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多様性

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ

ときに下ろうと、上り坂に立つ。

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先日、薬物依存経験のあるゲイの方3名からお話を聞く機会があった。彼らのサポートを行う団体の方からの誘いで、あるメディアの取材に同席させてもらったのだ。時刻は夜に向かい街が青く染まる18時。マンションの一室のアットホームな事務所で取材は行われた。

部屋に入ると、お三方が立ち上がって挨拶をしてくれた。そのまま「もう暑くなりましたね」とか、「男がこんなに集まるとなお暑いですね」なんて言い合って笑っていたらすごくホッとして、結構緊張していたんだなぁと思った。

取材は、それぞれがどうやって薬物依存に至り、そしてどうやって自分と向き合ってきたのかを聞いていく流れで進んだ。雑談から和やかに始まったが、内容はずっしりと重たかった。

 「高校時代、自分がゲイであることが受け入れられなくて、ゲイコミュニティに足を踏み入れる勇気がもてなかったんですね。それでトイレに書いてあった電話番号に片っ端からかけてセックスしていました。セックスに依存することで心の穴を埋めていたんだと思います。その繰り返しの果てで薬物に出合って、初めは怖かったです。というか、ずっと怖かった。でも、何度か勧められることが続いて、使用するようになりました」

皆がこういった過酷な経験を話してくれた。僕らに気を使わせまいと、冗談を交え、お茶なんかも勧めてくれながら、ていねいに言葉を選んで話してくれた。その口ぶりからは脆さのような弱さのような恥じらいを感じたが、同時に、再起した人の強さと優しさも感じた。

取材が終わりに近づいた時、僕の口から素直に出た一言は、「お気持ち、分かります」だった。おこがましい共感の押し付けだったかもしれないが、僕は確かに彼らの気持ちが分かる気がした。

生きづらさというのは、重油のように心の底に沈殿する。僕も長らく暗澹たるそれを搔き出すことに時間を使ってきた。それはあるとき顔を出すものではなく、常時心を濁らせるものだ。寝ても冷めても、息苦しさを感じる時、人は刹那的な快楽を麻酔のように求めてしまうのだと思う。

僕の場合は、もっとも苦しかった学生時代、偶然にもバレーボールに夢中になり、それに没頭することが救いとなった。気の合う友人に恵まれたというのもよかったのだろう。でもバレーに出合ってなければ、あの学校に入らなければ、と想像すると、彼らと同じ道を歩んでいてもまったくおかしくなかったように思う。救いがいつも見つかるとは限らないのだ。

「薬物依存になってよかったなんて当然思ってないですけど、薬物経験者の自助グループの仲間たちに『やってたから、なんとか生きれたんじゃない?』と言われて、そうかもしれないなと思いました。いつも『おかえり』と言って迎えてくれるこの人たちとこれからも一緒に生きていきたい。そう思ってから、時間はかかりましたけど、やっとやめることができました」。一人の方が照れながら語ってくれた時、生きることは尊いと、改めて感じた。

最後に、これからの人生をどうしたいかという話になった時、一人の方が「上り坂に立っていたいです」と言ったのが印象的だった。僕はまた「分かります」と口走ってしまい、みんなが笑ってくれた。

人の幸せを決めるのは、立つ位置の高さや低さではなく、上り坂に立っているという感覚だと僕は思う。螺旋階段であってもいい、時に下りを挟んでもいい。でも、必ず「今よりよくなろう」と思い続ける限り、人は上り坂に立てるし、今よりもっと幸せになり続けるのだと思う。僕もこれから彼らに負けないよう、どんな時も上り坂に立つという意思を捨てず、生きていこうと決意を新たにする夜になった。

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