連載第2回は、「藁ぼっちプロジェクト」の主催者、『一般社団法人フィールズ・フィールズ(呼称:フィールズ農園)』の畑で実施された、大豆の種蒔きイベントの様子をリポート。今回は、不耕起栽培で大豆と大麦を育てる『フィールズ農園』の取り組みを紹介する他、1000年以上の歴史ある農家が継続する「大豆トラスト」の活動にもフォーカス。土地の大豆を育て続ける人、消費者と生産者をつなぐ人への取材を通して、私たちが今知るべき「豆のこと」について考察します。
大豆はサスティナブルなパワーフード
古来より日本の食卓に欠かせない大豆。体のエネルギー源となるタンパク質や脂質をバランスよく含んでいて、「畑の牛肉」と呼ばれるほど栄養たっぷり。豆離れと言われる現代人も豆腐、味噌、醤油、納豆など、和食に欠かせない加工品は、やはり日常的に口にしているでしょう。しかし、その加工品はどこの産地のどんな品種の豆を使っているのか、豆の出自を把握して選んでいる人はどのくらいいるのでしょうか? 今回のイベントは、身近なのに意外と知らない大豆の話から始まりました。
大豆は、牛や豚などの家畜と比べて環境負荷の少ない、良質なタンパク源として知られていますが、栽培する側にとっても、肥料分の少ない痩せ地でも育つという強みがあります。多くの植物は生育に必要な窒素を土から吸い上げますが、大豆を含むマメ科植物は根にある根粒菌の働きで、空気中の窒素を養分として取り込むことができます。さらに、土に取り込まれた窒素は、収穫後も畑の土に残り、次に育つ植物の栄養にもなるという利点も。『フィールズ農園』の畑では、この窒素を土中に固定するマメ科植物の特性を生かしながら、大豆と大麦の輪作で土を耕さずに作物を育てる「不耕起栽培」に取り組んでいます。
枝豆が熟すと大豆になる
今回種として使うのは、昨年この畑で育てて収穫した大豆。2年前に『フィールズ農園』が大豆栽培を始める際に、研修先の農家から千葉の在来種の大豆を分けてもらい、その種を継いだものです。
ところで、「ビールと枝豆」といえば夏の風物詩ですが、枝豆と大豆が同じ植物であることはあまり知られていないようです。実は、大豆の未熟な状態が枝豆。枝豆として収穫せずに、畑に冬まで放置して、乾燥させたものが大豆です。在来種は晩生(おくて)が多く、この日に蒔いた種が枝豆として旬を迎えるのは秋。栽培が順調に進み、十分な大豆の収量を確保できると分かれば、貴重な在来種の枝豆を味わうことができます。そのことを聞いて、参加者たちはさらにモチベーションが上がった様子。「枝豆が楽しみ!」という明るい声が聞こえました。
身をもって知る、耕していない土の硬さ
レクチャーの後は、畑に移動して種蒔き作業を開始。30センチメートル間隔で穴を掘り、大豆を2粒ずつ植えていきます。まず実感するのは、土に触れた時の感触がギシッとしていて、かなり硬いこと。よく耕された、ふかふかの土との違いに怯みつつも、グッと力を入れて穴を掘っていきます。
大豆は気象の影響を受けやすい作物。ここ数年の記録的な猛暑や日照り続きは農家にとってかなり痛手です。種まきの日はちょうど雨の恵みもあって、好条件のタイミング。参加者たちもできる限りのところまで頑張ろうと、だんだん効率を意識し始めます。無事目標を達成した時には、共同作業の充実感もあって、爽快な笑顔がこぼれました。
生産者と消費者をつなぎ、全国各地の個性豊かな豆を普及する『三栄商会』
昼食後は、在来種豆の食べ比べ会を実施。粒の大きさも形も色も違う個性豊かな豆は、築地場外市場で、全国の豆・雑穀を販売する問屋『三栄商会』で仕入れました。蒸した豆を一粒ずつゆっくり味わうと、同じ大豆の中でも品種によって、かなり違いがあることがわかります。参加者たちも、豆それぞれのおいしさがあることに驚きを感じている様子。その反応を見て、ふと思い浮かんだのは、「結局はつくり手なんです」という言葉。それは『三栄商会』を訪れたときに、店主の石川秀樹さんが話していたことでした。
『三栄商会』で扱う豆は実に多彩。土地の特性が反映された豆、有機栽培や自然栽培など、こだわりの農法で育てている豆など背景はさまざまですが、手間暇かけて丁寧につくられた豆が、やはり特別おいしいのだといいます。実際に石川さんは現場に赴き、農家の話を聞いて感銘を受けることもしばしば。逆に、地方の農家が豆を携えて、お店を訪れることもあります。そして石川さんは、その豆をほとんど農家の言い値で買うのだといいます。
「一生懸命やっている農家さんには、(農業を)続けられる値段にしてほしいんです。有機栽培や自然栽培も丁寧にやればやるほど、おいしくなる。だけど、なかなか続けられる人がいない。生計を立てようと考えると価格が合わないから、結局辞めてしまいますよね」
良質な豆も知られる機会がなければ、消費者の手元に届くことはなかなかありません。石川さんは目利きした豆を、まずはお店に来る馴染みの料理屋や有名店のシェフたちに「この豆を使ってみてよ」と配るのだといいます。一方で、栽培が途絶えてしまいそうな在来種豆に不思議な縁で出会うこともあります。その場合は、また別の農家に種として引き継ぎ、豆を育ててもらうよう交渉します。店を後にする時、『フィールズ農園』にも行き場を失った、名前もわからないという大豆を手渡してくれました。「うまく育ったら、うちで買うからさ」という言葉に、商売人の懐の深さを見た気がしました。
古くて新しい、耕さない農法で大豆と大麦を育てる『フィールズ農園』
大豆の種まきイベントを実施した『フィールズ農園』は、代表の茂木紀子さんが3年前に東京から佐倉に移住し、立ち上げた事業です。彼女が実践しているのは、土を耕さず、不必要な除草は行わず、農薬も化学肥料も動物性堆肥も使わない不耕起栽培。農業に興味を持った時に手にしたのがたまたま自然農に関する本で、そこに書かれていた土を耕さないアプローチに強く惹かれたことが契機になりました。それはかつて『自然農法 わら一本の革命』で知られる福岡正信氏が提唱した自然農法の流れを汲むもの。最近話題になっているリジェネラティブ(環境再生型)農業は、まさに福岡氏の哲学が再評価されている側面もあります。茂木さんは、虫も雑草も敵にしない、多様な生物との共生に根差した農のあり方を知った時、土の中の世界がとても豊かに感じられたのと同時に、「今まで人類はずっと土を耕してきたのに、いきなり耕さないというのは面白い!」と衝撃を受けたのだと言います。
そうして不耕起栽培で実践し始めたのが、比較的取り組みやすそうと感じた、大豆と大麦の輪作。しかし、茂木さんが大豆農家になろうと思ったのには、他にも理由がありました。
「東京で小学生の塾講師をしていた時に、食料自給率の問題を扱う機会がありました。『日本の大豆の自給率はたった7パーセント。もし外国の大豆が入ってこなくなったら、味噌や醤油、納豆が食べられなくなるかもしれない。どうしたらいいと思う?』と生徒に問いかけたら、ある子が『じゃあ、僕が農家になって大豆をつくる』と言ったんですね。その言葉を聞いた時に、急に自分がすごく卑怯に思えて。子どもに課題を押し付けるのではなく、大人がアクションしないといけないと強く思いました」
リジェネラティブ農業は時間がかかる。不耕起栽培が抱える課題
不耕起栽培に実際に取り組んでみると、雑草が生い茂る中でも作物は順調に成長し、植物に覆われた表土は適度に保湿され、土の中に残った根っこは土壌の微生物が自然と分解し、通気性と通水性のいい土ができていくことがわかりました。しかし、2年目に入って直面したのは、作物の収量が減るという問題。1年目は以前の耕作者の残肥もあり豊作だったものの、それも長くは持ちません。不耕起栽培で土壌が豊かになるにはそれなりの時間がかかり、短期的に見ると収量は安定しにくい。このことが課題なのだと茂木さんは話します。
「肥料や農薬の使用は、確実に作物を収穫するための方法だと思います。これまでの農業がそうだとしたら、今私たちがやっている自然農や不耕起栽培というのは、すごく長い目で見て、土を劣化させないための方法です。たくさんの作物を収穫できなくても、継続的に作物が育つ、持続可能な土を残したい。不耕起栽培は次世代に引き継げる、これからの農業だと考えています」
食料自給率の低さや環境負荷、それを農家だけの問題にせず、同じ関心を持つ消費者と分かち合えれば、この農法を諦めずに乗り越えられるのではないか。今『フィールズ農園』では「むぎまめトラスト」という会員制度を取り入れています。この農園での取り組みはまだ始まったばかりですが、大豆トラスト自体は、1997年に起こった「遺伝子組み換え食品はいらない!キャンペーン」を発端に、全国各地の農家で取り入れられるようになった活動。消費者は大豆生産地の一定区画にお金を出し、生産者とともに大豆の種まき、収穫、ぼっち積み、味噌づくりなど、一連の作業を行います。
茂木さんも農家になる以前より、千葉県匝瑳市にある農家、『みやもと山』の大豆トラスト会員として活動に参加しています。そこで経験したことは現在の大豆づくりの下地になっているのだそう。今回は緑豊かな里山の森で1000年以上もの間、代々農業を続ける『みやもと山』の大豆トラスト活動についても取材しました。
1000年以上の歴史ある農家『みやもと山』に聞く、大豆トラスト活動の実際
この地区が宮本と呼ばれるのは、里山の中心にある熊野神社の存在の大きさゆえ。和歌山県の熊野三山とゆかりの深い厳かな神社は、創祀が平安時代と古く、『みやもと山』の齋藤さんの先祖が生活基盤を築いたのは1300年以上前と言われているのだとか。山間の田んぼや畑は手がかかり、経済合理性に合わせた農業はそもそも難しい。現在、齋藤實(みのる)さん、超(こゆる)さん親子で力を合わせ、米や大豆をつくるほか、味噌や餅などの加工品も生産。小規模ながらも化学肥料を使わない有機栽培に取り組み、里山の自然を尊重した農業を実践しています。
農家として歴史の古い『みやもと山』が大豆トラストを始めたのは、1997年に大豆トラスト運動が始まったばかりの頃。当初手をあげた農家は全国で12軒、そのうち2軒は『みやもと山』を含む匝瑳市にある農家だったといいます。この日、種蒔きに集まった人々の中には、90年代から参加している会員の姿もありました。25年も活動を続けている理由を聞くと「(トラスト活動に)集まる人々が多彩で面白くて、気づいたら長く関わっていた」とのこと。實さんに開始当時の背景を聞くと、貿易の自由化や食への危機意識など、世界的に大きなうねりがあったことがうかがえました。
人と土をつなぎ、生きる喜びを分かち合う
80〜90年代に現在のWTO(世界貿易機関)の前身であるGATTウルグアイ・ラウンドの国際会議が度々開かれていた頃、関税による農業への打撃を憂慮する農家の抗議活動も活発化していました。實さんは、国際会議に合わせブリュッセルで反対集会に参加したこともあり、そこでEUをはじめとする世界の農民の熱い思いを肌で感じたのだと言います。グローバリゼーションの広がりで、農家の継続性も危ぶまれる中、遺伝子組み換え大豆の輸入が始まるなど、食への危機意識も高まっていました。
時代の影響が少なからずあったとはいえ、大豆トラストを始めた直接的な動機について聞くと、「やはり人ですよ。(誘ってくれた)人への信頼が強かったから」と實さんは言います。人と人、人と自然を緩やかにつなぐ『みやもと山』の場の雰囲気もまた、そんな實さんの人柄を映しているように感じます。
大豆トラストの種蒔きの日も、東京からの参加者が多く、世代の違う人々が力を合わせて作業している姿や、家族のように縁側で和む食事風景が印象的でした。實さんは、「都会の人も畑に立って、土に触れてみてほしい」と話します。「東京の暮らしとは全く違うところに、本当の人間らしい暮らしがあるかもしれないのだから」と。
「種を蒔いて、芽が出て生まれて、収穫で一旦終わる。収穫の時には、喜びと同時に寂しさも覚えます。でも次の年に、また人生が始まる。だから農家の一生って何回もあるのだと。そういう生きている喜びみたいなものは感じますよ」
大豆トラストは、継続的に関わることで、土地に根付く在来種の豆の存続も応援することができます。それは単に安心な食を守るというだけではなく、美しい里山の景色や農文化を次の世代へと受け継ぎ、育むことにもつながるのでしょう。その思いは、新規就農農家である『フィールズ農園』も同じで、農から文化を発信していくことに意欲的です。茂木さんはこう語ります。
「豆は和食に欠かせず、麦は季語にもなっているように、ずっと日本の暮らしを彩ってきた
もの。大豆と大麦の栽培を通して、食だけではなく、豊かな景観も守っていきたいと思っています」
土を育て、種を蒔く人々の輪が連鎖していく風景をずっと追いかけていきたくなりました。
取材・文:中島文子 写真:中島良平