チョガオ、初めての日本人訪問者。
夕方のホーチミンは大量のバイクが行き交う帰宅ラッシュ。まだ地下鉄開業前のベトナムではバイクは絶対のつく必需品。まさに市民の足。
そんな中、ホーチミンで友達になった龍くんは、仕事終わりに地元の友人の結婚式に参加するため、帰省をするみたいで、僕も連れていってもらうことに。時速約70キロ、バイクで2時間。もうすでにお尻の感覚はない。ホーチミンの南、ティエンジャン省チョガオの街灯すらない田舎の村へ到着した。
先に彼の実家へ行き、両親とお兄ちゃんに挨拶をし、会場へ。結婚式というか、披露宴はすでに始まっていて、半分屋外の会場に円卓が並べられ、舞台では大音量で地元のおじちゃんがカラオケ熱唱中。入り口のアーチ状の門は手造りで電飾が施されていて、なんともアットホームな素敵な会場だ。
龍くんを含む同級生グループの円卓に僕も座る。聞くところによると、この村初めての日本人の訪問のようで、みんな少々戸惑い気味だ。
そんな距離を縮めるのは万国共通、お酒だ。この村の風習か、ショットグラスに注がれたウオッカのようなベトナム酒を、一緒に飲む人を指定し合い半分ずつ飲む。そりゃみんなこぞって珍しい客である日本人の僕と盃を交わし、次第に距離も縮まり、もはや何語を話していたかもわからないが、話に花が咲いた。
ベトナムでは新郎と新婦それぞれの披露宴は別で行われる。参加者も新郎も私服でかなりカジュアル。ご祝儀制で相場の5万ドン(約2500円)を赤い封筒に入れて新郎に渡す。
さらに舞台に上がらされ、お祝いの言葉とリクエストされた日本語の曲を歌わされる。歌のご褒美か、村のおじさんからはお金の刺さった花束をもらう。このローカル感がたまらない。
村長さんらしき人を囲ったテーブルに座らされ、「またいつでも来なさい」と、また酒を交わす。観光では絶対に味わえないディープなベトナムナイトを過ごした。
「むら」的なまちづくりの可能性。
ニワトリの強烈な鳴き声で目を覚ます。頭が痛い……。昨日は飲みすぎた。
ベトナムの田舎の家はどの家もカラフルでかわいい。天井が高く、内と外の仕切りも少なく、開放的で風通しがよい。家の中もハンモックが多用され、早めに起きていた龍くんとお兄ちゃんは気持ちよさそうにくつろいでいる。
円卓には大好物のドラゴンフルーツ。この村のほとんどが農家で、「ドラゴンフルーツ村」ともいわれるほどの産地だそうだ。
二日酔いを癒しに、メコン川沿いのハンモックがずらりと並んだ村のカフェへ。酔いもあってか頭がぼんやり、レモンティーを飲みながら、いろいろと考える。
ベトナムは社会主義国であるが、その社会は「むら社会」といわれ、各々村それぞれの秩序やルールが重要視されている。この村にも独自のルールや秩序があるのだろう。
「むら社会」と聞くとネガティブに聞こえるのは、その閉ざされた“排他性”へのイメージだろう。もともと日本も「むら社会」で、経済成長に伴い、村同士が一つの町へと単位を替え、さらにルールや秩序も全国一律へと向かった。
それは経済成長には必要なことで、ベトナムはこれからみんな一丸となって山の頂上を目指す。
経済的な山を越えた日本。決して「むら」というものを排他的なとらえ方をせず、「むら」的にまちづくりを考えてみるのはいかがだろうか。自分たちの住むエリアを限りなく最小単位にすると、関係性や各々の役割、魅力や資源、そのエリアの秩序などが視覚化できる。
さまざまなことが視覚化されるとグッと自分の立ち位置が明確になって、その土地への愛も深まる。微住をしたチョガオは、ホーチミン以上に自分とその土地との距離感が近くて、彼らの“関係圏”に入ることができた。
もっとアジアの隅々に散らばろう。きっと自分にぴったりの微住先や未開拓の関係がまだまだあるはず。