アクションにコメディ、恋愛……。映画にはさまざまなジャンルがあるけれど、中野量太監督の作品に名前をつけるなら、「家族映画」。どこか滑稽で愛おしい家族の物語が、いつもそこにあります。
認知症は、記憶を失っても、心は生きている。
中野量太監督の作品にはいつも、死を通じて描き出される、さまざまな家族の姿がある。日本アカデミー賞で優秀作品賞をはじめ計6部門を受賞した前作『湯を沸かすほどの熱い愛』で描いたのは、癌で余命2か月を宣告された母親が命を懸けて愛を伝えた、血縁を超えた家族の物語。それから約3年。最新作『長いお別れ』では、厳格な教育者だった父親が認知症を患い、妻のことも娘のことも、そして自分の名前すらもわからなくなっていく7年間を描く。娘をはじめ残される者たちが、変わっていく父親と対峙しながら、自分の人生を反芻する物語だ。
2025年には高齢者の5人に1人が発症すると言われている認知症。それは、自分や家族・友人……身近な誰かが発症する可能性があるということでもあり、何らかの形で誰もが関わらざるを得ない現代の病だ。物事を忘れていくというその特性から、以前は侮蔑的に"痴呆"と呼ばれていた病でもある。なぜ今、認知症を題材に映画をつくろうと思ったのか。
これまでオリジナルで脚本を書いてきた中野監督だが、『長いお別れ』は初めて原作(中島京子著『長いお別れ』)を元に書いた作品だ。認知症は原作にある設定ではあったが、「今撮らなきゃいけないと思った」と、映画化のきっかけを振り返る。これからの社会は確実に、認知症を避けては通れなくなるという切迫感だけではなく、認知症の捉え方が「以前とは少し変化していることを知った」ことも理由だった。認知症は、何もかもを忘れてしまう病ではない。名前など記憶しなければいけないことは忘れてしまうかもしれないが、心で感じる、本人にとって大切な人だという思いは忘れてはいないのだそうだ。
「『記憶は失っても心は失わない』という考え方を提示することで、認知症に立ち向かう支えみたいなものになればと思ったんです」と中野監督は言った。しかし本編には、病状が進行することを受け入れられない家族が本人に辛く当たってしまったり、介護に伴う言い争いで家族関係に歪みが出たりといった、認知症患者を抱えた家族なら必ずや通るであろう暗い現実はほぼ描かれていない。むしろ、何だかおかしくてクスッと笑ってしまうようなシーンが鏤められている。そのことについては、どこまでそのシリアスな状況を描くのか悩み、脚本を何度か書き直したのだと言った。「でも最終的には、ただリアルに、苦しいんだっていうことを描くのは違うと思ったんです。認知症は大変。だから、その大変さを想像してもらえるような場面は描いたつもりです。でもやっぱりこの映画で伝えたいことは、『記憶は失っても心は失わない』っていうメッセージだから」。
撮影中、いつでもその思いに立ち返ることができるように、台本の裏表紙に記したのは『認知症は、記憶を失っても、心は生きている』という言葉。大変なことを超えたところにある、心に目を向けたいという、覚悟を物語るエピソードだ。「『この映画を観て安心してください』なんて言う気は、さらさらないんです」。少しの沈黙の後に、中野監督はこう続けた。「だって、僕のばあちゃんも認知症だったんですけど、めちゃくちゃ大変ですよ。もう本当に大変なんです。でも僕が撮るならばやっぱり、家族っていいじゃない? って言えたらいいと思ったから」。
監督自身は、早くに父親を亡くし、いわゆる母子家庭で育っている。さらには、血のつながったひとりの兄に加えて、二人の従姉妹とともに育てられたという原体験がある。家族構成は"普通"とは少し違っていたかもしれないが、この家族が中野監督にとっての"家族"であり、そんな家族がいてくれたからこそ自分があるという思いが、いつも心の中心にあるのかもしれない。
「ずっと家族ってなんだろうと考えて生きてきた」という中野監督の作品には、さまざまな家族が登場し、確かにひとつとして同じ形はない。それはきっと、血がつながっていなくたって、両親が同性同士だっていいということ。それぞれが自分の家族をつくっていくものであって、決まりはないというメッセージでもあるのだろう。
「家族はこうでしょ! とは絶対に言わない。だけどやっぱり、最後の最後には、いろいろあるけど、でも家族っていいじゃない? とは言いたい。それが僕の仕事だと思うんです」。
『長いお別れ』
監督:中野量太 脚本:中野量太、大野敏哉 原作:中島京子「長いお別れ」
出演:蒼井 優 竹内結子 松原智恵子 山﨑 努 北村有起哉 中村倫也 杉田雷麟 蒲田優惟人
公式サイト http://nagaiowakare.asmik-ace.co.jp/
5月31日(金)より、全国順次公開中