戦後間もない時期から衛生・環境・健康の向上に貢献する製品づくりに取り組んできたサラヤ株式会社。私たちの暮らしのなかでも「ヤシノミ洗剤」に代表される家庭用洗剤の他、学校や公共施設、食品関連施設、医療・福祉施設など業務用の分野でもさまざまな製品を供給している。2020年からの新型コロナウィルス感染症の中、「アルコール手指消毒剤」などで一般家庭からプロの現場の感染対策に取り組んできた、つくり手が見つめているものは何か。同社の廣岡竜也さんにお話をうかがいました。
社会問題の解決を目指すことが、昔も今もサラヤのものづくりの原動力
廣岡竜也さん(以下、廣岡) サラヤの歴史は1952年に、手洗いと同時に殺菌・消毒ができる日本初の薬用石けん液をつくったところから始まります。これは、当時流行した赤痢から全ての人が平等に逃れる手段のためのものでした。
廣岡 かねてより、国内外で、手洗いと手指消毒の重要性を啓発してきましたが、より一層意識を高く持って向き合う方が増えたと感じます。もっともわかりやすい例が、ご家庭での消毒ですよね。手指の消毒が新習慣として定着したと感じています。
ソトコト 確かに、家庭や外出先での消毒は、もはや日常的な風景となりました。
廣岡 サラヤの製品は、これまでも病院などの医療機関や商業・公共施設など、プロの現場での使用率が高かったのですが、ご家庭にもサラヤの製品を導入してくださる方が増え、「プロが選ぶメーカーだから安心」と、あらためてサラヤを評価してくださったお客様も多くいらっしゃいました。きっかけが世界的な感染症の流行ということで、もろ手をあげて喜べることではありませんが、サラヤがこれまで続けてきた開発や啓発に対する姿勢を評価していただく機会になったかなと感じます。
廣岡 感染症流行よりも前からの話になりますが、デザインの考え方です。暮らしの中に取り入れてもらうために大切なのが、日常生活に調和するデザインですが、その一方で、スーパーマーケットやドラッグストアの店頭では、目立って手に取ってもらえるようにしなくてはなりません。
これは「ハンドラボ」という商品のことですが、この「ハンドラボ」はパッケージに大きく「ウイルス・細菌に効く」と書いてあるんです。テレビCMを大量に流す競合に対し、イメージではなく性能で勝負するためのデザインでした。そのインパクトもあって、多くの方に手に取ってもらえていたのですが、その反面、利用者から寄せられる反応には「デザインをもうちょっと何とかしてほしい」という声が多くありました。
廣岡 しかし、実はラベルをはがせるようにしてからも、しばらくの間、そのことがあまり認知されていなかったんです。それが突然、SNSで「ラベルをはがすアイデアは、営業とデザイナーのせめぎ合いの結果か?」ということが拡散されて、一気に知られるようになりました。やっと伝わったと嬉しく思うと同時に、発信の難しさを考えさせられた一件でした。
ソトコト 消毒がより日常的になったからこそ、機能面のみならず、自然と暮らしに溶けこむデザインが求められ、それが評価されたわけですね。
日本の衛生を守るためには世界の衛生を向上させる必要がある。ウガンダでの取り組みを聞く
廣岡 現代では、国家間の交流というものは当たり前になっており、たとえ直接交流がない国であっても、ほかの国を通じて間接的な関係があることも多く、世界全体が何らかのかたちでつながっている状況です。
ソトコト マレーシアでの生物多様性保全活動には、食用および化粧品や洗剤などに用いられるパーム油による環境問題があり、それを産業と環境の両立で解決するという背景がありました。これは以前の記事でも紹介させていただきました。
第2の活動拠点としてアフリカのウガンダを選ばれたことにはどういう理由があるのでしょうか。
廣岡 まず、サラヤでは社会貢献活動を始める際、その「持続可能性」を重視します。つまり、一時的な寄付では問題は解決しないということですね。ウガンダでの取り組みは、2010年にサラヤの60周年事業としてスタートしました。
当時、ウガンダは長きにわたる内戦が終息し、国が再び立ち上がろうとしている状態でした。また国として衛生問題を改善したいという強い意志があり、UNICEFの仲介などもあって、ウガンダでの事業を始めることにしました。
いま“事業”と言いましたが、単なる寄付行為は、企業の業績の影響を受け、いつストップするか分かりません。それでは環境改善はできない。継続していくためには“事業”でなくてはならないと考えるのがサラヤです。ウガンダは治安も安定し、また英語が通用する国であるため、ビジネスの場としてのポテンシャルをしっかりと持っていました。そこで、サラヤ製品を利用する習慣を持ってもらいながら、ウガンダ国内の衛生環境を向上しようと考えました。
ソトコト ただの支援ではなく、ウガンダでビジネスを成立させること、それが可能だと考えたからのアクションというわけですね。
廣岡 はい。現地に会社と消毒剤の工場を設立してから約10年かけて、黒字化を果たし、いまでは現地スタッフのみで運営されていることからも、独立した経済をつくることができたと思います。また10年の活動の結果、現地では、消毒剤のことをサラヤと言います。これはサラヤのものづくりの姿勢を表す一例だと感じています。
健康でない人が増えることは社会負担が増えること。健康も解決すべき社会課題としたサラヤ
廣岡 高度経済成長と共に、日本では糖尿病などの病気にかかる方が増えました。1995年に日本初のカロリーゼロ甘味料として発売された「ラカント」は、この問題を解決するためにつくられました。病気の人が増えることは、その人自身の負担だけでなく、医療費など、社会負担が増えることにつながります。サラヤは衛生が第一の企業ではありますが、健康も見過ごせない社会課題ととらえ、開発に取り組みました。
じつは、桂林は水墨画の風景で知られる観光地です。しかし、それ以外に産業と言えるものがなく、地域の方々は経済的に厳しい暮らしをしていました。そこでサラヤとしては、「羅漢果は桂林のものだ。それを外国企業が独占しては桂林の発展につながらない。共に発展するために一つの産業をおこそう」そういった狙いからでした。
その結果、今では日本国内のみならず、健康意識の高まっている海外でも羅漢果の効能に注目が集まり、世界の人々の健康増進と桂林の産業発展に貢献することができました。ただ、需要が高まった結果、品質不安のあるものが増えるという問題も出てきました。サラヤでは契約農家で管理栽培し、自社工場で抽出するなど、全工程で品質管理を徹底し、基準を満たしたものだけを製品化しています。
廣岡 そうですね。現地にしっかりと入り込んで問題・課題を共有し、長期スパンでの視点をもって事業として続けていくという姿勢は「ラカント」開発当時と似ているように思います。
社会への貢献とビジネスの両立。独立の気風が他の追随を許さない取り組みとものづくりを可能にする
廣岡 創業者のスピリットが現在まで強く影響しているのは間違いないと思います。また、サラヤが非上場のオーナー企業であるということも無関係ではないでしょう。独立しているからこそ、外部から横やりを入れられることなく、自分たちが必要だと判断した事業に取り組める風通しのよさがあります。また先ほど、ウガンダのお話をした際にも申し上げましたが、サラヤは衛生環境の向上や健康増進などの課題解決を「施し」として行っているわけではありません。しっかりとした取り組みを進めるためには「施しではなく、機会を与える」、それがビジネスとして成立する条件になります。そうでなくては、結局企業として継続できなくなり、取り組み自体が頓挫することにもつながります。お客様も、現地の人々も、そしてサラヤ自身にもメリットのあるかたちで事業に取り組むことが、結果的によりよい社会づくりに貢献できる道筋であると考えています。
『サラヤ』広報宣伝統括部 統括部長
芸術大学卒業後、広告代理店を経て2001年『サラヤ』入社。「ヤシノミ洗剤」「ラカントS」などのブランドを手がける。