ここ2週間ほどあまりに忙しくて、ずっと息を止めて潜水しているような気持ちだった。仕事が終われば息も絶え絶えで玄関から這い上がり、とにかく良質な酸素を取り込んで体を休めようと、すぐにベッドに入る生活を送っていた。昔から「考えすぎるのは暇な証拠」という言葉を聞くたび、それは鈍感な人による繊細な人へのさりげない暴力だな、と思ってきたけど、なるほど、余裕がなくなると人間らしいことは考えなくなるのだった。多分、僕はずっと仙人のような顔をしていたと思う。潜水する仙人である。
忙しくなった一因として、休みの日に仕事を入れてしまったことがあった。その仕事を入れた時はこんなに忙しくなると思っていなかったし、悪いのはその仕事ではなく僕であって、と思ったが多分誰が悪いわけでもなくて、ただ誰も悪くない過酷な休日を送ることになった(しかも2日も!)。内容は中学・高校生の「探求学習」の成果を発表する全国大会の審査員という、また手の抜きようもないというか、手を抜いたら人間としてどうなんだという仕事で、朝から眠い目をこすり起床して、鉛のように重くなった体に熱いシャワーを浴びせては仙人に戻り、PC画面の向こうの生徒たちの発表を立て続けに聞いた(オンラインでの開催だった)。
全チームが発表を終えて、特に印象に残ったのはミルクボーイとぺこぱの漫才に乗せて大賀典雄(SONYの元・社長)の歩みを紹介した中学生4人組だった。大賀さんは稀代の経営者でありながら、東京藝大を卒業した声楽家でもあり、変わったバックグラウンドを持つ“分かりにくい人”だ。だから、分かりにくい何かを仕分けしたり評価したりするこの2組の漫才をモチーフにしたのは、秀逸だった。
だが、それでもはっきり言って、彼らの発表は「やりたいだけ」感が満載で、それが何より最高だった。僕やほかの審査員が、彼らの語る大賀さんの偉業に驚いたり噛みしめたりしていると、そんなことはお構いなしにボケをかましてくる。「ほな大賀さんちゃうか〜〜〜!」、いや、気が散っちゃうのよ、そうツッコミたくなってニヤニヤしていると、また大賀さんの話にしっかり戻って聴衆を感動させる。そして最後、一番ボケ倒していた少女が正面を見て「素晴らしい仲間に愛される自分になろう!」みたいなことを叫んだ時には、ミュートした画面に向かって「いや、無理やりだな!」とつっこんでしまっていた。発表はもはや「大賀さんの偉業vs中学生の体当たり漫才」という不思議な異種格闘技戦のようだった。こういう笑いもあるのか、と僕は変なメモをとりつつ、とにかく彼らのエネルギーに感動した。
その後は、審査員による講評となったのだけど、僕は自分が「褒める立場」にあることをその段になって自覚し、急に居心地が悪くなった。「褒める」というのは、何か正解があるから「よくできました!」と言ってする行為だが、今の社会に正解なんてほとんどないし、あったとしても僕はそのほとんどを知らない。彼らの発表に「大人が見るとこうだ」なんて言うのは、糞食らえだとさえ思う。しかも僕は、一人のセクシャルマイノリティとしてくだらない社会規範を疑い、時にあらがってここまで生きてきた身だ。そんな自分が「正解を知ってる人間ヅラ」して彼らを褒めるのは納得がいかなかった。だからいろいろと感動したことを言葉にしながら、「気に食わないコメントは全部『うるせぇ!』と思ってね」と言ってしめた。無責任だったかもしれないけど、僕はむしろ自分が彼らから「太田、お前ももっと好きにやれよ」と、背中を押された気がしたのだ。結局あの2週間を振り返って、一番元気が出たのはその大会の後で、つまり僕は、仙人のような不動心など持たない簡単に元気になるただの男だった。「好き」は誠に気持ちがいいのだ。