スパイスカレーを自分で作る人はいても、ビリヤニを自分で作るのはまだまだ珍しい今、29歳の奈良さんにとって、ビリヤニは自分の名刺のような存在だ。偶然がもたらすおもしろさに惹かれた奈良さんは、そんな世界を生み出していけるよう、さまざまな活動を行っている。
子どもの頃に食べた、ビリヤニを思い出した。
ビリヤニ。インドやその周辺国で食べられている、スパイス入りの炊き込みご飯のことだ。”流しのビリヤニ“と名乗る奈良岳さんが、ビリヤニと出合ったのはなんと小学1年生の頃。「パキスタン人のパートナーをもつ叔母が、ビリヤニを詰めた容器を持ってよくうちに遊びに来ていました」。
奈良さんが高校生になると叔母さんが日本を離れ、“ビリヤニのインフラ”が一度絶たれた。その後、大学を卒業して建築系の会社に就職し、東京・世田谷区三軒茶屋のシェアハウスで共同生活を送っていた4年前、子どもの頃のビリヤニのおいしさをふと思い出したという。それから奈良さんは、ビリヤニが食べられる店を探したり、作り方を習う教室に行ったり。また、久々に再会した叔母さんに作り方を教えてもらった。「辛いものが苦手なので、スパイスや作り方を研究して、オリジナルのビリヤニにたどり着きました」。
シェアハウスの住人や遊びに来ていた友人らに食べてもらったところ、「うちのバーで出してよ」と声がかかった。奈良さんが初めてお披露目したビリヤニは大好評。さらに、そこで食べたお客さんからは「今度はうちで」と声がかかり、奈良さんの“流しのビリヤニ”人生が本格的に始まった。
偶然の出合いをおもしろがる、そんな世界をつくりたい。
2020年10月、東京・千代田区麹町のカフェ『イイジカン』で奈良さんのビリヤニイベントが行われた。店長の星野仁美さんは、“ビリヤニ試作時代”から食べていた奈良さんの元・シェアメイトだ。奈良さんは、「依頼してくれたところに出向き、自分では企画しません。ギターの“流し”のようにふらりと現れて、知らない人に出会えるおもしろさがあるから」と自分のスタイルを貫く。
奈良さんは、大きな荷物を抱えて現場に到着。30人分の材料に加え、ビリヤニ専用鍋やカセットコンロまでも持参した。すぐにギーと呼ばれるバターオイルを煮詰めて固形物を取り除き、大きな鍋で長粒米・バスマティライスの下茹でを開始。ビリヤニ専用鍋にマリネしたチキン、スパイス、米油を入れたところに下茹でした米を加えて、炊き上げた。シンプルな料理と思われそうだが、そこには奈良さんのこだわりが詰まっている。
スパイスは、都内の薬膳料理店から分けてもらった、ハイブランドの香水の原料に使われる貴重なもの。また、炊き上がりを均一にするため、米の茹で加減を3段階に分ける工夫もしていた。こうして出来上がったビリヤニは、その香りにうっとりとしてしまうほど。脂っぽくないので、あっという間に胃の中に収まってしまった。
ビリヤニは言ってみれば、奈良さんにとって名刺のようなものだ。「ビリヤニを通じて出合い、自分の仕事につながることもあります」。奈良さんはほかにも、2つの仕事に携わっている。1つは、まちづくりや空間づくりに関わる建築系事務所で、暮らす人の視点に立って土地と建物をどう活用するかを提案している。もう1つは、東京・渋谷の食の発信スペース『COMINGSOON』で、食にまつわる企画展やイベントなどを企画する仕事だ。日本酒を若手に発信するため、クラブで売られているようなデザインにしたり、Tシャツを作ったりするなど新たな発信を行った。「“フック” (引っかかり)を用意することで、日本酒に興味がなかった人にも関心を持ってもらうことができました。ここでも、そんな偶然の出合いを引き起こしていきたいです」。
それぞれの仕事のスケールは違っても、共通するのは偶然がもたらす楽しさがあることだ。「まちに来る人を楽しませたい思いがあり、その手段をいろんな視点から学んでいます」。偶然の出合いが人生を豊かにする世界。奈良さんは、3つの仕事をかけ合わせながら、そんな未来を目指している。