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連載 | 発酵文化人類学

発酵文化が景観をつくる。 

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僕の住む山梨県の峡東地区と呼ばれる丘陵地は、ワイン醸造とブドウ栽培で昔から知られた土地だ(中心地は勝沼市)。初夏から秋にかけてここを訪ねた人はその景色に感動する。丘一面のブドウ畑、そこに古い寺やワイナリーが点在している。このユニークな景観は、山梨に根付いたワイン醸造がもたらしたもの。そう、発酵文化は景観がつくるのだ。

目次

醸造と栽培の相互ループ

ワインの唯一の原料であるブドウは、長期間備蓄できず、傷みやすいので遠くに運ぶことも難しい。そこでワイナリーは原則ブドウ畑のすぐとなりに建てなければいけない。しかも醸造プロセスがシンプルなのでブドウの質=ワインの質となる。したがってほとんどのワイナリーは自社でブドウ栽培も手がけることになる(自社栽培がどれくらいの割合なのかはメーカー次第だが)。ということは、ワイナリーはその土地のブドウ栽培の守護神と言えるんだね。

僕の家はブドウの栽培地よりも標高の高い山中になるのだが、最近は温暖化によってワイン栽培が高地化してきている。しかも高地で主に栽培している桃の農家の高齢化が進んであちこちに耕作放棄地ができているので、近所のワイン関係者が集まると「あそこブドウ畑にできないかな……」という作戦会議が始まったりする。

ここ数年、山梨のワインの人気はうなぎのぼり。生産を増やすためには当然ブドウ畑も増やさねばならない。しかも自分もワイナリーをやりたい! という起業家もどんどん増えている。県外からブドウ栽培やワイン醸造を学びにくる人も増えている。もしかしたら、10年後には我が家の近所も一面ブドウ畑とワイナリーだらけになっているかもしれないよ……!

日本酒にもテロワールの流れ

ワインは宿命的にその土地における醸造と農業の結びつきが強い文化なのだが、その「テロワール」へのリスペクトはほかの醸造業界にもじわじわと広がっている。その筆頭が日本酒だ。日本酒の原料である米はブドウと違って備蓄が利くのでわざわざ地元のものを使わずともおいしい酒をつくることができる。しかし醸造技術の発達によって「誰でもよい原料を選んで80点の酒をつくれる」という醸造スキルのコモディティ化が起こった。すると100点を目指すのではなく、そもそもほかが真似できないオリジナルの味のモノサシをつくるぞ! という差異化が行われることになる。その時に蔵の地元で、しかも由緒ある品種の米で酒を醸すぞ! というテロワールの尊重が始まる。

質のよい米をつくるために地元の農家と一緒に技術改良をしたり、若い農家のつくった有機米を優先的に買ったり。仕込み水をもたらす森の生態系の保護や、農業を始めたい人の相談にのったり。結果としてその土地の稲作の持続可能性が担保されるようになる。

今元気なローカル酒蔵の多くが、山梨のワイナリーのように農業のパトロンとなり、それが結果的に里山の水田の景観の守護神となる。発酵文化がつくるのはおいしいものだけではない。コミュニティをつくり、美しい景観をつくり、人を呼び寄せるグッドスパイラルをつくるんだね。だからローカル発酵食品をおいしく食べることは、実はその土地の未来に寄与することでもあるんだよね。

おお、今回はとても„ソトコト的"な話ではないか!

発酵文化が景観をつくる。
発酵文化が景観をつくる。

 

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