日本では、年中どこかしらでお祭りが行われている。特に秋、米などの主要作物の収穫が終わってからは、怒涛のお祭りラッシュとなる。
高校卒業後上京し、そのまま関東で就職した私は、頻繁に転居を伴う転勤があり、各地の祭りに触れる機会があった。地域独自の祭りは初めて見る私にとって興味深く、また共通して賑やかなので楽しく見物したものだ。だが何処の祭りにも、一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。それは賑やかな祭りが終わってしまった寂しさではなく、別な種類の感情だ。
昔の歌に「他人の街の祭りにうかれ」(海援隊『故郷未だ忘れ難く』より)という歌詞がある。そう、転居を繰り返す私には、何処の祭りも「他人の街の祭り」だったのだ。自分を根無し草のように感じるこの感覚。それは祭りのときだけに限ったことではない。否応なく迫ってくる定年という「ゴール」。人間関係の大部分を会社という組織内で培ってきた半生。そして退職後も続く自分の人生。世間では中年の危機と言われるものかも知れないが、名前のあるなしに拘わらず、当人には切実な問題だ。
だから、というわけではないが、私はいま会社を辞め故郷に居る。そして祭りの季節がやって来た。今年自分にどういう感情が沸きおこるのかは分からない。だが、これだけは言える。いつかは「自分の祭り」と思えるようにしてみせる、と。
始めて触れた 君の唇 遠くに聴こえる 祭りの囃子 祭囃子 遠い昔
岩の神殿 琴の音響き 神々降り立つ 琴引山(ことひきやま) 琴引山 永遠に
虹の彼方に ブナの樹海 雲海たなびく 大万木(おおよろぎ) 大万木 雲の源
女神の涙 尽きせぬ想い 生命(いのち)潤す 神戸川(かんどがわ) 神戸川 清らな流れ
*ハワイの歌「カイマナヒラ」の島根県飯南町未公認替え歌『ことひきやま(琴引山)』(作詞:Shake Maedahiro)