御蔵の本来のよさは秋冬にある――。御蔵島に滞在した4日間、取材先で、宿で、商店や観光案内所などで、多くの方から幾度となく聞いた言葉。そのキーワードは山であり、森。イルカで賑わいを見せる島とはまったく違った顔となる観光のオフシーズン。訪れてみれば、穏やかさと開放感、そして島人と共有するゆったりとした時間が待っていました。
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海・山ガイドの柳瀬美緒さんと山を歩く。
そう教えてくれたのは御蔵島の海と山のガイド、柳瀬美緒さん。御蔵島では自然との共存を目指し、2004年1月に東京都と御蔵島村との間で「自然環境保全促進地域の適正な利用に関する協定書(エコツーリズム協定)」が結ばれた。以降観光客は、海はもちろん、山も一部を除いたほとんどのコースでガイドの同行が必要となっている。
取材は11月下旬。道中は植物を見て歩くのが楽しかった。登山道にはイズノシマダイモンジソウや、ウメバチソウなどの植物の姿も。「もう時季は終わっちゃったけど、ハチジョウコゴメグサという白いお花は、御蔵の中でもこのあたりにしか咲いていないんですよ。『八丈』って名前が付いているけど、八丈島に咲いているのとはちょっと色が違う。もしかしたら、別の種類かも」。「これ、ミミズクが3羽集まって相談しているみたいに見えませんか? 本当は凹んでいる縦の割れ目に種が入っていたんです。これは御蔵島特産の黄楊(つげ)の種がはじけたあと。私はこれが大好き!」。小さく愛らしいミミズクたち。言われなかったら決して気づかないだろう。これも地元の山ガイドと巡るよさ。セッコクというランの一種である着生植物は、寄生ではなく自立して共存共栄を図る植物であること、山頂付近のオオシマザクラは北海道や青森県と開花期がほぼ同じこと、笹を食草とする固有種・ミクラクロヒカゲは縄張り意識が強くガイド中に体当たりしてくることなども。柳瀬さんは、島の植生や昆虫の生息域などを熟知。景色を見るだけでない、山歩きの楽しさを味わわせてくれる。
柳瀬さんは経験豊富なドルフィンスイムのガイドでもあるが、御蔵島に暮らすようになったのはこの山があったからだそう。「自然が好きで、昔は海外にもよく行っていました。バハマでドルフィンスイムをしたり、タイ北部では象に乗って山を越え少数民族に会いに行ったり。16年ほど前にイルカガイドのアルバイト募集を知って御蔵に来たのが最初です。こんなに長くいると思わなかったですけど(笑)。気づいたら認定の山ガイドにもなっていました。でも、イルカだけだったら、ほかのガイドさんのようにシーズン中だけ島に来て、冬は内地に帰って別の仕事をしていたかなあ。でも、御蔵の冬の暮らしがよかった。夏のように慌ただしくないのと、山がすばらしかった。山ガイドとしても働けるなら島で暮らしていけるなって」。島には雪も降るといい、「誰もいない山道に足跡つけていくのは本当に快感です」と柳瀬さんはうれしそう。
「そして御蔵の海と山はつながっています。2つを結ぶ存在がオオミズナギドリ。昼は海で捕食し、夜になると森の中に掘った巣穴へと帰るんです」。
かつては島の貴重なタンパク源でもあったというオオミズナギドリ。御蔵島は国内最大の繁殖地だ。糞などの栄養が山を潤し、その栄養が海へと流れるとも。オオミズナギドリは島の周囲の豊かな自然環境にも、寄与しているのかもしれない。
「でも、意外とイルカの常連さんは夏のことしか知らない。御蔵の山と森のことを知ったらもっと御蔵が好きになると思います。秋冬こそ、ありのままの御蔵のよさを感じられる季節だと思いますね」。
『ふくまる商店』山田壮稔さんに会いに。
島に暮らす人は、どんな人に来島してほしいのだろう。「どこの島もそうだと思いますけど、その島を理解してくれる方でないと難しいですよね。島の常識と、ソトの常識は違ったりしますから。イルカ目当てのお客さんによく言うのが、『イルカと遊びに来ているって感覚ではなく、人間がイルカの住んでいるところにお邪魔させてもらっているスタンスで来てほしい』って。これは島に対しても同じこと。そして、御蔵島は宿のキャパシティが限られているので、『いくらでもウエルカム!』というような島ではありません。さらに移住という視点で考えると……間違いなくこの島の冬の季節が好きな人でないとダメ。冬は海が時化(しけ)ることが多くモノが来ないのも普通で、それを不便と感じないのも大事。あと、単純に私は島の冬が本当によいと思っていて、仕事を休んで、もっと山に入って遊びたいくらい(笑)。まだまだ知らない自然がいっぱいあって、そこに行けるのは時間のある冬しかないですから」。
島で生まれ育った井上日出海さんと話す。
御蔵島もほかの伊豆諸島の島々同様に火山活動によって生まれたものだが、三宅島や大島などと異なるのは、有史以来噴火をしていない点。ゆえに深い原生林が育まれているという。島の随所にはシイノキやタブノキの巨樹がたくさん。スダジイの巨木は数百本を数え、島の南東には「オオジイ」と呼ばれる推定樹齢が800年以上とも呼ばれるものも。
加えて忘れてはならないのが天然の黄楊。御蔵島の黄楊は、かつては島の貴重な現金収入であり、島に子どもが生まれたら将来のために、山に黄楊を植樹していたそう。「昔は男の子が生まれると1000本、女の子だと300本、黄楊を植樹していました。成長が遅く出荷するまで7、80年かかるので、孫の代のために。今は、黄楊の需要が少ないこともあって、その伝統も少なくなっていますが」。
そう話してくれたのは、島で生まれ育った井上日出海さん。島に不可欠な港湾関係の仕事を一手に担う『御蔵島マリン』の代表であり、島のブランド化を目指す「東京宝島事業」の地域コーディネーターでもある。
「好きだったんでしょうね、島が。それがブレなかったから、横浜の学校でもがんばることができた。うちのひいじいちゃんが三宅島から木挽として、そして島の木を伐る先生として御蔵に越してきてから親父で3代目。うちの親父も島が大好きで、島のために尽くしてきた人。親父は、島生まれ島育ちだけど、それでも島の人と距離があるのを感じていた。だからなおさら、『島に必要な人間になれ』って、言われ続けてきました」。
そんな井上さんも、やはり山が好きだという。
「やっぱり長滝山はきれいですよね。今はもう道がなくなってしまいましたが、森の中にも大好きな場所があって。そして、内地に行って『島に帰りたいなあ』って強く思ったのは、空ですね。僕は星空が好きなんです。向こうだと星がこんなに見えないでしょ。やっぱり冬こそ、御蔵島の本当の姿かなあ。夏はすごくたくさんの観光客が来てくださって、それはそれでありがたいですけど、入ってきたお客さんと島の人が触れ合うことができないし、それをする余裕もない。冬、時間があればこうやってお話することもできますから」。
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