愛媛県新居浜市。瀬戸内海沿いの古民家を改修し、2階の窓から市の離島、大島を望む本屋「読×舎(よみかけしゃ)」今春の本格オープンを前に2月、3月と数日間マイペースにお店を開けている。店主の新居萌美(にい・もえみ)さんは月の半分を京都で暮らし、もう半分を生まれ故郷・愛媛で過ごしている。介護と二拠点生活を両立して5年が過ぎた新居さんが愛媛で本屋オープンに至った経緯とは。
瀬戸内海を眺める本屋 読×舎(よみかけしゃ)
ソファーに深く腰掛け、窓から穏やかな瀬戸内海を眺める。島に向かうフェリーが見える。傍らにはさっき出会ったばかりの本。
コーヒーを味わいながら本をゆっくりと読み進めたり、パラパラめくったり。愛媛県新居浜市の本屋「読×舎(よみかけしゃ)」ではそんなゆったりとした時間が過ぎていく。
店主は新居萌美さん。1986年まれの35歳。2階建ての古民家を1年かけて改修した。
1階には元々家屋にあった桐のタンスや机、棚を利用したディスプレイに新居さんがセレクトした本が並んでいる。
ここ愛媛は新居さんの生まれ故郷だ。紆余曲折を経て故郷での本屋オープンにこぎ着けたが、しかし新居さんは愛媛に月の半分しかいない。
本屋店主の他に着物着付師としての顔も持ち、月のもう半分は京都で働きながら過ごしているのだ。
京都と愛媛の二拠点生活を送る新居さん。その理由は家族の介護にあった。
新居さんに二つの生活を聞いた。
本と着物が好きになった学生時代
新居さん「母と一緒に行った本屋や、誰もいない図書室など本のある空間が好きでした」
幼少の頃、絵本をあまりにも集中して読んでいたため周囲から心配された新居さん。
児童センターの本を読み尽くすほどの本好きになったのは活字中毒だった母親の影響が大きいという。
その後、新居さんは京都の大学に進学し日本文化に囲まれながら米英語学を専攻。
留学経験や旅行を通して日本を客観的に眺め、文化や伝統の価値を再考する学生生活を送った。
新居さん「自分は日本が好きだ、と現地の人に言っても、ちゃんと説明できませんでしたね。外に出ることで日本文化の素晴らしさに気づき、知ろうと思いました。中でも着物と日本語に意識がむいてのめり込んでいきました」
中でも20歳、アイルランドへの語学留学は本屋を開く原体験になったという。
新居さん「世界最古の本『ケルズの書』を所蔵する首都ダブリンのトリニティーカレッジの図書館に入った瞬間に涙が溢れました。装丁や挿絵が美しく、本のある空間としても魅力的で…本は読むだけのものでは無いと気づきました」
卒業後は故郷での生活 祖母の介護
大学卒業後は着付師となろうと決めた新居さん。
修行して一人前となり京都に住み続ることを希望したが、卒業直前に体を患い療養のため愛媛にUターンすることに。
手術により完治し大手洋品店の地元店舗にアルバイトを経て就職するが、着物への思いは断ち切れず、休みの日には着付け教室に通いだした。
新居さん「地元で着付けをしていても、成人式ぐらいしか機会が無いんですよ。これで自信を持って着付の先生となるのは納得できないなという思いはありました」
そんな中、地元に暮らす祖母の介護が必要となった。
母は19歳の時に亡くなっており、家族の中で自らが中心となってお世話をすることとなったのだ。
仕事と介護とに忙殺される日々が始まった。
しかしそんな中でも母との思い出でもある「本」が救ってくれた。
暇を見つけては中国地方や四国の特徴のある本屋さんを巡り、店主や様々な人との出会いを経て、自らもブックマルシェの運営や馴染みのカフェを間借りしての書籍販売イベントなどを主催するまでになったのだ。
転機は祖母の介護が落ち着きを見せた30歳に訪れた。
愛媛・京都の二拠点生活
自らの時間を介護に割かれる日々。しかし祖母の介護状況が変わり、まとまった時間が取れるようになった。
新居さん「祖母の介護が落ち着いて、自分のことをしたい、と。本に関わることは愛媛に居てもできるんですけど、着物はそうはいかない。京都に着付けを学びに半年間行かせてくれと父親にお願いしたんです」
祖母に何かあったらすぐ戻るという条件で、新居さんは再び京都に戻った。
ここから月の半分を京都で、残り半分を地元・愛媛で暮らす生活が始まった。
京都では着付師として働き、愛媛では本に関わるイベントを大小さまざまに開催する。
新居さん「月の生活の半分を愛媛ですることは、京都の会社に伝えていました。フリー契約の仕事が多かったのでそこは問題ありませんでした。電車代や家賃はかかっていましたが、今しかチャンスがないと思っていたので、必死でしたね」
32歳の時、祖母が他界。
その直前にはいったん愛媛に引き上げていた。
しかし祖母と入れ替わるように今度は父が軽度の認知症となり、介護が必要となった。
新居さん「こんなダブルパンチある?って思いました。小説書けるんじゃないかって」
ほどなくしてデイケアサービスやヘルパーさんの力も借りつつ、生活の目処がついたことで、新居さんは京都・愛媛の二拠点生活を再開する。
着付師として復帰後は新たな仕事も任されるようになった。
新居さん「なんとか介護と両立できないか模索していました。京都での生活を中途半端にしたくなかったので」
新居さんを支えたのは愛媛の親戚や介護業者と、学生時代から交際を続けていた男性の存在もあった。
新居さん「彼はずっと、私がやりたいことを応援してくれる存在でした」
やがて京都での生活を共にするようになり、後に結婚。結婚後も現在に至る愛媛との半々生活を理解してくれている。
夢は突然に。 「今しかないチャンスをつかみたい」
新居さんは以前、初めて本のイベントを開催した馴染みのカフェで夢を語ったことがあった。
新居さん「60歳くらいで本屋と着付とをしたいな、と。でもこんなに前倒しでそれが実現するとは思っていませんでした」
愛媛にいたある日、そのカフェの店主から近くの古民家を紹介される。
新居さん「もしお店をしたかったら大家さんに聞いてみるよ、と言ってくれて。いざ見に行ってみると、状態が悪くって。これを改修するのは大変だなと。普通はやらないと思います」
当時を振り返り笑う新居さん。しかし決断した。
新居さん「20代前後の頃、母の死があり、私自身の病気もあったし、祖母の介護も始まって、それが終わったら父の介護が始まって。もちろん介護から多くのことを学んだのですが、私の人生は自分のためにやりたいことが叶わない人生なのかな、と思っていました。今までやりたいことができない時って本当にできなくて。1年後、2年後に声がかかった時にできる状態かどうかもわからないので、お店をやります、と」
建築の知識に乏しい新居さんだったが、店のイメージを膨らませ、友人らの協力を得て、2年をかけて改修が完了した。
新居さん「イメージを固めるまでが大変でしたけど、それぞれの壁を塗ってるのが違う人だったり、色んな人が関わって作っていくのは楽しかったですね。2階から海を眺めて、お店を作ってよかったなと思いました」
月の半分開く本屋
読×舎では本を読みながら、先述の馴染みのカフェで特別にブレンドしたコーヒーを楽しめる。
かつて着物も収納されていたであろう桐のタンスには新居さんが選んだ「読むだけじゃない」本が、人との出会いを待っている。
いずれ着付のイベントもこの場所で行う予定だ。
新居さんの二拠点生活は介護から始まった。
自己を犠牲にし思い悩むこともあったが、ずっと変わらず大事にしてきた思いがそれぞれの拠点で実現している。
新居さん「お客さんに『月の半分しかお店を開けられなくてすみません』と言うと『そこに価値があっていいじゃない』と言ってくれる人がいて励みになります。お店を開けてない時間が、本と向き合う時間なので、大切にしたいです」
京都での生活は新居さんの働き方を理解してくれる会社、そして生活を共にする夫が支えてくれる。
また愛媛では親戚や介護サポートの力も借りている。
しかしこれからの二拠点生活は身内だけで無く、読×舎を訪れる地域の人たちからも温かく見守られていくだろう。
そう感じさせるエピソードだった。