中華そばは米沢のソウルフード
「中華」といったら普通、何を思い浮かべるだろうか。
麻婆豆腐、エビチリ、チンジャオロース?
はたまた北京ダックか、フカヒレの姿煮か。
米沢では、「お昼、中華でも取ろうか」と言ったり、暖簾をくぐってお店に入りしな「中華ひとつね」と言ったら、それは中華そばのことだ。
中華=中華そばでもあり、そば=中華そばでもある。残り二文字すら面倒で省略したいほど身近なもの。それほど日々の暮らしと密接に関わっているソウルフードが米沢の中華そばだ。
舌の上で踊る手もみの細縮れ麺
グルメサイトの人気ランキングで不動のトップ3に入る「そばの店 ひらま」は、米沢の中華そばの名店だ。
平日の木曜日でも閉店まで客足が途切れず、駐車場が空くのを待って入店すると、入れ違いに「こういうシンプルなラーメンで行列ができる店は珍しいね」とお客さんどうしが話しながら満足げに店を出る。
客席から丸見えの厨房で麺を茹でる店主。茹でる直前にも手もみを加える。
その縮れの強い麺をズルズルとすすると、舌の上で麺が踊る。
米沢のラーメンの歴史に、カフェー「舞鶴」の調理人、常松恒夫さんが奥さんの大事な着物地をシワクチャにしてしまい、「悪いことをしてしまった」と落ち込んで織物に顔をうずめたら、その感触がなんとも気持ち良かった。それにピン!ときたことから手もみの縮れ麺が生まれたという逸話がある。
この麺は当時の常松さんが顔をうずめた気持ちも分かるような感触で、また細麺を感じさせない強いコシもある。
透明感のあるスープは、動物系の旨味にほのかに煮干しの香りがする。
チャーシューは脂の少ないもも肉で、しっかりとした噛み応えと味わいがある。
製麺所から始まった「そばの店 ひらま」
店の歴史と中華そばについて店主にうかがった。
昭和47年、現在のご主人が二十歳の頃に先代のお父さんと一緒に開業し50年近くになる。
その以前から、ご主人が物心ついた頃には既にお爺さんが製麺所を営んでおり、始めた時期はもう定かではないという。「そばの店 ひらま」は製麺所から始まったラーメン店だ。
先代とのラーメン作りは、ラーメン店に麺を卸していたことから材料は知っていたが、調理の知識も修行もなく見よう見まねで始めたため、本を読んだり自分でアレンジしたり、とにかく毎日が試行錯誤だったという。
「今でも同じです。鶏ガラ、豚ガラ、煮干し、全部生き物なのでいつも違う。同じ仕入れをしても違うので、毎日同じ味を出すには努力が必要で、毎日が真剣勝負です。それでこの田んぼの中の一軒家に来ていただけるということは、仕事冥利に尽きます。」
お客さんは地元の常連さんに加え、宮城や福島など県外から来てくださる常連さんもいる。初めは誰かに連れてこられた人が、今度は次の人を連れてくる。まさに人が人を呼んでくれるのが有り難いという。
お客さんの注文は中華そばとチャーシューメンも含めて醤油味が7~8割。
その醤油は、常日ごろ食卓で食べていて美味しかったことから地元置賜の醤油を使ったそうで、創業当初からずっと変わらない。食生活や好みが昔に比べて贅沢になった今、食べたいものによってお客さんは店を選んでいるのではないかとご主人は言う。
熟成によりうまれる麺の旨さ
麺は打ちたてだと粉っぽく、それを数日寝かせて熟成させることでコシが強くなるそうだ。
日数は季節によって違うが、今の時期だと4~5日寝かせるとのこと。
「麺も生きもの同然なので、様子を見ながら、あと一日寝かせようかと調整します。」
そのため、製麺所だからといっても麺が切れたらすぐ補充するという訳にはいかない。
「たかがラーメン、されどラーメン。気軽に食べられるものであるからこそ吟味しなければなりません。小麦粉の旨味を引き出すには、ごちゃごちゃトッピングするよりシンプルが一番です。そして、麺やスープの良し悪しがストレートに出るのが醤油味で、シンプルなだけに誤魔化しがききません。」
ご主人の話には “ひらま語録” とも言うべき男気すら感じさせる言葉が次々とあらわれる。
麺は縮れでも心意気は真っ直ぐな、コシが強いシンプルな醤油ラーメン。それは、ジェンダーレスの時代に相応しくない表現かも知れないが、あえて呼ぶなら “男のラーメン”
「米沢ラーメンとはこういうものだと自信をもってやらないと迷いが出る」というご主人。
現在は、ご主人と奥さん、そして息子さんご夫婦の4人で店を営業している。
将来、代替わりしても、その味と心意気は迷いなく引き継がれるだろう。