりの技術は先代などに教わっていたが、ほぼ独学。オーブンは先代から引き続き使っているもので、年季が入っている。
目次

19歳で地域おこし協力隊隊員として中頓別町へ。

『中野商店』は、人口およそ1500人の中頓別町で唯一のお菓子屋だ。

開店直後はトレーにいっぱい並んでいたパンも、夕方にはだいぶ売れてしまった。

店内には、ケーキや焼き菓子はもちろん、食パンやクロワッサン、ドーナツ、そしてカレーパンや冷凍のカレールーまで。外を歩く人はほとんどいないが、お店にはぽつりぽつりとお客さんがやってきて、パンやお菓子を買っていき、夕方には売り切れてしまう商品もある。

店頭に立つ中野さん(左)と、店長としてお店を仕切っている未琴さん。いつもは中野さんと妻の未琴さん、ほかに2人の従業員でお店を回しているが、忙しくなると友人や知人らに頼んでアルバイトに入ってもらっている。
『中野商店』の前の通りの様子。季節が冬だからだろうか、ほとんどの人は車で移動していて、歩く人の姿を見かけない。

このお店を営んでいる中野巧都さんは、生まれも育ちも北海道札幌市。小学校3年生から柔道を始め、柔道の強い国立大学を二度受験したが合格は叶わず。どうしようかと考えていた時に、地域おこし協力隊を知った。「ずっと柔道三昧で、アルバイトの経験もほぼなし。自分に何ができるかもわかりませんでしたが、協力隊の仕事には興味がわきました」。中野さんは当時19歳。多くの自治体の募集年齢が20歳以上の中、中頓別町の”おおむね“20歳という条件を見て、「これならいけるかも」と2015年3月半ばに応募。すぐ面接に漕ぎつけ、同年4月から3年の任期で、晴れて中頓別町で働くことになった。中頓別町役場で当時地域おこし協力隊を担当だった永田剛さんは、「この町を選んできてくれたことがうれしかったですし、『がんばりたい』という気持ちが伝わってきました」と中野さんとの出会いを振り返る。

時に励まし、時に叱って中野さんを支えた永田さん。「地域おこし協力隊終了後もなんとか着地してほしい」と願っていた。

着任してすぐは、移住・定住や空き家バンクの仕事をしていた中野さん。転機が訪れたのは2年目だった。中頓別町商工会の人たちと一緒に、酪農が盛んな中頓別町産の牛乳を使ったお菓子を開発した。評判がよく、商品化に向けて製造場所を探していた時に出合ったのが、創業75年の歴史ある町のお菓子屋さん『とらや』だった。初めは厨房を借りるだけのつもりだったが、廃業を考えていた店主の三浦陽一さんから「うちの定番商品も一緒につくれないか」と持ちかけられた。中野さんは2日考え、「やります」と返事をした。「商品開発を通して、この町で何か商売ができればと考えていましたから。お菓子づくりは未経験でしたが、なぜか不安はなかったですね」。

3年目は、永田さんの協力で地域おこし協力隊の仕事として『とらや』の事業継承を行うことができた。先代の三浦さんが札幌に引っ越すのは10月。引き継ぎの時間はわずか5か月だった。「『とらや』には和菓子、洋菓子、パンなどたくさんの商品がありました。レシピは用意していただきましたが、先代が感覚でつくっているところもあります。工程をビデオに撮って何度も見返しました」。10月以降は店舗のクリーニングや改修を行った。「永田さんは、家族や友人総動員で行った厨房の壁塗りにも参加してくれて、本当に感謝しています」。11月には地元出身の未琴さんと結婚し、一緒に開店の準備に奔走した。

結婚して勤めていた浜頓別町役場を辞め、『中野商店』の仕事に専念した未琴さん。中野さんをサポートしようと通信教育で1年間製菓を学んだ。
パンやケーキの生地を練るブレンダーも、先代から譲ってもらった。

こうして18年4月、『とらや』の看板の代わりに『中野商店』のロゴがお店を飾った。そして中野さんが『とらや』を継ぐ話は、すでに町に広がっていた。「(未経験の若者が継いで)本当に大丈夫か?」「いやいや、若い人に代替わりするのはいいこと」。両方の意見がありながらも『中野商店』への関心は高く、オープン時には中頓別町だけでなく周辺の地域からも多くの人が訪れた。しかし、生どら焼きは皮を焦がしてしまい商品にならなかったり、商品が間に合わなかったり。もっとしっとりさせようとレシピを変えた『天北原野』は「前のほうがよかった」とも言われた。それでもお客が減ることはなく、多くの人が中野さんを応援する気持ちで買い支えた。「それがなければ続けられなかったですね」と中野さんは感謝の気持ちを表す。

「僕が『とらや』を継承したのは、地元への愛着が強い妻の影響もあったと思いますが、味を受け継ぐ、というよりも長年町の人に愛されてきた場所をなくしたくない、という気持ちが大きかったです。例えば、毎年『とらや』のケーキで誕生日やクリスマスをお祝いした人にとって『とらや』がなくなるということは、その思い出も一緒に語られなくなってしまうこと。でも『中野商店』が残れば、その思い出も受け継がれるのかなと」。買うことで『中野商店』を支えた町の人たちにも、同じ思いがあったのかもしれない。

ここまで苦労もあっただろうが、「中頓別の暮らしはおもしろいですよ」と屈託のない笑顔を見せる。それが魅力的だ。

中頓別町を拠点に、宗谷地方での知名度を上げる。

オープンから1年が経った19年、中野さんは新しいことに挑戦した。キッチンカーでのカレーの販売だ。「中頓別町だけでは商圏が小さいですし、待つだけでなく出ていって『中野商店』を知ってもらおうと思いました。実は先代も若い頃に宗谷地方を回って商売をしていたことがあったそうです」。その話の記憶がキッチンカーにつながったのかもしれない。そのキッチンカーで出すカレーは、北海道と言えばのスープカレーかと思いきや、中野さんが小学生の頃に自分でつくっていたルーカレー。鶏胸肉を圧力鍋で軟らかくし、裂いて具にしている。中野さんにとっては懐かしい味だ。忙しい時期には2日に1回、現在は月に10回ほど、北は稚内市、南は名寄市までの範囲に足を延ばしている。また冷凍したカレールーを店頭で販売し、揚げたてのカレーパンも提供していて、『中野商店』の品揃えを充実させている。

2021年には、中野さんの両親が『中野商店』から50メートルも離れていない場所にお茶漬けの店『里芋と蜂蜜』を開いた。元々、田舎で暮らしたいと考えていた母の春香さん。中頓別町に土地があると聞き、札幌から移住した。父の規さんは「息子のやることに反対したことはありませんが、私も会社を経営していたので、事業を継ぐことは大変だろうと思っていました。開店当時の苦労も知っているので、そばで見ていられたらという思いもありました」と移住を決めた心の内を語る。春香さんは、「いつまでも『中野商店』の親でいるつもりはありません」とキッパリ。「お互いに切磋琢磨しながら、成長していきます」。

たまたま辿り着いた中頓別町に来て9年。お店を始め、結婚し、町の課題も見えてきた。「自分の店のことだけを考えるのではなく、町に足りないところに手を伸ばしていきたいですし、僕らのように中頓別町で何かやりたいと考えている人たちを増やしていきたい」と中野さん。夢は『中野商店』から、宗谷地方のお土産といえばコレ、と言われるお菓子をつくることだ。

『中野商店』・中野巧都さんの、ローカルプロジェクトがひらめくコンテンツ。

Online Salom:西野亮廣エンタメ研究所
西野さんのエンタメ活動がおもしろくて、会員になって見ています。そこで私が発言するわけではないのですが、僕らの仕事に何か生かせないかな、と。SNSはジャンルに関係なく流し見をして、その中からおもしろいものを見ています。

Website:地方公務員noteクリエイター・新家拓朗さん
キッチンカーで猿払村に行った時に出会った、村役場の新家さんが書く『note』の記事。同じ宗谷地方の村なので環境は似ていますが、中頓別町とは違うことに取り組んでいる、そんな人の普段の姿を知ることができて、とても刺激になります。

YouTube:【カレー専門店】円山教授。
2023年に2週間ほど研修させてもらった札幌市のカレー屋さん。積丹町でウニ漁とウニ丼のお店をやりながら、札幌ではカレー屋を手がけています。田舎に拠点がありながらマスに向けた商売もしていて、商売への視野を広げてくれました。

photographs by Keisuke Harada text by Reiko Hisashima

記事は雑誌ソトコト2024年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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