「マス」の漢字、「鱒」をスラスラと書ける人はきっと少ないだろう。そして、彼らの生態を詳しく知る人はもっと少ないだろう。
片や「サケ」の漢字、「鮭」をほとんどの人が書けるだろうし、川で生まれて海に下り、産卵で川に戻ってくる……というその生態を知る人もおそらく多いことだと思う。
さて、ぼくの人生を狂わせたのは世間でメジャーな鮭ではなく、マイナーな鱒である。なぜ、冒頭でこの2種の魚類を引き合いに出したかというと、この両者が系譜上とても近いところにいるからである。そして、多くの共通点と、不思議な相違点があることから、この2種の分類は非常に曖昧で、結論が出ていない点が興味深い。
まず、流線形をした独特の体形が似ている。見た目で言えば、胸ビレと腹ビレはそれぞれ左右2枚ずつ持ち、背ビレ、尻ビレ、尾ビレは1枚ずつ、という点まではほかの魚類と同じだが、両者とも1枚の「脂ビレ」なるものを背ビレと尾ビレの間に備えている。これを持つ魚は稀有なため、とても特徴的と言えるだろう。
そもそも両者共に「サケ科」に属する家族のような存在だ。ちなみに、英語で鮭のことを「Salmon(サーモン)」、鱒のことを「Trout(トラウト)」と言うが、両者とも日本語のカタカナになっていて、日本では時に間違った使い方がされるため、それが余計な混乱を呼んでいる。
鮭の一生を簡単に解説すると、一般的には川で孵化して、しばらく暮らした後、ある一定の大きさになると海に下る。海で成魚まで育つと、また生まれた川に戻ってきて、そこで産卵。そこで親魚の命は尽きる。
鱒はどうかというと、彼らが流れのある川で産卵し、孵化するところはまったく同じ。さらに砂地にメスが卵を産に落とした所に、オスが精子をかけるという受精方法まで同じだが、鮭と違ってそのまま淡水域で一生を過ごす点が決定的に違う。
この相違点から、鮭は「降海型」、鱒は「陸封型」と呼ばれている。一般的には、降海型の鮭が、長い長い年月の地殻変動によって、陸(淡水域)に封じ込められた者たちが鱒となったと言われていたが、種としてどちらが古いかは、未だに論争が続いている。鱒こそが「本源型」であると主張する学者たちの見解は、種の生存のために豊富な餌を求めて海に下った鮭こそが「進化型」であるという。
ただし、この一般論に当てはまらない種族もいる。例えば、鮭に属する欧州の「アトランティックサーモン(大西洋鮭)」は、一生のうちに川と海を何度も往復し、鱒のように死ぬまで毎年、川で産卵活動を行う。「ヒメマス」はその名のとおりに鱒だが、鮭のごとく、産卵は一生で1回きり。
さらにややこしくさせているのが、言語によって呼び名が違う点だ。北海道にも生息する「カラフトマス」は、英語では「ピンクサーモン」と呼ばれる。産卵が一度切りという点を含め、これは属性としては鮭と言い切っていいだろう。なお、カナダやアラスカに生息する世界一大きな鮭ということで有名な「キングサーモン」は、日本の環境破壊が進む前、古くは北海道の河川にも遡上していたが、彼らは「マスノスケ」と名づけられていた。
ちなみに鮭と鱒の起源はどこかという研究にも決着がついておらず、ずっと信じられてきた北米説から、最近はアジア説が主流になりつつあるという。その中にはなんと、日本海起源説もあるからおもしろい。ぼくは日本人だから、最後の学説についロマンを感じてしまうが、ぼくが生きている間に、ぜひ科学的な立証がなされることを願う。
このように、区分も起源も曖昧で、謎だらけな彼らだからこそ惹きつけられてしまうのはぼくだけだろうか。次号では、さらなる混乱を呼びつつも、ぼくを魅了する驚くべき生態について書いてみたいと思う。