人が地域を選ぶのではない、地域が人を選ぶんだ。
田中、家を買う。
これまでは「移動=暮らし」という考え方で、常に風のようにできる限り物を所持しない暮らしが心地よかった。家を所持するなんてもっての外だった。だが、元々は東郷に移住することも絶対にないと思っていたし、家を所持し暮らすことも、まだ見えていないだけで、これは何かに導かれたうえでのことなのではと感じ、人生初のマイホームを購入した。その導かれた何かとはいったい……?
なぜ、田中は台湾から東郷に行き着いたのか。
いろいろと調べていく中で、東郷地区にある『普門寺』というお寺で驚くべきことを発見した。現在は廃寺になっているが、このお寺はどうしてか台湾で信仰の厚い海上安全の守り神・媽祖神が本尊だというのだ。さらに調べてみると、時は江戸時代、この寺を開いた空念上人は元禄3年(1960年)より若狭、近江、五畿内、そして薩摩、琉球まで行脚したそうだ。その際長崎の地にて、紅毛人(江戸時代のオランダ人・イギリス人の異称)の異国船の船首から媽祖神の像を譲り受けた。福井県で媽祖神が祀られているのはこの寺が唯一であるし、僕自身もここ東郷とは台湾をきっかけに出合った。空念上人のお遍路も然り、自分との共通点の多いこのお話を聞き、本来の土地の持つDNAに僕は導かれ移住したのではと思えてきた。実は人が地域を選んではいない。地域が人を選んでいるんだと思う。家の購入も何かに導かれるようにすんなりと進んでいった。
これまで常に台湾やアジア、そしてここ東郷にも風のようにやってくる“まれびと”の存在だった僕が家を持つことでこれまでに感じたことのない“重さ”は確かに加わった。しかし家を持とうが、これまでのように風としての動きは変わらずやっていく。そのうえでむしろもう一つの自分として新たな風を受け入れる「土」の存在にもなりたいと思う。この2つを足して「風土」と書く。そんな“両性”を持つ暮らし方をこれからは実践していく。
『普門寺』の境内に最後の住職のメッセージが残っていた。「地域という宝物を生かすも殺すも住民次第、他者には一時のこと」と書いてある。お金の「ご円」をベースにした暮らしであれば日本中どこに暮らしてもさほど変わらないように思う。言い換えるとそれこそが“地域という宝”を殺している状態。地域でその地域らしく暮らすとは、自分の衣食住の軸に地域との「ご縁」をどう捉えられるかだ。地域とのご縁を感じ、導かれた身と思うだけで暮らす景色は変わる。東郷と出合い、関係を持ち8年。住職のメッセージを守っていこうという「土としての責任」のようなものが心に芽生えてきた。
台湾の“ゆるさと”との今。
そんな中でも微住をとおして出合えた東郷以外の“ゆるさと”との関係は今なお続いている。台湾・高雄の六龜という地域に住む徐盛暘さん(愛称:阿勇)とその家族。彼らはこの地でお茶屋を代々営んでいる。3年前の夏、高雄微住の際にここで微住をさせていただき、翌年の夏もふるさとへの里帰りのように再訪した。あれから行き来ができなくなりしばらくお互いSNSやLINEで連絡を取り合うことが続いたが、今年のお茶が出来上がったと先日阿勇のつくった台湾茶が届いた。
少しずつ荷物が片付いてきた家の居間で、届いたお茶をいただくことにする。あの日の六龜も同じようにスコールのような雨、夕方雨が止むとリビングで無口なお父さんがお茶をサッと淹れてくれた。あの味だ。目をつむるとあのときと同じような微風が心地よく吹き、六龜での微住を思い起こす。今改めて思う、“ゆるさと”の存在は自分自身の財産だ。だからこそコロナが明けたら、もちろんアジア微住を続けるし、今度は自分も一地域の受け入れ側として微住者にとっての“ゆるさと”をつくっていきたい。
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