無線ラジオ(音声放送)の通信テストの世界初成功は、1900年にまでさかのぼる。電気技術者のレジナルド・フェッセンデンによるもので、改良が重ねられた6年後の12月24日、米国マサチューセッツ州にある無線局から自身のクリスマスの挨拶がラジオで放送された。世界各国で実験的なラジオ放送が盛んになり、最初の公共放送(AM方式)であるKDKA局が米国ペンシルベニア州で誕生した。通信テストの世界初成功から20年後のことだ。日本においては、1925年3月22日、社団法人東京放送局(現在のNHKラジオ第1放送)により初めてラジオ放送が行われた。放送技術と受信機の進化と共に、世界中でラジオが一気に普及する。音楽、トーク、演芸、ドラマ、スポーツ中継、ニュースなどの番組が多数提供され、娯楽の主役となった。
2010年には地上波のラジオ放送がインターネットを利用したサイマルラジオ「radiko」でも配信されるようになり、スマートフォンで番組を楽しむリスナーが増えた。インターネットが、データ通信で番組をどこでも安定的に聴くことを可能にし、放送メディアの進化をリードした。
ラジオが生まれてから100年以上の時が流れた。しかるべき進化を遂げたが、周辺環境の劇的な変化に比べると、ラジオのそれは相対的に緩やかに映る。
画面をオンにすれば、臨場感のある高解像度映像が脳に焼き付けられる。インターネットによりアクセスできる情報の質量は過剰なレベルに達し、黙っていても情報が体内に押し込まれるかのようだ。さらにバーチャル・リアリティともなると、五感そのものを乗っ取るかのように人間の知覚を揺さぶる。情報伝達の手段がテクノロジーにより高度化したことで、咀嚼するまでもなく目の前で情報が完成している。情報のフローは速く、処理するだけでも人間はもはやいっぱいいっぱいだ。受け身的情報が増えれば増えるほど、想像よりも処理が先行する。情報リッチ化と情報アクセスの簡便化が同時に実現されたのと引き換えに、限られた情報をもとに人間が想像する機会が奪われた。僕の中にはそのような喪失感がある。
人間が想像する機会を失っていくのを横目に、人工知能は賢くなり続ける。特定の情報処理能力において、人間はいずれ人工知能に敵わなくなる。その時、「人間の売りは想像力である(あった)」ことを再認識するに違いない。
だからこそ、ラジオの変化が緩やかであったことは人間にとってむしろ幸運だったと考えている。必要以上に変化しなかったことが、ラジオの普遍的な価値を物語っているようだ。100年経っても、声と音だけがそこにあるメディア。リスナーは、ラジオから流れる言葉をたどり、音に耳を傾ける。言葉の意味を考え、頭の中で想像を広げる。第一次世界大戦後から世界恐慌直前までのアメリカの拡大発展の記録を番組にしたNHKスペシャル『映像の世紀』(「第3集 それはマンハッタンから始まった」)で、あるマンハッタンの住人によるラジオについての手記が取り上げられている。
「ラジオの世界、それは、私にとってリアルそのものだった。まるで目の前に映画スターやミュージシャンがいるかのように思えた……」。そう、今も昔もラジオは「想像メディア」なのだ。空白や間にすら想像の機会が与えられる。
人間は、人工知能社会を生き抜くために想像力を磨き、人工知能と共存するための知恵を得ることが必要だ。ラジオは人間に想像の場を提供する。想像こそが、人間がテクノロジーの踏み台にされないための作用だ。