発酵の効用は美味しいだけではない。その根本には「いかに自然の脅威から身を守り、限られた食材から栄養を引き出すか」というサバイバル術がある。世界で最も多く飲まれている酒であるビールもその例外ではないんだね。ということで、今回は少し変わった角度からビールの文化を眺めてみようではないか。
感染症を防いだ奇跡の水
中世〜近世のヨーロッパといえばペストや天然痘をはじめとする感染症が猛威を振るっていた。とりわけコレラのような水源の汚染による感染症は都市において致命的なパンデミックになる厄介な病気。そのなかでなぜか感染率が低かったのが修道士たちで、その理由は信心深さではなく日常的にビールを飲んでいたこと(近世まではビールは修道院で多く醸されていたのだよ)。汚染された水をビールに醸す過程でホップと発酵作用による病原菌の排除がおこなわれていたのだね。感染を免れた修道士たちは感染者の手当てに奮闘し、市民たちから「神のしもべ」として感謝されたが、発酵的に見てみると中世の修道士は「菌のしもべ」と言えなくもない。
砂漠のワイン、都市のビール
水源のない乾燥地帯で地下水を汲み上げるブドウを醸したワインは砂漠における安全な飲料。対してビールは水源が汚染される可能性のある都市で、酵母の発酵作用とホップ(薬草)の抗菌作用で水を浄化する都市における安全な飲料だ。歴史的に見てみると、ワインの醸造所は広大なブドウ畑を耕せる田舎にあるが、ビールの醸造所は都市に多い。特に近代に入るまでは現在の大手メーカーのような巨大な醸造所がなかったので、小規模なビール醸造所が都市のあちこちに散在していたんだね。日本でも最初にビールの醸造が始まったのは横浜だったんだよ。
ボトル詰めをせずに、樽から直接出来立てのビールを飲むのは美味しいのはもちろん、時間の経過や移動による雑菌汚染を防ぐ意味もあったはずだ。ではなぜビールはワインと違って都市で醸造できたのだろうか? その理由は「原料の保存性」だ。
持ち運べる麦と持ち運べないブドウ
ワインの原料であるブドウ=果実はそのまま放っておくと数日ですぐダメになってしまう。だからワインをつくりたかったら、ブドウ畑のすぐ横に醸造所をつくらないといけない。この制約が「テロワール=土地が生む価値」を生みだした。
対してビールの原料は大麦。これは果実ではなくて種なので、長期間保存しておくことができる(お米や大豆と同じだね)。保存できるってことは、つまり遠くへ運べるということなんだね。ビール醸造では地方で収穫された大麦を都市に運搬し、原料の生産と発酵プロセスを分離することができた。だからビールの成り立ちは大昔から流通の発達した都市でシティピーポーが消費する酒にフィットしていたのだな。
……と考えていくと、近代に入って世界中で人口が都市に集中していくのと、ビールの生産が爆増していくのは必然だったのかもしれない。ビールは都市文明とともに生まれ、都会人の文化と健康を支えてきた。適度に飲んでるうちは、だけど……。