会員番号31番のまさやんこと永原真幸です。長野県松本市にある商業施設が2025年2月いっぱいで閉店しました。1984年8月以来約40年の歴史があり、同市のシンボル的存在でした。かつて松本市民だった私にとっても思い入れのある施設だったので、2月10日から12日にかけ最後を見届けに行ってきました。
おそらく、みなさんの地元にもみんなに親しまれた施設の閉店というニュースはあると思います。松本PARCOに思い入れがないという方も、地元の施設と重ね合わせて読んでいただけたら、と思います。




私と松本 私と松本PARCO
私が松本に住んでいたのは、21世紀初頭の約2年半。大学卒業後、新卒で入社した会社の2番目の赴任地でした。全国で中心市街地の衰退が問題となっており、「ファスト風土」という言葉も話題になりました。そんななかでも、松本市は比較的中心市街地が栄えており、街歩きが楽しめる街としての魅力を保っていました。
私も、仕事帰りや休日はほとんど松本駅前をぶらぶらして過ごしました。松本PARCOは街歩きの起点となる場所で、特に、かつて地下にあったパルコブックセンター(のちにリブロに改名)がお気に入りでした。地方都市の書店にはないような、アート系・サブカル系の本が充実していました。当時は、街なかにいわゆるミニシアター系の映画を上映する映画館もありました。
つまり、PARCOと映画館をハシゴすれば、少しだけ都会にいる気分が味わえたんですね。自然が近い松本が好きだけど、都会も恋しいという当時の私にとって松本PARCOはオアシスのような存在でした。



駅構内に横断幕
朝8時ごろ地元を出発し、東海道新幹線、中央本線を乗り継いで13時に松本に到着しました。改札を出て、お城口を進むと正面に「松本PARCO40年間ありがとう!!」の横断幕が!

街なかのあらゆるところに「ありがとう!松本PARCO」の旗がありました。PARCOがいかに市民に愛されていたかが分かりますね。

駅前の老舗洋食店で腹ごしらえ
松本PARCOを堪能する前に、まずは腹ごしらえ。松本駅前の「レストラン どんぐり」でランチをいただきました。松本時代によく通っていたお店です。なんでも美味しいですが、特にハンバーグがオススメです。この日は、ハンバーグとカキフライの定食をいただきました。


どんぐりも一時松本PARCOと一緒に閉店するという噂がありましたが、店内の展示を見る限り、その噂は嘘のようですね。マスターも「もう少し頑張るよ!」と明確に否定してくれました。

松本PARCOへ
お腹がいっぱいになったところで、旅の目的地である松本PARCOに向かいます。レストランどんぐりから5分ほど歩くと、PARCOの看板が見えてきました。閉店した店もありますが、ここの風景は私がいた頃とあまり変わっていません。


歴史を振り返る展示も
店内では、PARCOの広告を振り返る企画展が行われていました。どの作品もアバンギャルドで今見ても格好いい!インターネットがなかった時代に、これらを初めて見た松本の若者はさぞやショックを受けただろうと思います。



こちらは、広告展の後に開かれたポスター展。会期をまたいでの滞在だったので、両方見ることができました。



メッセージボードも設置
店内には、メッセージボードも設置されていました。私が行った時は閉店までまだ二週間以上ありましたが、すでに壁いっぱいにメッセージが飾られていました。みなさん、いろんな思い出を書いていましたが、「デートで来た」あるいは「デートで来たかった」(笑)と書いている人が目立ちました。
私がメッセージを読んでいる間にも、ひっきりなしにメッセージを書く人がブースを訪れていました。家族連れの方も多かったので、「この二人も、ここでデートをして…やがて夫婦になったのかなぁ」などと想像していました。
カードに書いてある住所を見ると、松本市内はもちろん、安曇野市、諏訪市、伊那市などかなり広い地域の人に愛されてきたのが分かります。みなさんにとって身近な都会、だったんでしょうね。

私もメッセージを書いてきました(写真右下)。大阪からやってきたという謎のアピール(笑)。
服を買ったお店の方に「大阪からお別れをしに来ました」と言うと、「え?わざわざ?」とビックリされました。


老舗の百貨店も3月末で閉店
松本PARCOの後は、老舗百貨店井上の松本駅前本店に行きました。こちらのお店も3月末で閉店することが決まっています(執筆当時)。PARCOと共に松本のランドマーク的存在だっただけにショックは大きいです。当時の自分に「タイムスリップしてきたけど、松本駅前から20年後にPARCOと井上がなくなるってよ」と話しても信じてもらえないと思います。


なじみのお店を訪問
たい焼きやさん、喫茶店、イングリッシュパブなど、当時通っていたお店もいくつか訪問しました。松本駅前から松本PARCOや井上はなくなりますが、個性的な個人店が多い松本の魅力に変わりはありません。





まとめ:昔の自分に会いに行く
今回の旅の目的はただ一つ「松本PARCOとお別れをすること」でした。そのため、2泊3日の期間中のほとんどを松本PARCOおよび、その周辺で過ごしました。本記事で紹介した広告展に行ったほか、閉店セールで服を購入、記念のキーホルダーも買いました。店内のメッセージボードはもちろん、地元の新聞社のさようなら紙面にもメッセージを書きました(後日結構いい場所に掲載されました)。
ただ、閉店まで2週間以上あるという時期のせいでしょうか?それだけしても、実感が湧きませんでした。店内もまだまだ平常運転ムードでしたし・・・
地元紙の報道によると、閉店当日の2月28日にはセレモニーが行われ、1500人以上の人が集まったとか。正直、そっちに行けばよかったな、と思いました。でも、思い直しました。そうじゃない、私がお別れをしたかったのは当時通っていた普段着の松本PARCOなんだと。そういう意味では、閉店まで2週間と少しという訪問時期はちょうど良かったのかも知れません。
帰り際、外壁に飾られていたポスターを見ました。そこには、「あの頃の私が、まだここで、きみを待っている気がする。」という言葉が。「いいコピーだなぁ、私が今回松本に来たのは、PARCOにお別れするだけじゃなくて、その当時の自分に会いたかったんだなぁ」。そう思いました。
実際、松本に滞在し、PARCOや当時よく通っていたお店に通っているうちに、自分は20年前の自分で、まだここに住んでるのではないか、という錯覚を覚えました。同じことは、学生時代を過ごした東京・池袋(偶然にもPARCO発祥の地!)を歩いていたときにも思いました。
「昔住んでいたところを訪ねることは、タイムマシーンに乗って当時の自分に会うことかもしれない。前向きに行きたいけど、たまにはそんな旅もいいよね」。そんなことを考えながら松本を後にしました。


おまけ:大阪で味わう松本
松本旅行から約1ヶ月後、大阪・梅田の阪神百貨店1階食祭テラスで松本をテーマにした催事「ノスタルジック松本」が開かれていました。以前、複数のペンクラブメンバーがアンテナショップと関係人口について書かれていましたが、食祭テラスは私にとって地元(大阪)にいながらいろんなローカルと触れ合える大事な場所です。長野県全体(も、もちろん魅力的ですが)ではなく、松本オンリーの催事、というのが元市民の私にとってうれしいです。
さっそく、初日に訪れ、松本産のイチゴを使ったクリームソーダや信州牛のローストビーフ丼などをいただきました。私が「元松本市民です」と言うと、お店の方も喜んでくれて、松本PARCOの思い出話に花を咲かせました(笑)。松本には友人もいますし、また定期的に足を運びたいと思います。


