何かを建ててこそ建築家。そんな勝手な思い込みは、「建物を建てるということ自体に抵抗がある」「本当に必要か? と問う」という言葉で、あっさりと覆された。
建物を建てるということ自体に抵抗がある。だから、まず何を建てようかという発想にはならない」「本当に必要か? と何度も繰り返し自問する」というのは、建築家ユニット『増田信吾+大坪克亘』を主宰する、増田さんと大坪さんの言葉だ。
「何かを建ててこそ建築家」という、勝手な思い込みすらもあっさりと覆されてしまいそうだが、増田さんと大坪さんのこの言葉が発せられる背景には、どうやら、図面を描くといった設計作業以前の段階にありそうだ。

二人の出会いは、美術予備校時代にさかのぼる。その後、増田さんは武蔵野美術大学・建築学科に、大坪さんは東京藝術大学・建築科にそれぞれ進学するも、「デッサンの線を見れば誰が描いたかわかる」というほどに、互いの癖やこだわりを知り尽くした同志として、現在に至る。では二人の、この「本当に必要か?」と自問する姿勢は、いつどのようにつくられたのだろうか。増田さんの学生時代のエピソードから、その一片が見えてくる。
すべてある。もう要らないという気持ちがベース。
実は、高校を卒業して営業担当として働いていた経験を持つ増田さん。仕事を辞め大学に進学し、建築を学ぼうと思った理由は、「自分がつくったものを売るまで、一貫して学べるところはどこだろうと考えた時、建築だと思ったから」だった。しかし実際の大学の講義では、建物を設計することが課される日々。「物事を考える仕組みを強化したかったのに、とにかく建物を求められた」。
例えば、小屋を設計するという課題が出された場合、どんな小屋を建てるかということに腐心するのが一般的な学生の取り組み姿勢だろうが、増田さんは設計する理由を考え抜く。そして時には、新たに小屋は建てないアウトプットを出すこともあった。しかし、課題に応えていないと見なされ、理解されないことも多かったという。そんな当時のことを、大坪さんはこう振り返った。「建物を造る理由がなければ、建てない。増田はそういう人間だったし、僕はとても共感できたんです」。
また、二人の姿勢には時代背景も影響していることがわかる。増田さん曰く、「家電ひとつを見ても、溢れ返るほどある商品の機能やデザインは、微々たる差。建築もそう。歴史はもはや一周したというか、古いものから新しいものまですべてあるからこそ、それでも造るってどういうこと? という気持ちがベースにある。そんな状況で僕たちが何かを造るのだとしたら、どんな価値がつけられるのかを考えないと」。

考える二人は、大学卒業後、大学院に進むでも設計事務所に就職するでもなく、揃って風力発電会社でジオラマ製作のアルバイトを始めた。建築を学んだ人は模型が造れるだろうから、ジオラマなのかと想像するが、そういうことでもないらしい。大坪さんは、「建築がよくわからなくなって続けるかどうか迷っていた時、増田に紹介してもらったアルバイト先」とし、増田さんは「大学を卒業して独りになって、誰かと議論をするゼミのような場所がなくなるのがまずいと思ったから、今も事務所で使っているこの場所を借りたんです。アルバイトは、家賃を払うためでした」と話した。

しかし風力発電会社でのアルバイトが、チャンスを生む。それぞれの思いを知っていたアルバイト先の社長から「自分たちの思う建築をやってみたら」と依頼されたのは、風力発電施設内に小さな東屋を建てる仕事。『風がみえる小さな丘』(2008年)と名づけられた、風によって揺れる東屋の設計は、若手の登竜門といわれるSDレビュー(建築・模型・インテリアのドローイングと模型の入選展)で入賞を果たすことになった。
東屋をいかに格好よく設計するかに意味はない。風が吹き、雲が流れる中で大きな風車が回る、その中に東屋はどうあるべきか。つまり「場所全体の風景をつくることだ」と、二人は思った。東屋を造るという依頼に、風景をつくるという提案で応えたことは、場所に対する二人の意識を強め、以降の活動に影響を与えることになる。
「本当に必要か?」という姿勢に加わった、「場所をつくる」という活動。世間の注目を再び集めたのは、『ウチミチニワマチ』(2009年)。木造2階建ての古い民家の北側にあった、塀の改修だった。
建物ではなく塀を設計することで実現したのは、内と外を曖昧につなげる境界。この塀のみの設計で、住宅1棟を設計するのではなく、塀だけでも、街や家や庭の広い範囲を変化させられることを実感することとなった。ほかにも『躯体の窓』(2014年)では、建物の一面を覆うような窓の設計のみを担った。南側の庭に面した3階建ての建物の正面全体に、外側から、24枚に分割したガラスでつくられた、大きな膜のような窓を設置。
「窓は内部と外部、両者の間に立つ境界面でもある」とし、「窓の反射によって庭に明るさを与え、内外を超えた場をいかに設計できるかがポイントだった」と振り返っている。
このように二人の仕事は、「本当に必要か?」という思考を重ねて「場所をつくる」ことを大切にしているからこそ、建物全体ではなく一部分のみを担っているケースも多いことがわかる。
違う、ダメだと分かりながらスケッチを貫く。
では、風景をつくるためのヒントはどうやって得るのだろうか。すると、「現場に行く。行って話をする」と大坪さんは即答した。その理由は、晴れの日と曇り・雨の日では、場所の表情が変わるからだという。「一日中同じ場所にいると、光の移り変わりや、人の動きがわかるんですよ。もちろん季節によっても違う。だから、場所に行くことです」。
二人して同じ場所で長い時間を過ごし、それぞれが感じたことを言葉やスケッチで見つけていく。
すると予備校時代のことを思い出したように、大坪さんは笑ってこう話した。「例えば、僕は冬っぽい絵になって、増田は夏っぽくなったりする。同じものを見たはずなのに、全然違うんですよ」。
違うからこそ、お互いに感じたことを徹底的に共有し理解し、観察力を高めてきたのだろう。
ここで更に、スケッチで見つけるというエピソードから一つの疑問が浮かぶ。スケッチとは、建築家の頭の中にある、実現したい構想を形にする工程ではないのか。すると増田さんはこう話した。「僕たちの場合は、これは違う、間違っていると思いながら描いている」。スケッチブックには「何のためにつくるのか」「誰のために作るのか」という、叫びのような走り書きが残されていた。「つくりたいイメージを描くのが一般的だと思うけど、僕たちは、ダメだとわかりながら描く。描いた上で、ダメな理由を言葉にするんです」。
そうすると、ダメではないものだけが最後に残るというのだが、時間をかければいいということではないらしい。「完成してもなお、本当に必要だったのかは明確にはわからない」。そんな発言に驚かされるが、大坪さんはこうも続けた。「完成した後も、すべての物件に足を運んで施主さんと話をしながら自分も確認する。その行為を通じて、ないよりもあったほうがよかったと実感しているのかな」。
考えて描いて、さらに考えて言葉にして、議論をし尽くす。そこまでしても尚「必要だ」とは断言できない。もはや終わりのない作業のようだが、そういうものだと言うように、大坪さんは「最後まで納得することがあるかはわからない」と話した。ただしそれは、諦めともまた違う、可能性を含んだ境地のようだ。
『増田信吾+大坪克亘』が放つもの。それは決して、施主への回答とも言える「新しい建築物」ではない。回答は変化するかもしれないし、見つからないかもしれない。そのうえで投げかけられる、時代に対する「本当に必要か?」という問いかけと、その先につくられる「場所」なのだ。
profile
『増田信吾+大坪克亘』。2007年に増田信吾と大坪克亘で共同設立した、アトリエ系建築事務所。主な作品は、『躯体の窓』(2014年)、『始めの屋根』(2016年)。また主な受賞に『AR Emerging Architecture Awards大賞』(2014年)、『吉岡賞』(2016年)などがある。