片づけも終わり、家財道具のない台所にぼんやりと佇む娘のオクジュに声をかけ、出発を促す父のビョンギ。弟のドンジュと3人、家を引き払った一家は、父の運転で祖父の家へと向かっている。自分たちが行くことを伝えているのか。移動中、父にポツリと尋ねるオクジュのことばに、祖父を頼るしかない状況に対する彼女の心もとなさが透けて見える。
到着したのは遠くに高層ビルが見える、ゆったりとした一軒家だ。「父さんも独りじゃ寂しいだろうから、ここで夏休みを過ごそうと思って」。父はそういうけれど、自分たちは居候であることを、オクジュは知っている。体調のすぐれない祖父が独居する、喧噪とは無縁だった家に、離婚寸前の叔母ミジョンも加わり、ひとつ屋根の下に流れる三世代の“夏時間”が、オクジュの視点で描かれてゆく。
祖父にも叔母にも衒いなく甘えられる人懐っこいドンジュに対し、事業に失敗した父や、そんな父を捨て、自分たちを置き去りにした母に複雑な感情を抱くオクジュ。彼女の心を支えているのが、同級生との淡い恋だ。
「目を養うためにも、若いうちにたくさん恋愛しなさい」。姪の気持ちを酌んでミジョンはそう口にする。離婚したい叔母と思春期の姪。ベランダで下着を干しながら、しみじみと交わすふたりの会話は妙にリアルで笑いを誘う。
父親が路上で売っているパチモンの靴をこっそり売ろうとして警察に補導されたり、自分たちを捨てた母親に会うだけでなく、お土産をもらって喜んでいる弟とケンカをしたり、介護が必要な祖父を、本人の意向も聞かずに老人ホームに入れて家を売ろうと考えている父に反発したり……。こうしたエピソードを一つひとつ、ていねいに描写することで、それぞれの思いを物語ってゆくユン・ダンビ監督の演出は、長編デビュー作とは思えないほど安定している。
坂の途中にある建物らしく、高低差が趣や景色をつくっている祖父の家は、南に面して陽当たりもよく、木々や菜園の緑も青々と茂っている。その庭に面した大きな窓、広々とした居間、祖父が大切にしてきたオーディオセット、折り返し階段の途中にある小さな踊り場、2階に上がるとすぐ目に入る、窓際に置かれた年季ものの足踏みミシン……。
昭和の日本のような懐かしさや生活の匂いが立ち上るこの家を見たとき、「ここで撮影しなければと思った」というように、監督が強い思い入れを抱き、家主の老夫婦に頼み込んで撮影協力にこぎつけたこの家は、間違いなく映画のもうひとつの“主人公”になっている。
冒頭、祖父の家へと向かう車での移動シーンや、同級生を突き放したオクジュが自転車で疾走するシーンなど、要所要所の長回しや、固定カメラで人物をじっくりととらえるカメラワークが“見ること”を促す、そんな映画でもある。
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『夏時間』
2月27日(土)より、ユーロスペースにてロードショー、全国順次公開
http://www.pan-dora.co.jp/natsujikan/