落合陽一×小川和也 | special | テクノロジーは、人間をどこへつれていくのか
2019.04.24 UP

落合陽一×小川和也 | special | テクノロジーは、人間をどこへつれていくのか

DIVERSITY

小川  見えているものは脳に直結しているので、脳が「シミュレーション仮説」のもとでハッキングされていたとすればすごいことだなと。

落合  僕の研究室で、触り心地、プロジェクションマッピング、VRゴーグルの実験をやっているのですが、人間って騙せちゃうんです。人間の感覚をごまかすのに必要な解像度も、意外と大したことはないんです。人間をハッキングするのは結構楽しいんですよね(笑)。

小川  解像度が高くなれば、現実とバーチャルの見分けがつきにくくなることは否定の余地がない。8Kくらいで随分リアルに感じられますからね。

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落合  以前手がけた作品なんですが、紙で印刷したしおりが10枚ほど並んでいて、そこに液晶パネルが敷いてあるんです。そうすると、本物とデータの判別ができなくなります。ガラスケースの中に紙で並んでいるしおりと、データで並んでいるしおりがあって、紙とデータの見分けがつかないんですね。ルーペで見て初めて区分けができる。ルーペで覗いて、RGBの点が見えるかCMYKの点が見えるかで初めてハッキリするという作品です。

小川  「人間の脳をハッキングする」というと恐ろしげですが、研究としてはおもしろそうですね。

落合  いずれやりたいと思っているんです。いまはデジタルネイチャーになりきる期間です。自分自身がデジタルネイチャーと化すまで、あと10年くらいはかかるかなと。それから先は、“人間を脱構築”するような研究をしたいですね。

小川  “人間を脱構築”するとは?

落合  人間の実在をハッキングして形を変えるような試みですかね。

小川  とんでもない試みですが(笑)、テクノロジーによって実現できるイメージは持てます。人間の実存って、微妙なところがありますからね。

落合  僕のツイッターって半分ほどBOTなんですが、読んでいる人の多くはBOTだと思っていないんですよ。

小川  「落合 BOT」と人間が楽しくコミュニケーションしている実態がそこにあると、本物の人間とBOTの差異って何? ということになるし、たとえBOTが相手だとしても楽しめているのであれば、それはそれでいいんじゃないかという感じもします。

落合  あれだけ楽しそうにやり取りしてくれると、人間って50パーセントくらいはBOT化しても成り立っちゃうんじゃないかと思うんですよね。

小川  「50パーセントくらいまではBOT化できる仮説」。なんだか、チューリングテストみたい。

落合  それくらいまでなら、「これは人間だ」と認識するのではないかなって。インターフェイスによって認識が規定される面があるので、その内側に半分くらいBOTが混ざっていても大丈夫かと。どれくらいまで、本当の自分を薄められるのか興味がありますね。

小川  ロボットや人工知能を相手にしても、人間同様の感情を持てることを示唆するような話ですね。恋愛や結婚の対象にまでなるのでしょうね。

落合  充分にありえますね。ちなみに、僕には秘書が何人かいるんですが、秘書からのメール返信でも、僕からの返信だと思い込まれることも多いんです。

小川  代理返信も落合さんの一要素になってしまっている現象ですね。誤認識といえばそれまでですが、そのメッセージをどのように受け止めるかは相手次第です。落合さんからのダイレクトメッセージだと思い込めるならば、ひとつの現実と化すと言えなくもない。

落合  人間は細分化されたものの集積で、そこにBOTや秘書のメールも交じっている。それが現実ですね。

小川  「現実の定義」については、一筋縄ではいかなくなるのだと思います。人間の眼から見ている世界って、あくまでも人間のフィルターを介した世界でしかない。動物の眼から見た世界というものがまた存在する。だから、人間から見える世界がすべての世界であると定義することは無謀だと考えています。

落合  そうなんです。人間の認識は視覚に偏っていますし、それが世界のすべてではない。他の生き物の見え方も感じ方も人間とは違うはずで。

小川  動物に限らず、コンピュータも人間とは認識の仕方が違うでしょうからね。デジタルネイチャーにしても、まずはその実在がある。それが人間にはどう見えるのか、犬にはどう見えるのか、魚にはどう見えるのか。それぞれ世界観が変わってくるはずで、「実存とは何なのか」という問いにもつながります。

落合  デジタルネイチャーは極めて実存的で、デジタルネイチャーという超自然が“実際に”あるんですよ。グーグルマップの上にもロッキー山脈は存在するし、自然環境の中にも存在します。

小川  デジタルネイチャーもまずは現実存在としてそこにあって、本質存在に対して現実存在に優位性を置くことで解釈できるところもある。実存主義的なんですよね。

落合  裏側にはデータの自然というものがあって、それだって実存ですからね。

小川  その実存が魚眼からだとどのように映るのかって、とても興味がわくんです。人間以外の眼からはどのように映るのか、そういう多面的な目線によって、実存としてのデジタルを立体的に考察できるのではないかと。

落合  それはおもしろそう。僕はデータのことを本質、バーチャルリアリティのことは実質、物のことは物質と呼んでいます。つまり、CGも本質でなければ、物も本質じゃない。本質はデータの集まりであって、それが物質という形式によって現れているだけなんだと。

小川  デジタルによるもの、例えばデジタルネイチャーにしても、先端ゆえに異物と捉えられる場合もあるでしょう。でも、それは人間における実存主義と同様、現実存在として肯定的に解釈することで新しい世界が見えてくると思うんです。

落合  実存なのに信じることができない面がありますからね。

小川  落合さんは、100年後の世界はどうなっていると思いますか。

落合  いまから100年前の社会を振り返ってみると、完全に電化されているわけでもなく、まだ蒸気機関で物が動いていたり、タービンや石炭の時代ですよね。映像は発明されているけどテレビ放送がメジャーではない。白黒のみでカラー映像はなく、ちょっぴりだけメディアの芽が生え始めたあたりです。ラジオがあって、新聞は刷られていたけど、携帯電話はないから離れた人同士がコミュニケーションをとることは難しい。いまは治る病気も、治らなかった。それから100年経って、地球の裏側にいる人とも瞬時に連絡をとれるようになった。通信と映像の恩恵をほとんどの人が受けられるようになり、人と人が通信とメディアでつながれるようになった。当時の人類にとってみると驚くべきようなことで。これから先は、一人ひとりに対してテクノロジーが勝手に発展していく世界になるので、いままでは一人の人間が一生かけて何かをやり遂げることが当たり前だったけれど、機械が歩み寄って人間をサポートしてくれたり、人間と機械の関係のバランスが崩れたりすると思います。テクノロジーが発展していく中で、自然観を再定義することも重要になります。

小川  いまの労働をテクノロジーが補完してしまうことは間違いないけれど、必ずしも新しい仕事で人間の時間が埋められていくわけではない。人間に余剰時間が生じたときに、人間は豊かに生きていくことができるのかは難しい。仮にベーシックインカムのような制度が充実して、ハンナ・アーレントの『人間の条件』でいう「労働」「仕事」「活動」の人間の3条件を満たせなくなった時に、何が起こるのかなと。

落合  そこはなかなか難しい問題で、テクノロジーの力で何らかのプラットフォームを構築し、働かなくてもそこで莫大な利益を得られる人が現れる一方で、働かざるを得ない人も残るとは思うんですね。先進国には効率的に短期間で稼げる人がいて、途上国には一日中労働しても充分に稼げない現実がある。権利とシステムによって利潤を守れる場所と、それを守れない場所に分かれます。後者ではベーシックインカムを用意できないし、労働時間も減少しない。テクノロジーによって労働時間を短縮できる環境においては、投資や趣味に時間が使われ、生活を便利にする発明も増える。そうではない環境のほうにそれらの製造工程が託されて、労働をすることになるんじゃないかと。

小川  それによって新たな格差が生まれ、その鬱屈が新たな形の紛争を起こしてしまうのではないかと懸念するのですが。

落合  起こりかねませんよね。この構造の中で、残念ながら貧富の差は拡大するでしょうから。余裕があって、発想がおもしろくて、テクノロジーによって新しいものを作れる人は富を得られる。それができない人との差は広がり、争いが増えてしまいます。

小川  すでにその変化の入り口に立ってしまっていると感じます。

落合  日本には貧富の差を防ぎたいと考える人が多いと思うんです。生存者バイアス的なことを主張する人も少ない。そのような美徳がこの国では成立しているから、テクノロジーによる格差問題を埋めていく立場になると。

小川  新しい価値観が、人間、社会に求められますね。きっと、いまの基準では100年後には耐えられないと。現状の資本主義もとっくに古びているでしょうし、国の概念も大幅に変わっている。

落合  ある特定の目的のために人が集まるということはよくあることで、それがたまたま国です。仮想通貨も一般的になっているでしょうが、そもそもお金は人類が発明した最もバーチャルなものです。マテリアルとして存在できないからバーチャルに一度変換して、バーチャルなものが毎日変化している。為替が揺れ動くことも極めてバーチャルな話で。バーチャルというものはどこに属してもよいものだから、仮想国家に税金を納めることもある。人間が仮想国家に属することは普通になるんじゃないでしょうか。バーチャルではアメリカ国民だけど、日本には仮想ビザで入国している。「どちらもバーチャル申請なんです」みたいな。日本に自由に滞在できる分、払う税金は周りの人より2パーセント高いんだけど、福祉はアメリカからバーチャルに提供されるし、どれだけ日本にいても追い出されたりはしない。土地と国家は切り離されるようになるでしょう。

小川  100年後には、テクノロジーによっていまの国家とは違うネットワークが成立しているだろうし、まさに土地とは紐づかない。その時には、そもそも仮想という言葉も適用されていないでしょうね。

落合  すべてが現実ですからね。

小川  いまの「仮想」と「現実」の区分は完全に過去のものとなっていて、本質、実質、物質、それぞれが再定義されているはずです。

落合  実質的、フィジカルには日本にはいるけど、アメリカ国民ですというような人がいてもいいと思うんですね。このエリアは自由に出入りしていいけど、その隣には「出入りに税金がかかります」というエリアがあったりして、ETCのようなもので管理するんです。全人間にIDと電子マネーが付帯され、電子国籍がある状態で、滞在も移動も自由になる。もっとボーダレスに人がつながり、居住できるようになったらいいなと。身体性が持っている結びつきを、電子の力で強化できます。

小川  人間同士の結びつきがいまより強くなるかもしれませんね。それによって、世界が一つになれる日が来ればいいなと。

photographs by Masaya Tanaka
text by Kazuya Ogawa

本記事は雑誌ソトコト2017年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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落合陽一

おちあい・よういち
1987年生まれ。筑波大学助教。メディアアーティスト。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。IPA認定スーパークリエータ。「三次元音響浮揚(ピクシーダスト)」で、経済産業省「Innovative Technologies賞」を受賞。2015年、米the WTNの「ワールド・テクノロジー・アワード」(ITハードウェア部門)において、日本から唯一、最も優秀な研究者として選ばれた。近著に『これからの世界をつくる仲間たちへ』(小学館)。

小川和也

おがわ・かずや
アントレプレナー/フューチャリスト。慶應義塾大学卒業。アントレプレナーとして独創的なアイデアで新しい市場を切り開き、フューチャリストとしてテクノロジーに多角的な考察を重ねて未来のあり方を提言している。人間とテクノロジーの未来を説いた『デジタルは人間を奪うのか』(講談社現代新書)は高等学校「現代文」の教科書をはじめとした教材に多数採用され、テクノロジー教育を担う代表的論著となっている。北海道大学客員教授。J-WAVE「Futurism」(毎週日曜21時~)ナビゲーター。

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