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場づくり・コミュニティ

「ここで宿題してもいいですか?」まちの人たちが、つい長居したくなるMow薬局

山﨑 陽弘(やまざき あきひろ)

山﨑 陽弘(やまざき あきひろ)

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東京23区よりも広い土地に約14,000人が暮らす北海道・別海町で、2021年に開業した「Mow(モウ)薬局」。その薬局を経営する管理薬剤師の川嵜晋(かわさき しん)さんは、遠く離れた福岡県柳川市出身の52歳です。約20年間、町唯一の病院で薬剤師として勤めたのちに独立、開業しました。人口減少が進み、医師・医療者不足に悩む地方の町で、あえて独立開業した川嵜さんに、これからの地域医療を支える理想の薬局・薬剤師像について語っていただきました。

目次

オーストラリア生活時代に見つけた、理想の薬局


管理薬剤師の川嵜さんは、九州でひとり暮らしをしていた母を別海町に呼び寄せ同居している。

― 福岡県出身である川嵜さんが、遠く離れた北海道の町で薬局を開業するに至った「いきさつ」を教えていただけませんか。

川嵜晋さん(以下、川嵜)  実家は柳川市で、薬局を営んでいました。子どもの頃から、父が薬を調剤する姿を当たり前のように見ていましたが、自分があとを継ぎたいという気持ちはまったくありませんでした。薬局独特の漢方薬というか、あの特有の匂いが少年時代は嫌だったんでしょうね(笑)。

自宅には両親が好きだった古い家具があり、私もその美しさに興味がありました。輸入家具の仕事に携わりたいと考え、地元高校を卒業後に語学学校に通い、19歳の時に大学で経済学を学びながら商売を学ぼうとオーストラリアに渡りました。実際に現地で就業もしたのですが、当時の日本はバブル経済が破綻した直後。日本での商売を経験したことのない自分に、高級な家具を仕入れ、販売することができるのか不安を覚えました。


オーストラリア時代の川嵜さん。言葉も文化も違う場所での生活は、自身の価値観を大きく変えた経験だったと話してくれた。(写真は川嵜さん提供)

― そこから「薬剤師を目指そう」となったきっかけは何だったのでしょう?

川嵜 オーストラリアでは在学中も含め、パースという街で6年過ごしたのですが、生活中に小さく体調を崩すことがありました。風邪を引いた、とかですね。日本だと「まず病院へ」だと思うのですが、オーストラリアでは「まずは地域の薬局へ」と考えるのが一般的で、地域の薬局を訪ねて薬剤師と相談し、そこで事足りるなら薬を買って養生する。医療機関の受診が必要なら、薬局から医療機関に繋いでもらいます。地域の薬局が「健康の相談窓口」を担っていたのです。

さっき話したように、薬剤師になるイメージは持っていませんでしたが、私はその姿を見て「これだ!」と感じました。

その頃から、人口減少や地方の医療資源不足の問題が日本で起こることは想像できていたので「日本各地、もちろん故郷でも必要な考えになるはず」「これが地域に必要とされる薬局と薬剤師像だ」と直感しました。

幸い、薬剤師の仕事は父親を見て知っていたので、目指す未来を変えることに戸惑いはありませんでした。日本に帰国したのち、名古屋にある大学でリスキリングして薬剤師となりました。

別海町の病院に20年勤務。薬剤師の理想を求めて開業


「人の8倍、牛の居るまち」別海町。町の至るところで、大自然が感じられる。

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