日本のいちばん東に位置する北海道・根室管内で、2023年10月に発足した山岳会『南知床山岳会』を紹介します。山田洋二監督・高倉健さん主演の映画『遥かなる山の呼び声』の舞台になった道東・中標津町(なかしべつちょう)。2023年に現在版のテレビドラマとして復活し、阿部寛さんが主演し話題となったのは記憶に新しいところです。
映画やドラマのシーンに何度も登場する標津岳(しべつだけ)や武佐岳(むさだけ)を拠点にしているのが『南知床山岳会』。登山道の整備や観光事業のサポート、子どもたちの登山学習協力が主な活動で、その拠点となる山々は長年整備されてこなかった荒れ山でした。
その状況を危惧した地元の有志が『南知床山岳会』を発足させ、登山道の整備に至るまでの過程と活動内容をレポートします。
山開きの日に遭難者を出してしまった未整備の荒れ山
道東、中標津町と清里町の境界にそびえる「標津岳」。標高は1,061メートルで、中標津町の養老牛(ようろうし)地区から登山道があります。標準的な脚力があれば、約3時間で登頂できます。頂上からは知床の山々や屈斜路湖、根釧台地が展望できることもあり、かつては地元登山者や家族連れも多く訪れていました。
この「かつては訪れていました」と伝えるには理由があります。
以前は登山道が整備されていたこともあったようですが、ここ数年は誰からも、どこからも整備がされない野放し状態が続いていました。登山道は荒れ放題。登山口に用意されたトイレは、それはひどい有り様だったと聞きます。地元の登山者が個人的に清掃をしていたこともあったようですが、持続可能な活動ではありませんでした。 こうして地元の人々も足が遠のき、一部の登山ファンのみが訪れる山になったのです。
そして2022年の6月、ある事件が起こります。
整備がなされず荒れ山になっていた標津岳。中標津町と地元観光協会は例年どおり山開きを宣言したその日に、登山道を見失い道に迷う遭難者が出て、捜索ヘリが出る騒ぎが起きてしまったのでした。
(資料:北海道警察 山岳遭難発生状況令和4年版)
産官民で登山道の再生へ取り組む
「地元の美しい山が、このままではいけない」という思いが地元の登山愛好家や地元住民に生じます。町としても対策を講じる必要性に迫られます。しかし、それらを解決するノウハウが地域にはなく、関係各位が苦慮していた2023年春、問題解決のキーマンが中標津町に仕事で赴任してきました。
石井 孝欣(いしい たかよし)さん。銀行マンだった石井さんは、北海道内の各地で山岳会活動に従事していて、登山道管理をはじめとした山岳整備のノウハウを持っていました。縁があって中標津町に住むこととなり、周辺地域の下調べをするなかで、世界遺産になるような自然環境があるにも関わらず山岳会や自然を楽しむ団体がないことに気が付き、自ら山岳会の設立に乗り出しました。
町内のアウトドアショップを訪ねた石井さんは、登山好きの役場職員を紹介され、そこで登山道荒廃による遭難騒ぎの話を聞きます。 山岳会の会員でもある役場職員は「標津岳の登山道整備の問題を管轄する部署に異動した直後で、一人ではどうにもできず困っていました。そこに石井さんが現れ、声をかけてもらい救われました」 と当時を振り返りました。
そこから企業の登山部や建設業の協会から有志や機材が集まり、さらには近隣町村の登山ファンも集結。2023年6月末までに33名のボランティアメンバー、25台もの整備用機材が集まり、標津岳の登山道整備が行われたのです。
「知識も経験も面識もない人々が集い、安全な登山道を整備する。山から受けた恩恵を山へ恩返しする。その想いだけで約6,000メートルの荒廃した登山道を完璧な状態に生まれ変わらせました。整備参加者たちにも仲間意識が芽生え『また一緒に山岳活動をしよう』という流れが生まれて、山岳会発足の原動力となりました」と話す石井さん。
2023年の秋には11人の設立発起人が集まり、石井さんを初代会長とする『南知床山岳会』が誕生しました。
町公認の山岳専門団体になった『南知床山岳会』
山岳会の発足に合わせ、町役場も協力に動き出します。
『北海道山岳連盟』と『中標津町文化スポーツ振興財団』に加盟する『南知床山岳会』は、標津岳・武佐岳の管理主体である中標津町と2024年、登山道整備や救助活動・観光活動を通じたパートナー協定を締結。『南知床山岳会』は、山岳専門団体として公的にも認められました。 町は協定締結前に標津岳・武佐岳について、『北海道森林管理局根釧東部森林管理署』に国有林野貸付申請を行い受理されるなどの準備も行い、全面協力を惜しまなかったのです。
2024年5月に行われた登山道整備に筆者も参加!
2024年5月18日、山岳会の活動としては初めてとなる登山道整備が行われました。山岳会の会員と林業従事者などのボランティア、私も含めて19名が朝7時に登山口に集結。参加者全員が機材をかつぎ、登山道を登るのです。
『会員のものであり、地域のものでもある山岳会を、地域に貢献する団体として醸成させていきたい』
11名で発足した『南知床山岳会』は、各種公的機関、業界団体、近隣の山岳団体等と交流を図るなど活動範囲を広げています。2024年5月現在、中標津町をはじめとして近隣の別海町、標津町、羅臼町に在住する会社員、各企業役員、酪農家、役場職員、医療従事者、町議会議員、地域おこし協力隊員など幅広い職種のメンバー32名(男性20名、女性12名、平均年齢46才) が在籍する団体になりました。
石井会長は「私は山岳会の代表として、誰ひとり寂しい思いをする会員をつくらないことを最重要事項としています。全員が主役の組織です。構成するメンバー全員にスポットライトがあたり、組織内における立場に優劣がないこと、特定の人物に権限が集中しないこと、物事の決定や評価は合議であることを大切にしたいですね。」と話します。
そのうえで「山岳という場所は、さまざまなリスクと隣合わせの場所です。安心安全を担保できることが重要で、そのうえで楽しさがついてきます。山を訪れる人々に楽しんでもらえるよう、私たち山岳会が地域貢献につながる活動を持続できるよう、これからもさまざまな取り組みを展開していきます。」と話してくれました。
2024年、標津岳は6月2日、武佐岳は6月9日に山開きを迎えました。
集約しにくいことが集約できたら、地域の絆は強くなる
人口減少が続く地方では、ヒト・モノ・カネのすべてが集約しにくい環境になってきています。それは、地方に住むものが「都会とくらべての、暮らしにくさ」としていちばんわかっています。しかし「集約しにくい」ことを「集約できる」ようになったら、自助共助の心は地方であればあるほど、絆が強固になるのではと感じました。
地元の山々が荒廃していく姿を、悔しい思いをしながら見ていた地元の登山ファンが数多くいたところに石井さんが現れ、事態は大きく前進しました。もちろん石井さんの存在は大きいのですが、個々の会員が秘めていた力にも驚かされました。たとえば、登山道整備が実施された日に登山道の整備をする山岳会のメンバーが口を揃えて話していたのは
「たくさんの人々に来てもらえる、恥ずかしくない山になったんじゃないかな」
「地元の幅広い世代の方々に、もう一度登ってもらえる山にしていきたい」
ということ。主語が「自分たちが〜」ではなく「地元の人々が〜」であったのが印象的で、そこには深い地元愛にあふれていました。大好きな山々が憧れの存在であるようにと、自治の心を育みながら活動する『南知床山岳会』を地元民のひとりとして誇らしく思います。