MENU

ソトコトペンクラブ

旧東海道「品川宿」界隈で江戸の賑わいの名残に触れる

上町嵩広(カミマチタカヒロ)

上町嵩広(カミマチタカヒロ)

  • URLをコピーしました!
目次

ぶらぶら歴史さんぽ@東京 (0003)

徳川将軍のお膝元・江戸の玄関口として栄えた品川宿は旧東海道の宿場町。いまもその道筋が残り、また古くからの寺社や史跡が多く点在し、江戸時代の風情を感じることができる歴史散歩道です。

<概要>

品川宿 (しながわしゅく)
所在地: 東京都品川区
江戸時代の東海道五十三次の宿場のひとつ。現在の京浜急行「北品川」駅から同「青物横丁」駅あたりまでにあった。
江戸時代には参勤交代で通行する大名家も数多く、また行楽で訪れる人も多かったため、旅籠や茶屋が軒を連ねていた。

<お散歩コース>

京浜急行「北品川」駅を起点に京都方面に進路を取り「立会川」駅の少し先あたりまで南下していきます。旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会が作成された「まち歩きマップ」をもとに、品川神社や品川寺などを訪ね歩き、そして旧東海道の道なりと地勢などを手掛かりに江戸時代の街道の様子に思いをはせながら歩いてみました。

■波打ち際に作られていた旧東海道の道筋

旧東海道・品川宿の案内図。

「北品川」駅からスタートです。すこし北へ、品川駅方面に遡るように線路を渡ると東海道品川宿の全体像がわかる案内看板が掲示されています。「なるほど」とよく分かります。

旧東海道の道筋は緩やかにうねっている。

ふたたび反転して南へ旧東海道の道筋を進みます。旧東海道は国道15号そして京浜急行線の線路と並行するように続きます。いまでも地元密着型の商店街としてその賑わいの姿を残し続けています。歴史ある古道らしく道は緩やかにうねりながら伸びていきます。

旧東海道の道筋から東側への横道はなだらかに下っている。
海からの護岸のための石積。

まず気付かされるのは左手(東側)がなだらかに傾斜して土地が下がっていること。江戸時代の東海道は海岸線間近に道が付けられていたそうです。つまり土地が下がっているのはその先がもう海だったから。いまは埋め立てられ造成された土地に数多くの住宅やビルが林立しています。現在でも一部分に護岸のために築かれた石垣が残されており実際に目にすることができます。

品川宿であったこの一帯はあちこちに寺社や史跡等の説明や案内が設置されており、公園、橋梁や街灯なども江戸時代の風情を感じさせるような建物や造作・装飾が配慮されています。30年以上前に「旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会」が組織されて歴史的景観を生かした地域の活性化が取り組まれてきた成果でしょうか。

■こて絵が見事な善福寺から好展望の富士塚のある品川神社へ

善福寺に残された”伊豆の長八”の鏝絵 かなり剥落している。

旧東海道を進むと右手に善福寺というお寺さんがあります。こちらはお堂に”伊豆の長八”(入江長八)という鏝絵(こてえ)の名工が残した漆喰で造形された絵とも彫刻とも似て非なる独特の細工を見ることができます。当時の職人さんの傑出した技巧に感心させられました。

品川神社の参道の階段は急斜面。
品川神社内の富士塚。

旧東海道からちょっと外れて西の国道に出ると品川神社があります。路面から突如立ち上がったかのような断崖さながらの急傾斜の石段が聳えています。石段を上がっていくと途中の左手に富士塚がありました。富士塚に登頂すれば東側に展望が大きく開けています。いまは多くのビル群が立ち並んでいますが、当時は江戸前の海を広く遠くまで見渡せる絶景地だったのではないでしょうか。

富士塚は江戸時代に盛んになった富士山信仰のひとつです。当時、富士山へ実際に行くには大変だったため、富士塚を登れば富士山を参拝したのと同じご利益が得られるとされていました。いまでも東京にはいくつもの富士塚が残されています。

旧東海道の道筋から左右に伸びる細い路地。
品川宿界隈の野良猫(?)。

旧東海道に戻ります。道筋には左右に細い路地がいくつも伸びています。ちょっと好奇心からそちらを覗いてみるとなかなか風情があります。地元住民の生活の道といった趣きで猫がのんびりと闊歩していそう。江戸時代の裏長屋を思わせるような造りの建物がところどころ残っているところもありました。

まるで映画のセットのように古風な造形の商店。
古い構えの寺社が旧東海道の道筋に多く点在する。

旧東海道の北品川駅から立会川駅までに至るこの一帯はまだまだ古くからの住民の生活のための街という雰囲気が残っています。リニア新幹線駅ともなり再開発が進む品川駅、湾岸部の現代的な天王洲アイルや品川シーサイドといったゾーンからはぽっかりと取り残されたような場所です。

■目黒川を渡り鈴ヶ森刑場跡へ

目黒川 荏原神社に架かる赤い橋が印象的
品川寺の大きなお地蔵様。

先へ進んで目黒川を渡ります。品川宿は目黒川を境に北品川宿と南品川宿に分かれておりました。さらに歩いて行くと左手に品川寺が出てきました。ここには江戸六地蔵に数えられる大きな青銅のお地蔵様が造立されています。街道の安全を祈願したものだそうです。

品川宿はこのあたりで終わっていたそうです。現在も青物横丁駅のあたりを過ぎていくと次第に街の賑わいも落ち着いてきます。商店の数がすこしずつ減っていき住宅が増えていく印象です。街自体も品川から大井町の領域に入っていきました。

鈴ヶ森刑場跡。

立会川に架かる浜川橋を越えると右手に鈴ヶ森刑場跡が見えてきました。江戸時代に罪人が処刑された場所です。いまはいくつもの供養塔が立っています。この先、旧東海道の道筋は国道15号に吸収されるように痕跡が消えます。ここで旧東海道と品川宿をたどる散歩はいったん終了です。

最近の都市整備では道は直線に敷き直されたり、土地の高低差は利用しやすいように平坦に造成されてしまうことも多いです。そのため自然の地形や地勢を活かした街の古来からの雰囲気は消されてしまいがちです。旧東海道・品川宿はそのような最新の整備の影響をまだ受けていない貴重な場所ではないでしょうか。地域の歴史的景観を生かした街づくりがうまくいって、この先もこの街の雰囲気が保存されて残ってもらえるといいなーと思います。

品川宿近辺は短い距離と小さな地域の歩いて回れる範囲のなかに数多くの寺社や史跡が密集しています。今回ご紹介したほかにもまだまだ見所がたくさんあります。何度おとずれても飽きることがない魅力を感じました。旧東海道・品川宿の散歩は歩きながら江戸時代のからの歴史と風情を感じて楽しめるショートウォーキングだなーと思いました。

[行程表]

※標準的タイムによる目安(休憩・見学などを除く)
京浜急行「北品川」駅→ 善福寺(5分)→ 品川神社(7分)→ 目黒川(7分)→ 品川寺(15分)→ 鈴ヶ森刑場跡(30分)
コースタイム/ 1時間10分程度
歩行距離/ 約3km

[アクセス]

●往路
京浜急行「北品川」駅から徒歩
●帰路
鈴ヶ森刑場跡から京浜急行「立会川」駅まで徒歩15分、同線「大森海岸」駅まで徒歩10分。
※「品川」駅(高輪口)から「北品川」駅までは徒歩15分。

<補足情報>

要所にある公園などに公衆トイレが設置されています。
道のりはおおむね平坦です。
京浜急行線にほぼ並行していますので適宜、途中の駅(北品川駅から大森海岸駅)で乗降できます。
新馬場駅近く、目黒川に架かる品川橋そばに「品川宿交流館本宿お休み処」があり、各種パンフレット等が備置きされまた情報提供いただけます。

<コースマップ>

旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会よりガイドマップが提供されています。旧東海道にある「品川宿交流館」で同マップを入手することもできます。
リンク先: まち歩きマップ (旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会)

<参考リンク>

しながわ観光協会 ※公式サイト

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね
  • URLをコピーしました!

関連記事