吉野川の最上流に位置する奈良県・東吉野村瀧野地区。携帯電話の電波も入らない山奥で、むらの未来を考えた創業者の思いを受け継ぎ、手延べ麺を作り続ける人たちに会いに行きました。(TOP写真:創業から約40年、歳を重ね引退を迎える人もいるが、その分若い人が入社し新陳代謝が起きている。中央が『坂利製麺所』の2代目を担う坂口利勝さん。)
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こだわりの小麦、ごま油、海塩を使って。
幾千本もの絹糸のような麺がさらさらと揺れる。一本一本風を通すように、職人がすっと箸を入れていく。乳白色の繊細な揺らぎは見ていて心地よく、目を奪われた
ここ『坂利製麺所』は、1984年に3人の子どもがいる母親の坂口良子さんが創業した製麺所だ。林業が盛んな奈良県・東吉野村だが、冬は雪が積もり山仕事ができず、収入を得られない。若者は都会に出て行き、村は過疎化が進んでいた。個人的な興味から他地域にそうめん作りを習いに行っていた良子さんは、「そうめんをこのむらの冬の仕事にできないか」と考えた。一般的に、そうめんは冬に作ったもののほうがおいしいといわれている。気温が低く乾燥している冬は、小麦粉をこねる際に使う塩の量を最小限にとどめることができ、その結果コシの強い麺になるからだ。標高が高く冬が長い東吉野の環境は、そうめんを作るうえで強みになる。構想を話すと、村中が応援してくれたという。
最初は習ったとおりにそうめんを作っていた良子さんだが、あるとき工程内で使っている油が「ものすごくまずい」ことに気づく。当時は大量生産・大量消費の傾向があり、おいしさや品質よりも作りやすさが優先されていたのだ。茹でてもみ洗いすれば流れてしまうから問題ない?……いや、子どもの口にも入るものだから、納得した油を使いたい。さまざまな油を試した末に辿り着いたのは、伝統的な圧搾製法で作られたごま油。賞味期限の長いそうめんは、塗布した油が途中で酸化し独特のにおいを放つことがあるが、ごま油には酸化しにくい性質があるため、それがない。同じように、小麦や塩もおいしさと品質を求めて納得できるものを使うようになった。『坂利製麺所』の手延べ麺は、子を思う母の愛が詰まった手延べ麺なのだ。
自分の孫に「次も頼むぞ」と言える環境をつくる。
そんな創業時の話をしながら工場を案内してくれたのは、まさにそのそうめんを食べて育った息子の利勝さん。壁に吉野杉、床に吉野檜を使った工場内では職人がキビキビと手を動かしていた。そうめんは最終的に約200㎝まで延ばし、「ハタ」という道具に掛けて乾燥させる。利勝さんはこれを下ろす工程など肉体的な負荷の高い部分を機械化。その日の気温や湿度から練り加減や水加減を調整するような、人にしかできない作業に集中できる環境を整え、働きやすさとともに麺の質も高めている。また、「革新を続けた先に新たな伝統が生まれる」という信念から、お湯をかけて3分でにゅうめんができるフリーズドライの「マグカップにゅう麺」や、国産小麦の味わいを最も引き出す太さを追求した「新麺ニューメン」といった商品を次々開発。2022年には、1日1組限定で「季節のそうめんコース」を提供する料理店も始めた。吉野本葛が入った滑らかな喉ごしのそうめん、あごだしが優しく香るにゅうめん、岩塩でいただく風味豊かな黒ごまめんなど、さまざまな手延べ麺を味わうことができるお店だ。取締役でもある利勝さんが自ら給仕し、こだわりや開発秘話を伝えている。
そうめんを通じて、東吉野を次世代へとつなぐ。
「そうめんを通じて東吉野を発信し、次世代にこの地域をつなぎたい」──そう語る利勝さんに「地域への思いが強いのですね」と伝えると、「そうでしょうか」と少し不思議そうな顔をされた。幼い頃から東吉野で林業を営む祖父に「この土地を頼むぞ」と言われて育ってきた利勝さん。地域のことを考えるのはあたりまえのことで、意識していなかったという。「僕も孫に対して『次を頼むぞ』と言える環境をつくり、100年続く製麺所を目指したいと思います」。
坂利製麺所
100%国産小麦、こだわりのごま油、海塩を使い、そうめんをはじめとする手延べ麺を製造。新たな麺の開発にも力を入れている。2022年からはそうめんのコース料理を提供する『坂利製麺所 本店』(1日1組限定・予約制)も営む。https://sakariseimensho.wixsite.com/sakari
100%国産小麦、こだわりのごま油、海塩を使い、そうめんをはじめとする手延べ麺を製造。新たな麺の開発にも力を入れている。2022年からはそうめんのコース料理を提供する『坂利製麺所 本店』(1日1組限定・予約制)も営む。https://sakariseimensho.wixsite.com/sakari
photographs by Katsu Nagai text by Emiko Hida