少年・少女8人の姿や装備、そして彼らを視察に来る、“メッセンジャー”と呼ばれる見るからに強靭な小男とのやりとりから、8人はゲリラ兵であることがわかる。
「モノス」というコードネームの小隊に属する彼らの役目は、人質の米国人女性「ドクター」を監視し世話をすること。敵が来たら戦うこと。時折メッセンジャーから指令は受けるものの、彼らは特に行動を制約されているわけではない。夜、火を囲んで踊り、じゃれ合い、酒を飲み、天に向けて銃を放ち、エネルギーを発散する少年・少女は、自由というより、野放しにされた獣のようにも見える。
気勢を上げる彼らのひとりが、支援者から預かっていた牛を誤って撃ち殺してしまう。これを機に、隊長のウルフが自死し、独善的なビッグフットが新たな隊長に就いて以降、仲間内での、互いへの感情や関係性が変化してゆく。
敵の襲撃を受けたモノスは、身を隠すため、人質のドクターを連れてジャングルの奥地へ逃げ込む。鬱蒼とした緑が視界を遮り、激しい雨による濁流とぬかるみが行く手を阻む。新たな隊長は、裏切り者に罰を与え、逃げた仲間を追いかける。熱帯雨林の水、土、そして緑の獰猛な力が、人間の暴力性とシンクロする。
ジャングルを疾走し、水嵩の増した濁流に流されながら泳ぐモノスのメンバーの多くは、演技未経験だったという。迫真の演技などという言葉にはとても収まらない彼らの生々しい身体性が、観る者の皮膚感覚や生理を刺激する。
場所も、時代もあえて特定せず、状況を説明せず、世界で起きている出来事を抽象化、寓話化することで真理を描く『MONOS 猿と呼ばれし者たち』。監督のただならぬ才能に圧倒される作品だ。
生い茂る草をナタでかき分け森を進み、屋根を葺くビロウの葉を伐り集める。作業を手伝う仲間に、パストーラがつくったチチャ(口噛み酒)を振る舞う。自給自足の暮らしがつくり上げた彼らの心身はしなやかで逞しく、セバスティアンの植物との向き合い方はただただすごい。土地の恵みと生きる彼らにも、外界の影響は及んでいるが、映画は森と共生する彼らの鋭敏な五感と第六感を伝えている。
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』
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