奈良県生駒市に暮らすミュージシャンの吉田田タカシさんが2022年8月に立ち上げた「トーキョーコーヒー」は、「東京」とも「カフェ」とも関係のないプロジェクト。では、いったい?
『MITERI』のリノベーションから、「トーキョーコーヒー」は生まれた。
吉田田タカシさんは奈良県生駒市にある『MITERI』で「トーキョーコーヒー」を開催した。『MITERI』は、吉田田さんの声がけで集まった大人が廃屋をリノベーションしてつくり続ける遊び場。「トーキョーコーヒー」は大人が楽しむ活動で、『MITERI』での開催を皮切りに今、全国330か所に広がっている。一方で、1998年に「つくるを通して生きるを学ぶ」をテーマに創業したアートスクール『アトリエe.f.t.』をフランチャイズ制にしてほしいという声が全国から届いていたが、子どもたちと接するための独自のメソッドが必要で、全国に広げるのは簡単ではないと吉田田さんは判断。教育の専門性を必要としない気軽な形で子どもたちと過ごせる大人が主宰者となって活動する「トーキョーコーヒー」なら可能だと考え、創設した。
新型コロナウイルスが蔓延し、外出が制限されるなど、息苦しい社会となっていた当時、自分にできることを考えた吉田田さんは、「『MITERI』でリノベーションを楽しみませんか?」とSNSで発信。すると、大勢の大人たちが集まった。害獣除けのネットを張ったり、石垣を積んだりして楽しく汗を掻きながら廃屋を整備した。リノベーションを続けていると、「学校に行っていない子どもを連れてきてもいい?」と相談を受けた。「チェーンソーや焚き火など危険なものだらけで、大人は作業に夢中で子どもにかまえないけれど、それでよければ」と答えると、1人、2人と子どもも来るようになった。
子どもは親のスマートフォンでYouTubeを見たり、ゲームをしたりして過ごしていたが、やがて大人に交じって焚き火に木を焼べたり、脚立に上ったり、子ども同士が喧嘩までするようになった。
夕方、まちの銭湯へ出かける道中、大人たちは「幸せを感じる」と笑顔で口にした。「一軒の廃屋をリノベーションすることでこんなにも癒されるのか。何なんだ」と吉田田さんも笑った。と同時に、大人が汗を流し、楽しんでいる場は、子どもにとっても最高の環境だということに気づいた。子どもは放置され、「学校に行きなさい」などと誰からも言われない。そんな『MITERI』の雰囲気から、「トーキョーコーヒー」は生まれた。
この一年で拠点は330か所に。
大人同士が対話し、学び合う場所。
「トーキョーコーヒー」で、大人が楽しくアップデートする!
MITERI
カンファレンスとオンラインサロン
拠点活動
不登校の子どもも参加。まずは親が楽しむことが大事!
文部科学省によれば不登校の児童・生徒は29万人以上だが、吉田田さんは、「それが問題なのではなく、正解ばかりを求める”正解信仰“や”偏差値偏重“の社会の無理解が問題なのです」と指摘する。「子どもを無理に学校へ行かせようとする親の気持ちもわかります。僕の子どもも不登校の時期がありましたから」と親に理解を示す一方、「ただ、不登校を悲観して親が涙を流したりしている姿を子どもが見たら、『自分のせいでお母さんが苦しんでいる』といっそう自分を追い込んでしまいます。ですから、まず親が楽しく過ごすことが大事なのです」。
その実践の場として、「トーキョーコーヒー」は立ち上げられた。登校拒否に対して軽やかに向き合おうとアナグラム(言葉遊び)で名づけられた。「親が楽しんでいる姿を見たら、『お母さんが笑ってる。自分が不登校でも大丈夫なんだ』と子どもは安心するはずです。安心したら自信が芽生え、主体性が出てきます」と吉田田さんは親の意識の変革、さらには社会の大人全員の意識の変革を促す。
「トーキョーコーヒー」は参加するだけでなく、研修を受けて主宰者となり、開催することもできる。何をするかは主宰者の自由だが、吉田田さんは料理、編み物、野菜づくりといったものづくりを薦める。「一緒に何かをつくると早送りで仲よくなれるので」とのこと。そして、「1000か所つくりたい」と意気込む。大きなムーブメントになれば、未来が変わるプロジェクトになるかもしれない。
吉田田タカシさんの、まちをワクワクさせるローカルプロジェクト論。
ローカルプロジェクトが注目されている理由は?
しばらく前から、ローカルプロジェクトが注目されています。その理由は、「社会は暮らしの集合体」だということを、みんなが再認識するようになってきたからだと思います。
明治期の近代化が始まってから150年間以上、みんなは「産業こそ社会」と考え、特に第二次世界大戦後の日本は経済的な豊かさを追い求め、工業化に邁進しました。何事も合理化、無駄なものは排除。秩序やルールを重んじ、そこからはみ出す人も無駄なものとして社会から排除されました。すべての人が社会を構成している存在のはずなのに。
子どもや女性もそう。子どもは学校を卒業して就職すると一人前の「社会人」と呼ばれます。女性、特に主婦は、経済に直接寄与しないとして一段低い立場に見られました。子どもも女性も社会にとって大事な存在なのに。
産業一色で突き進んだ結果、日本のGDPはアメリカに次ぐ2位(今は4位ですが)となり、経済大国として世界に名乗りを上げました。その豊かさを享受しながら僕らは大人になったので親世代に文句は言えないのですが、立ち止まって考えたとき、得たものも大きいけれど、一方で失ったものもあることに気づいたのです。経済的な豊かさだけでは人は幸せになれないということに気づいたのです。『MITERI』をリノベーションする大人たちの目の輝きを見たら、それは明らかでした。
失ったものというのは、暮らしです。ローカルに残っていた日本人の暮らしを見つめ直し、体験したとき、「社会は暮らしの集合体」だったことを多くの大人が思い出しました。豊かさの本質はローカルにあったのです。
そこで、ローカルを拠点に何かをやろうとする人たちが現れ、プロジェクトを通してローカルの暮らしから大事なものを学び始めたのです。長くローカルの暮らしをつくってきたのは女性たちだったので、プロジェクトでは女性の視点も重視されました。
失ったものを取り戻しながら、“螺旋状”に上っていこう。
ローカルには、「ようわからん混沌としたもの」もたくさんあります。町内の寄り合いに行ってうだうだしゃべったり、日曜の朝早くから眠い目を擦りながら溝掃除をしたり、葬式の準備でよその家に上がり込んで襖を外して回ったり。どれも1円にもならない仕事ですが、代わりにローカルで暮らす豊かさも与えてくれます。近所の農家が野菜をお裾分けしてくれたり、困ったときに助けてもらったり。ローカルではお金を挟まなければいけないものと、挟まなくてもいいものがあるということも学びます。
そんな「ようわからん混沌としたもの」は都会では排除されます。何をするにしても、どんなサービスを受けるにしても、都会ではお金が介在します。だからでしょうか、都会から来た「トーキョーコーヒー」への参加者は、子どもが誰かからポテトチップスを1枚もらっただけで、母親は「どの人がお母さん?」と子どもに聞き、子どもが指差す女性のところへ走っていって、「すみません。うちの子がポテチをいただいたそうで」と不要な礼をわざわざ言いに行くおかしなやりとりが見られたりするのです。
ただ、ローカルプロジェクトから学ぼうと言っても、「昔はよかった」と近代化する前まで時計の針を巻き戻そうという気はありません。失ったものを取り戻しながら”螺旋状“に上っていくのが、懐かしいような新しいような次の時代に進んでいけるよい方法だろうと思います。多くの人がローカルから学んだ結果、今やローカルの価値観や生き方が主流になり、僕らの意識もずいぶん変わってきました。地域の子どもたちに読み書き算盤を教えた江戸時代の寺子屋のように、人の成長を促し、本質を見抜く目を養える。そういう場が、ローカルプロジェクトのような気がします。
「トーキョーコーヒー」・吉田田タカシさんの、ローカルプロジェクトがひらめくコンテンツ。
Place:オフィスキャンプ東吉野
ここで、「トーキョーコーヒー」のミーティングをします。「よくわからないもの」を大事にしているスタッフと、無駄話もたくさんして、川で遊んだりしながら、泊まり込みでミーティングをします。僕にとって欠かせない場所です。
Website:Googleマップ
言語化できない感覚が湧き起こったとき、その感覚を自分自身で観察する時間が必要です。そんなときは山歩きや薪割りをしたり、Googleマップのストリートビューで妄想旅行に出かけたり。あちこち訪ね歩きながら考えごとをしています。
Book:ぼくらの七日間戦争
宗田 理著、KADOKAWA刊
ロックバンドも、「トーキョーコーヒー」も、僕の活動の根底にあるのが反骨です。その反骨の原点、自由のために戦っていいんだということを小学生のときに教わった本です。事あるごとに読み返して、少年時代の自分と会話しています。
photographs by Hiroshi Takaoka text by Kentaro Matsui
記事は雑誌ソトコト2024年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。