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サスティナビリティ

連載 | 森の生活からみる未来

我が人生を狂わせた鱒族とは❸

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降海型の鮭に対して、鱒は一生を淡水域で過ごす「陸封型」であると前号で書いた。だが、多くの鱒族にも、実は海に下る習性があることを知る人は(釣り人を除き)あまりいないだろう。この習性こそが、生物学上の分類が難しい鮭と鱒の違いをより難解にしているのだ。

日本の鱒族でおそらくもっとも有名なのは、源流域に生息する岩魚だろう。そう、彼らの一部も海に下るのだ。通常であれば、川で育つ最大サイズが50センチほど。ちなみに、悲しいことに、乱獲と環境破壊によって、川でこの大きさの岩魚は近年ほぼ見かけなくなった。釣りをライフワークとしてきたぼくでさえ、この大きさは釣ったことはなく、一度だけ岩手の源流で目撃しただけ……だ。そして、海へ下る岩魚たちは、なんと60〜80センチまで大きくなり、雨鱒と呼ばれるようになる。

ちなみに、ほかの鱒族も同様に、一部が海に下って大型化し、名前も変化する。渓流魚の山女魚桜鱒天女魚皐月鱒と呼ばれる。そして驚くことに、湖で人気の姫鱒の降海型は、紅鮭なのである。余談だが、これら鱒族に付けられた名前の響きと漢字に、詩的とも言える、日本伝統の美意識を感じられないだろうか。

欧米の鱒族にも同じ習性がある。虹鱒の降海型はスチールヘッドと呼ばれ、ブラウントラウトはシートラウトと名前を変える。彼らは凄まじいほどに大型化し、1メートルを超えるものもいるのだ。なお日本には、𩹷(魚偏に鬼と書く!)という、地球上最大の鱒族がいることをご存じだろうか。残念ながら、今では絶滅危惧種となってしまい、北海道の一部にしかいない。彼らも降海するが、なんと最大2メートルにまでなることを付け加えておこう。そして、タイメンと呼ばれる彼らの仲間は、広大なロシアやモンゴルには豊富にいる。

鱒族によってその割合は違うらしいが、環境さえ許せば必ず一定数は命懸けで海を目指すという。その理由は諸説あって正式にはまだ解明されていないが、DNAにプログラムが組み込まれているから、というのが現時点での最有力説だ。

鱒族を四半世紀も追いかけてきたぼくの直感では、これが正解なのではないかと思っている。そして、それは種の保存を目的としているのではないかというのがぼくの意見だ。海は、川や湖よりも餌が豊富な半面、外敵も多い。片や、淡水域は餌が少ない半面、外敵が少なくて安全性が高い。それぞれの水域に子孫を送り込むことで、絶滅リスクを回避することが可能となる訳だ。

鱒族のこのミステリアスな習性に、強いロマンティシズムを感じるのは、ぼくだけだろうか。そしてなにより、釣り師のぼくとして、降海する鱒族がとんでもなく巨大化する点に興奮してしまうのだ。実際に釣りの世界では、この「降海型の鱒族」を追い求めているうちに人生を棒に振る人間は決して少なくない。ちなみに、ニュージーランドの湖の畔に移住してきたぼくは、「湖の鱒族に人生を捧げてきた釣り人」と言えるだろう。

この配色こそが、「虹色の鱒」と名づけられた理由だ。鱒族ナンバーワンと言われる強い引きも、僕を強烈に魅了する。
この配色こそが、「虹色の鱒」と名づけられた理由だ。鱒族ナンバーワンと言われる強い引きも、僕を強烈に魅了する。

鱒族を追い求める狂信的な釣り人のことを欧米では、「トラウトバム」と呼ぶ。直訳すると「鱒マニア」だが、わかりやすく解説するならば、「鱒に取り憑かれた世捨て人」となる。そして何を隠そう、湖の虹鱒こそが、ぼくの人生を狂わせてきたのだ。つまりぼくは、「レイクレインボートラウトバム」となる訳だ。

最後に大切な話を。
ぼくが暮らす湖には虹鱒しか生息していない。そして、ここにはワールドクラスの大物が無数にいる。それを求めて、ニュージーランド国内はもちろん、世界中のトラウトバムたちがやってくるのだ。

かなりマニアックな話が大半を占めてしまったが、なぜ、ぼくがすべてを捨てて、この湖に移住してきたかが伝わったならば幸いだ。

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