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連載 | 体験にはいったい何があるというんですか?

熊本県南関町、狙う商圏は世界照準。竹の箸だけを作る会社の原動力とは【山崎彰悟・中屋祐輔対談】

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物や情報が簡単に手に入りやすくなった今、便利になっているはずなのに心が満たされず、どこか物足りなさを感じている人が多いように感じます。モノ消費からコト消費へと変わって行く中で、どんな体験をするかによって人生の豊かさや経験値が大きく変わっていくのではないでしょうか。今回は、熊本の南関町で竹のお箸だけを制作している「ヤマチク」第3代目・山崎さんのお話を伺いました。

目次

竹のお箸だけを制作する竹箸メーカー

ヤマチクの作業風景
ヤマチクの作業風景

中屋 山崎さんはヤマチクの第3代目ということですが、家業として竹のお箸を制作されているんですよね?

山崎 はい、熊本県の竹を使って、竹のお箸だけを制作しています。昔は竹のお箸を作っている工場がたくさんありましたが、今では全てを自社で担える日本唯一の竹箸メーカーとなりました。

中屋 色々と時代が変化している中で持続可能なものづくりをしている姿勢がとてもかっこよく感じます。「山崎さん=箸おじさん」という肩書きが定着していますが、何か理由があってその名前を付けたんですか?

山崎 元々は僕の友人が「箸のおじさんです」と紹介したのが始まりです。僕は箸を作っている職人ではないですし、経営者ほど固くはない。工芸の分野はお高く見られ過ぎている部分があるんですが、僕らが作っているのは生活雑貨です。古い技術を繋いでいくのは伝承工芸で、伝統はその時の最先端だと思っています。

ヤマチクの自社ブランド「okaeri」には「お箸の原点を食卓に届ける」というコンセプトがあり、いつもの食卓にそっと寄り添うお箸でありたいという想いを込めて、お箸の値段も高価にしないし、職人らしさを出さないことを常に意識しています。

経験や技術ではなく知識で勝負

対談の様子
対談の様子

中屋 okaeriのブランドを作った後、活動の幅に飛躍的な変化が見られましたが、その辺りはどう感じていますか?

山崎 僕は24歳の時に家業に戻って今6年目になりますが、初めに比べると大きく変化しているし、ここ2~3年で日本各地を飛び回るようになりました。人との出会いやブランディングを真剣に取り組んでいる事業者様とのお仕事が、僕らのターニングポイントになっています。

中屋 以前、熊本でお話した時に印象に残っていることとして南関町に戻られた際、毎日本を読んで経営について勉強されていたと伺いましたが、改めて当時のお話しを聞かせて頂けますか?

山崎 家業に戻った時は会社でも最年少、業界で言えば孫くらいの世代だったので、経験や技術はもちろん知識も無いわけです。経験と技術に関しては一生懸命時間を掛けるしかないけど、知識に関しては何とでもなると思いました。今まで培ってきたベテランの方々と張り合うには知識で勝つしかないと思ったので、まずは本を読んで知識を詰め込むところから始めましたね。

SNSでの発信が仕事に繋がって行った

ヤマチクの自社ブランド「okaeri」
ヤマチクの自社ブランド「okaeri」

中屋 ヤマチクさんのお箸は、東京でミシュランを取っているお店にも使ってもらっていると思いますが、どうやってお箸を見付けてもらえたんですか?

山崎 これは大きく分けて2つあるのですが、1つは「熊本の宝物グランプリ」の工芸部門でグランプリを頂いたことです。ただ、これが元でミシュランのお店にお箸が採用されたわけではないですが、グランプリを頂いたことで社員さんのモチベーションも上がったり、メディアや小売店からの問い合わせは増えたので、結果としてSNSでの認知が広がるきっかけになったと思います。

もう一つは、僕が素敵だなと思っているお店に「お箸を使ってもらえたら良いな」とTwitterで呟いたことが始まりです。そのお店の方と繋がりのある方が投稿をリツイートしてくれて、それがきっかけで盛り付け用のお箸を作ることになりました。今は食べる用のお箸を開発しているところです。

中屋 Twitterからそうやって広がっていったんですね。他にもSNSがきっかけになったことはありますか?

山崎 最近だと、ドラマで役者さんが盛り付けをしているお箸がうちのお箸で「これヤマチクさんのお箸ですよね?」という問い合わせが来ました。

中屋 みなさん手元のお箸を見ていたんですね。

山崎 お箸のことで困ったら山崎に聞こうという人が増えている気がします。お箸のことについては僕という間口がSNSで作れたし、箸おじさんのブランディングが結果オーライでした。

中屋 山崎さんが発信する度にみんなお箸を思い出すみたいな感じですよね。

山崎 僕にお会いした方はお箸を見るようになるんですよ。使い心地や口当たりとかを気にして下さっています。気付きを与えることは物を売るにあたって一番大事なことだと思います。

拠点は南関町、だけど商圏は世界

熊本県南関町の風景
熊本県南関町の風景

中屋 山崎さんの拠点は南関町ですが、小さな街であっても実績に繋げていくポイントはどういうところになりますか?

山崎 拠点は南関町ですが、商圏は世界です。例えば、南関町だけで仕事が完結するというのは人口も減っていくし縮退していきます。

僕らの場合、拠点は南関町ではあるけど日本各地や世界を飛び回っているので、チャレンジの幅がすごく広いんですね。それで得てきたものを地元に戻って工夫して発信したり、そこで評価されたものが街で評価されたりもします。

あとは、関係人口は人にしか紐付かないと思うんですよ。南関町は観光資源が特にないけど、僕たちが外に行って出会った人たちが南関町に来てくれることでも関係人口が増えます。新しく外から来る人たちがチャレンジできる環境を作っていくし、その一方で外に出て行って、こんなことがあったよって戻って来る人もいる。だからハイブリッド型の人材が出て来やすくなったんだと思います。

中屋 僕もそれはすごく感じるところで、リアルに会っていることが大事ですよね。情報が大量に溢れている世の中で、この人を紹介したいと思える感情が湧くことは、オンラインの世界だけでは難しいと思っています。

山崎 世界中どこでも繋がれるようになった時に、そこに行かないと会えない人や、リアルな場所に行かないとできない仕事というのは価値を持ちつつあると思います。

交流会に出るよりも目の前の人を大切にした方が人脈って広がっていくんですね。それは関係人口も同じで、目の前のお客様を大事にしたり、今目の前にある仕事をちゃんとやっていると僕らの仕事ぶりを知っている人が「ドラマで使われてましたよ」と言ってくれるんです。あとは勝手に広まって行くし、よりリアルが大事になってくると思います。

地域の活性化を目指すイベントを開催

「いす -1 グランプリ」イベント時の様子
「いす -1 グランプリ」イベント時の様子

中屋 そんな山崎さんですが、また新たな挑戦をしているみたいですね。

山崎 今は「いす -1 グランプリ」の運営をしています。元々は地域おこしのイベントとして始まって、事務椅子で2時間耐久レースをやるという内容です。

中屋 イベントを初めるきっかけは、南関町が椅子に深い関わりがあるからですか?

山崎 いや、全然関係ないです。これは全国各地でやっていて、商店街に賑わいをもたらすイベントなんですよ。南関町が九州初開催で、小さい商店街に約2,000人集まるイベントに育っていきました。

だけど、3年間の期限付き補助金が去年で切れてしまい、次は開催しないとなりました。「3回目を経て定着してきたのに、なんで今辞めるんだ」と思い、商店街の人たちに「規模を縮小してでもやりませんか?」と声を掛けたんですが、みんな返事はNo。じゃあ、僕が私費でやりますよと言って始めました。

結局お金は僕が準備したものの「来年はどうするの?それって補助金と一緒じゃない?」と妻に言われて、結局その人のお金に依存をしてしまっている状態だと気付きました。そこで僕が考えたのが、ワンコインスポンサーです。チェキで写真を撮ってそこにメッセージを書いてもらい商店街に貼って行きます。これなら誰でもできるし、商店街に写真を貼るので応援の見える化ができるんですよ。5,000円を100件集めるより500円を1,000件集めた方が街の活性化やファン作りにも繋がると思って始めました。

居心地が良い空間を作っていきたい

2月に行われる「いす -1 グランプリ」のイベントチラシ
2月に行われる「いす -1 グランプリ」のイベントチラシ

中屋 すごくキャッチーでユニークな言葉の響きが気に入っているんですが、「ばか、やろう。まだ本気出してないだけの君へ。」というコピーは誰が考えたんですか?

山崎 もちろん実行委員のみんなで考えました。田舎は失敗に不寛容なところがあるんですが、できることだけをやっても衰退して行くので「意味は分からないけど熱くなれたり、くだらないなと思いながらもやれることって必要だな」と思うんですよ。いすG-1グランプリに関しては、今の時点では点と点を繋いでいる状態ですが、長い目で見るとチャレンジできる場所や居心地が良い空間を作ることはすごい大事だと思っています。

「あの人のところなら挑戦できるよねとか、あの街なら懐が深いよね」と思ってもらえる環境を作るのは必要だと感じています。

山崎さんのこれからの挑戦とは

対談の様子
対談の様子

中屋 山崎さんは3年後、自分がどういう風に南関町に関わっているイメージがありますか?

山崎 本業で言うと竹のお箸に対しての意識を変えないといけないと思っています。お箸は日本の伝統文化と言われていますが、最終加工だけ日本で行っている状態です。そこにまず気付きを与えたい。

okaeriのコンセプトは原点回帰なので、竹のお箸に戻ってきてほしいし、人と竹の関わり方や本当の在り方に戻したいという想いを伝えていくのがここ3年間の目標です。

中屋 竹のお箸はもちろんのこと、それを取り巻く竹林や里山の環境が変化していることの情報発信や、お箸が製造されている現場を知ってもらうことも大切ですよね。

山崎 本当の持続可能性はものづくりに関わる全ての人たちの暮らしが、50年後も100年後も続いている状態なんですよ。誤ったmade in Japan信仰がもたらしてしまった代償に対して向き合うのが2~3年後だと思っているので、その時に正直に向き合ってきた人たちが報われると思っています。竹を切る商売の人が儲かる仕組みを作りたいし、魅力あるマーケットにしたいのが本業の目的ですね。

街で言うと、あそこに行ったら何か面白いことができると思わせたいです。特に観光資源や主要産業があるわけではないし、人と空間で魅力を創りだすしかないので、うちの会社が軸になって空間作りができれば良いなと思います。

中屋 仕事柄、様々な地域に伺うことが多いのですが、一見交通や宿泊が不便な地域でも都市と地域を繋ぐハブ役の人がいる地域はとても魅力的ですよね。そこでどういう暮らしができるのか、どんな体験をしながら生きて行けるのかが軸になってきている気がします。

山崎 羨ましい働き方ですねとうちの社員が言われるようになったらいいですよね。僕らに関わる地元の人たちもそうですが、そういう風に思われるようになると行ってみたい街になるんじゃないかなと思います。

体験には何があった?

日本全国に留まらず世界に目を向けて各地を飛び回ったりイベントを開催するなど、一見、点と点を繋いでいる作業をしている山崎さんですが、小さな積み重ねが結果として信頼や信用を生み出し、仕事の幅を広げて行くことに繋がっているように見えます。

目の前の仕事や目の前の人を大切にする姿勢、地方や街を盛り上げて行こうと自ら率先して動いている姿が徐々に認められてきて、周りを少しずつ変えて行っています。小さな体験の積み重ねが、自ら周りを動かす原動力となって共感を生み出し、さらに街の活性化に繋がって行くのではないでしょうか。

全工程を自社で担える日本唯一の竹箸メーカー、ヤマチクさんの今後に目が離せない思いです。
株式会社ヤマチク – 竹の、箸だけ。

文・木村紗奈江

【体験を開発する会社】dot button company株式会社

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