「ただいま」は一度その場を離れて、初めて使う言葉できる言葉だ。その言葉を使いたいと誓ったまちが、北海道美唄市だった。
1年2か月の美唄市
北海道美唄市を知っていますか。
「北海道に転勤になった」とパートナーから言い渡されるまで、私は存在を知らなかった。北海道出身のパートナーも「どこ?」という始末であった。
そもそも、「美唄」を何と読むか?
正解は「びばい」である。……読めるか!
市のホームページやWikipediaを漁って最初に感じたのは「凄く田舎」だということだった。とはいえ、同じくらいの田舎町でのほほんと楽しく暮らしていた私にとっては、都会から移住するよりも不安は小さかったとはいえ、知り合いゼロの車なし移住生活に、私は楽しく過ごせていけるだろうかとびくびくしていた。
そんなスタートを切った北海道美唄市移住は、短くも1年2か月で終わりを迎えた。2023年5月から2024年7月の暮らしだった。
移住早々、自分が望んできたわけではないけど、どうせ暮らしていくならこのまちで楽しく暮らしたい! と歩ける範囲でいろんなお店をGoogleマップを駆使して探したり、直接訪ねたり、市民向けワークショップに参加したりととにかく動きまくっていた。ちゃんと30℃を越える夏の日も膝上まである雪道を踏みしめる冬の日も。
私は幸せ者で、行く先々、出会う人たちは温かく受け入れてくれた。次第に珈琲を飲むだけでなく、家族のことや将来のことを相談したり、一緒に月1でイベントをしたり、遊びに行ったり。お別れのときにはたくさんの人が集まってくれて、あまりにも恵まれたご縁に大人げなくボロボロ泣いたのを覚えている。
「いつでも帰っておいでね」
そう言って笑ってくれることのありがたさたるや。
初めて自分で選択していない移住先がこのまちでよかったと心の底から思えた。たった1年と少しだったけれど、私にとっては特別な場所で自分の中では「ただいま」と言いたいまちになっている。
まだ住んでいたい! と地団駄を踏みながら、私は2024年7月より道東の北見市にパートナーの転勤を理由に移住した。
カムバック美唄
移住して1か月も経っていない頃、地元の鹿児島県いちき串木野市で地域おこし協力隊をしている友だち、カノンから連絡があった。本業のライティングのノウハウを教えてほしいというもので、あーしよこーしよと言っている間にカノンが北海道に来てくれることになった。
「マリカが住んでいるまちを案内してほしいな」
この言葉に私は、即、美唄市集合を決めた。本当なら今住んでいる北見市を選ぶべきかもしれない。でも、私にはできない。だって、まだ何も知らないんだもの。それなら1年2か月なりに触れてきた美唄を紹介しようじゃないか。お世話になったお店や人たちをリストアップして2泊3日の美唄アテンド旅を決行した。
特急を乗り継いで4時間。道内とはいえ、他の県とは規模が違う。試されるのは大地。人もまた然り。
乗り物酔いも吹っ飛ぶほどアドレナリンを大放出させながら美唄に到着し、その後、カノンと合流した。合流したのは夕方。鹿児島からは1日がかりの移動で、美唄旅初日はお世話になった美唄シティプロモーションの取り組みを見学した後、ご当地グルメ「美唄焼き鳥」を堪能すべく元祖美唄やきとり福よしへ。道内にいくつか店舗があるが、もちろん案内したのは美唄本店だ。
これぞ地元から愛される老舗! という雰囲気漂うお店で、地元客からはテイクアウトも人気で大量の焼き鳥がいつも焼かれている。炭火と鳥の脂と塩コショウのガツンとしたいい匂い。美唄焼き鳥は通称「モツ串」と言って、いろんな部位が一本に刺さった焼き鳥が主流だ。味付けは濃いめの塩コショウで、かつて炭鉱夫たちはこのモツ串を食べて活力を養っていたのだろうなと食らいつきながら想像する。
福よしのもう一つの定番は鶏だしそばで、余った串をそばに入れて食べる。美唄に住んでいたときは毎度試そうとしながら、どのメニューも美味しく食い意地を張りすぎて、そばに辿り着けないことがしょっちゅうだった。しかし、今回はそういうわけにはいかない。友だちを連れてきたからには辿り着いてみせる! と相変わらず食い意地を張りながらも気持ちはフードファイターだった。
二軒目の勇華でお酒を一杯飲んで、北海道といえば外せないコンビニ「セイコーマート」でとうきびソフトとメロンソフトを買って夜長を楽しんだ。
2日目は、開館早々に美唄市郷土資料館へ。炭鉱で栄えた美唄市の歴史をまるっと知ることができる場所だ。キャプションもたくさんあって、読みごたえも抜群。見た目だけでなく中身もしっかり知りたい人も満足できる。ちょうどパリオリンピックが終わって間もなかったこともあって、パリオリンピックの柔道で銅メダルを勝ち取った美唄出身永山選手の特設ブースもあった。ここもなかなかの見ごたえで、美唄市民が一つになって応援したその熱量がぐぐんと伝わってきた。
お昼は、何度通ったか分からないほどお気に入りの喫茶店、日用品と喫茶Tapeでお昼ご飯。店主のユカさんのはつらつとした笑顔に、嗚呼、帰ってきたなあとじんわりと胸が高鳴った。
期間限定のお食事や自家製シロップのドリンクなど、とにかくメニューが豊富。それでいて、外れがない。悩み悩んで、スイカとトマトのソーダと夏膳茶、おすすめ調味料を使ったフォー、大人気のホットサンドを楽しんだ。フォーは優しい味で胃が癒されるし、スイカとトマトのソーダは、この組み合わせがこんなに合うのかと驚くレベルで美味しい。夏膳茶は疲れた体をシャキッと起こし、ホットサンドは安定で美味しいし小ぶりに見えて満足感は最高。そして並んでいる商品の可愛さたるや。気になる食品も多いし、日用品もとてもキュート。
暮らしを抱きしめたい人には絶対おすすめしたいお店だ。カノン以上に興奮して楽しんだ気がする。
腹も心も満たした後に向かったのは、メガネの三愛。初めて眼鏡をもっとファッションとして楽しもうと複数眼鏡持ちデビューを果たさせてくれたお店だ。
国内外からセレクトされた眼鏡が集まり遠方からもお客さんが訪れるお洒落な眼鏡屋さんで、顔やファッション、ライフスタイルに合わせて眼鏡を選んでくれるのだけど、曖昧にせずスパンッとアドバイスしてくれるので信頼感が半端ではない。もうついていきますと宣言するし、今度、また眼鏡を買うときも眼鏡選びをお願いしたいお店で、そのお店を営む倉知夫婦の自己肯定感を上げてくれる巧みな話術が大好きである。
今回は買い物ではなく、友だちを紹介したいと理由で来店したにも関わらず、親切なことに1時間半もお店の話や眼鏡選びのお話、最近の身の上話にも付き合ってくれて、本当に至れり尽くせりな時間を過ごした。一種のテーマパークだ。眼鏡をがっつり探したい人にも、ちょっとどんなもんかなと興味段階の人でも立ち寄ってもらいたい。視力が頗るいいカノンは「眼鏡はそこまでだけど、サングラスはいいなあ」と少し揺らいでいた。
倉知夫婦に笑顔で見送られ、小走りで徒歩圏内にあるmedoki storeへ行き、ドライフラワーがお洒落に吊り下げられているその下で、コーヒーを飲みながら今回の目的であるライティングプチ講座をマンツーマンで実施した。実は、medoki storeはこの美唄アテンド旅で2度目の来店だった。1度目はカノンを待つ間のコーヒータイムに来店。半年ほど毎月一緒にイベントをさせてもらっていた大変お世話になっているお店で、一足先に挨拶に来ていたのだ。
柔らかい笑顔でくれる「おかえりなさい」に元気よく「ただいま!」を返した。コーヒーと新作のベーグルを満喫した1日目からは想像できないバッタバタの2日目来店。後にある予定により40分ほどの滞在だったが、どんな状態でもスルッと合わせてくれるあの空気感はmedoki storeだからこそだ。この日も「いつもありがとうございます」が腹の底から出た。
ドタバタ早口なライティング講習の後は、お世話になった美唄シティプロモーションを担当している地域おこし協力隊のアヤカさんとアルテピアッツァ美唄へ。炭鉱で栄えた時の面影を残すリノベーションされた旧小学校に美唄出身の彫刻家、安田侃の彫刻が散りばめられている芸術広場だ。鹿児島県甑島で宿をしている知り合いもわざわざ行く知る人ぞ知る触れ合える美術館である。
敷地内にあるカフェアルテで、ハーブティーやソフトクリームを楽しみながら、美唄シティプロモーション事業についてじっくり話を聞いて、その後は雑談をしながらみんなで広場の松ぼっくりを拾った。外にある彫刻を眺めながら「どれが好き?」「私はこれが好き」と言い合ったり、彫刻に腰掛けて記念撮影をしたり。美術と自然と自分との距離がぐんっと近くに感じられる。相変わらず何度も訪れたくなる美術館だ。次は銀世界の冬時期に行けるのを夢見て。
あっという間に訪れた夜は、美唄のみんなとBBQをして過ごす。9月頭と言えど、美唄の夜は寒い。半袖ではいられないのでみんなぶ厚めのトレーナーやパーカーを着込んで参戦していて、一部、半袖で参戦したメンズは炭火で温まっていた。その横で半袖組であるカノンだけがケロッとしていた。なんでやねん。
「美唄に友だちを連れてこようと思ってて」と連絡をした友人、真船さんが「BBQをしよう!」と人を集めて実現したこの夜。彼のフッ軽さとネットワーク力にどれだけ助けられたか分からない。
「なんの集まりか分からないけど乾杯!」
そう言って乾杯してくれたけど、その緩さが、まるで自分も目の前にいる人たちとの日常の延長線上にいるような気がして、私にはとてもありがたかった。
3日目は隣町の岩見沢市でカノンの知り合いと合流し、岩見沢に触れる1日を過ごした。この日も最高の1日だったけど、この日のことはまたいつか。
つまり、美唄アテンド旅は実質2日間の凝縮プランだった。まだまだ紹介したい場所や人はたくさんいたけど、また行きたいなと思ってもらえたら、そのときこそは紹介して回りたい。本当に、紹介したいところがたくさんあるのだ。
電車の時間もあって、カノンとはバタバタと別れてしまったけど、「紹介させてくれて本当にありがとう」と最後の握手にめいっぱいの感謝と力を込めた。
グッバイ、カノン。
グッバイ、美唄。
ただいまを向けるまち
タイムスリップでもしてしまったか? と思うほど、あっという間に過ぎた美唄での時間を、電車で一人揺られながら思い返す。私は、あのほんの少しの時間でどれだけ「ただいま」と言えたのだろうか。
普段、家にこもっていることもあって「ただいま」をほとんど口にしない私が、あの2日間ばかりは北見で過ごし始めた日数分よりも多く「ただいま」を言っていたことは明らかだった。
「ただいま」は一度その場を離れて、初めて使う言葉できる言葉だ。
そして案外、簡単には口から出ない言葉でもある。自分が戻ってきたいと思って戻ってくる。そして、戻る場所にいる人たちとの関係性。絶妙な心の絡み合いが「ただいま」を生む。そして相手にも通じて「おかえり」が生まれる。
「ただいま」と「おかえり」が交わされる場所。それはいつだって、自分が心を拠り所にしていて休める場所で「帰ってきた」と思える場所じゃないだろうか。
でも、自分の心が許す場所なんて簡単には見つからない。自分の心に嘘はつけないのだから、見つけようと思っても見つけられるものでもない気がする。
そんな簡単ではない「ただいま」を向けるまちと、私は運よく出会って、同時に「おかえり」を受け取れるまちにも出会ってしまった。こんな幸せなことはない。
「ただいま」と言いたかったまちに「ただいま」と言えた今回。これがずっと続いていけたらどれだけ幸せだろうか。
離れていても、私は私のいる場所で、このまちと繋がっていたい。そのためには私は何ができるだろうか。時折遊びに行く。友だちを連れて行く。仕事をする。そのほかにもっともっと繋がり方はあるはず。それを模索し続けて、動き続けて、また、美唄に訪れたとき、みんなに「ただいま」と言いたい。
そして、これから先も「ただいま」を向けたいまちが増えていきますように。