長谷川瀬那(はせがわ せな)さん(27歳)は北海道の道東、霧の摩周湖で有名な弟子屈町(てしかがちょう)出身。道東の拠点都市にある『日本赤十字社 釧路赤十字病院』で男性看護師として5年間勤務。2024年春から2年間、愛知県名古屋市にある『日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院』の「国際医療救援部」において、国際要員※として海外での医療活動に従事するための研修を積んでいます。
両方の病院から取材許諾をはじめとする協力のもと、医療機関で働く以外でも、世界に実践の場がある看護師の多様性や、将来を考える若い世代の多くの方に将来の働き方、夢を追い求め地方から自分で夢を掴まえにいく意義などを取材・紹介します。
※ 国際要員とは?
日本赤十字社では、国際救援・開発協力に従事するスタッフのことを「国際救援・開発協力要員(国際要員)」と呼んでいます。医師、看護師、助産師、薬剤師、理学療法士、臨床工学技士、臨床検査技師、事業管理要員など、多岐にわたる人材を対象として実施される研修を修了することで、国際要員として登録されます。このことが、海外の支援活動参加への第一歩となります。(日本赤十字社ホームページ「国際活動について」より抜粋)
一冊の本が世界を見据えるきっかけになった、少年時代
- 長谷川さんが看護師の道を選んだのは、いつの頃からでしたか?
長谷川瀬那さん(以下、長谷川) アニメが好きで、困っている人を助けられるようなヒーローに憧れがありました。小さい頃は目立ちたがりだった気がします(笑)。中学生の英語の授業で「Do you like soccer ?」というワードを覚えて、ALT(外国語指導助手)に言葉が通じたときは自分の中で衝撃だったのを覚えています。英語を話せば世界中の人と話せることをモチベーションに、世界で活躍したいと思うようになりました。今でも英語学習は学びというより、趣味の一部のような存在です。
将来の進路については、高校生の頃に読んだ一冊の本が、医療者を目指すきっかけになりました。『レンタルチャイルド ―神に弄ばれる貧しき子供たち』 (石井光太著・新潮社刊)という本です。母親が図書館で借りてきた本をちら見程度で読み始め、気がつけば夢中になって読んでいました。インドのスラム街の子どもたちが今日生きるための食事がなく、自分の四肢を切り落として乞食をする内容に衝撃を受けました。日本では考えられない内容で、いかに自分が無知かを思い知った本でもありました。
このような環境のもとで暮らす人たちへ、直接手を差し伸べられるような人材になりたいと考え、看護師を目指しました。日本赤十字社が人道危機下にある国に職員を派遣して支援活動をしていることを知り、自分の目指しているビジョンと近いものを感じて弟子屈町の地元高校を卒業後、北見市(きたみし)にある日本赤十字北海道看護大学に進学しました。
「自分の役割って、みんなきっとある」大学から社会人としてスタート
-大学での看護の学びで、印象深かったエピソードを教えて下さい
長谷川 大学の仲間はもちろん全員看護師になることを目指すのですが、その中でも「認定看護師になりたい!」「ドクターヘリに添乗するナースになる!」など、それぞれの仲間のバックグラウンドがあって最終的な目標が異なる点も看護師養成学校ならではかと感じました。
大学生活で特に印象深いことはバスケットボールサークルに熱中した中で得た学びです。わいわい楽しむというより、とにかく勝ちにこだわったチームでした。同じ目標をもって話し合い、どうすればもっと強くなれるかを夢中になって考えました。私はバスケットを高校生から始めて、お世辞にも上手といえないプレイヤーでした。ですが「点数を決めたり、派手な守備ができる人だけが上手なプレイヤーではなくて、このチームに足りない部分を理解して、それを補えるプレイヤーも絶対に必要」という仲間の言葉が自分の考えを深めてくれるきっかけになりました。
この経験を通して「たとえ一流じゃなくても、どの環境においても自分にしかできない役割が必ずある。それらを補い合い、社会活動に貢献できる人材を目指したい」という考えが自分の柱になっていると思います。
-卒業後は都市部ではなく、地元道東の医療機関を選んだ理由などはあったのですか?
長谷川 大学には本州や都市部から学びに来た同級生も多く、彼ら・彼女たちと同じく都市部に出ることも考慮したこともありましたが、大学在学中に就職相談会があり、世界で活躍したい夢を話したところ、地元の釧路赤十字病院から「もちろん応援するよ!」といっていただいたこともあり、地元に残る決心ができました。入職してからも「『日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院』に国際医療救援部という部署があって、そこで長谷川くんが学びたい分野を学べる環境があるよ」と、当時の看護師長さんから情報をいただいたのです。人との出会いにも恵まれ、ステップアップへの支援もいただき、2024年春から夢の場所で学ぶ機会が得られました。
これまで看護師としての基礎を学ばせてくれて、快く送り出してくれた釧路赤十字病院の皆さんには、本当に感謝しています。
世界での自分の役割を見据えて、環境を変えてリスキリングに励む毎日
-国際医療救援部のカリキュラムや、具体的な学びを教えてもらえますか
長谷川 2年間国際医療救援部に所属し、看護師だけではなく医師や理学療法士など、幅広い職種のスタッフのもとで学びます。研修生は私を含めて、今年度は2名在籍しています。
1つ目に、臨床研修があります。当院の病棟でスタッフメンバーとして働き、看護実践能力を培うことを目的とした研修です。海外の現場を想定した際に、赤ちゃんから老人まで、さまざまな疾患に対応できないといけません。これまでに経験したことのない領域の臨床現場で経験をしながら学習を進めていき、自分自身の経験値を積むことができます。私の場合、外科領域や手術室、産科・小児領域の経験が少なかったため、1年目のカリキュラムはそれらの領域をローテーションしながら学んでいます。1年で複数の領域を経験できる環境は本当に恵まれていると思います。もちろん、勉強も大変ですが、ローテ先の患者様や共に働くスタッフの方々から「頑張ってね!」と言われることがモチベーションになっています。次年度は、三次救急や集中治療室での学びが主なものとなる予定です。
2つ目は国際医療救援活動です。現在、海外に派遣されているメンバーも居るので全員が揃うことはないのですが、現在当院の医療救援部には27名の派遣要員が所属しています。そのなかで毎週水曜日を国際医療救援活動日としていて、この日はメンバーが集い国際医療救援に関する英文抄読会を行ったり、日々の患者様との関わりがどうだったかを英語で振り返ったり、よりよい支援や看護について考える時間が設けられています。
また、国際医療救援部の活動を地域のみなさんや国際医療救援に興味のある方に知っていただけるように、地域で行われる催し物に参加させていただくこともあります。催し物に掲示するためのポスター作成なども自ら行っており、どのように作成すれば興味を持っていただけるか考えながら作成することで文章力や広報力も学んでいます。
-国際医療救援部の学びを終えたあとのイメージとしては、どうなっていくのですか?
長谷川 この2年間で日本赤十字社の国際救援・開発協力要員の登録ができるよう励み、修了後は釧路赤十字病院に戻ることになります。国際救援・開発協力要員への登録後は世界各国で起きている人道危機に対して、派遣時に少しでも現地の方々の力になれるよう学習を進めること、国際医療救援活動に興味のある学生や医療スタッフに、自身が学んできたことを還元することが私のミッションだと思います。
私が日本赤十字社の国際救援・開発協力要員スタッフとなれば、釧路赤十字病院で初の要員登録となります。北海道全体でも数名程度の登録者数だと聞いています。日本赤十字社の国際救援・開発協力要員の存在は、まだまだ全国的に知られていません。特に地方では全くと言っていいほどです。「地方で暮らす感性を持った長谷川くんだからこその視点で伝えることができる」と、期待する声もいただいています。
大自然のなかで生まれ育った視点があるから伝えられること、分かることが必ずある
-世界を視野に学びを続ける長谷川さんが、地方で将来を模索し学んでいる人生の後輩たちへ贈る言葉などありませんか。
長谷川 高校生の頃、地方に住んでいることで経験できていないことがたくさんあるんじゃないか?とネガティブに感じたことはたくさんありました。しかし、素敵な仲間に出会って「どの環境に置かれても、自分にしかできない役割が必ずある」という考えを信じて前に進みました。その結果、さまざまな方の協力があって、自分の学びたいことを学べるチャンスをものにできたと思っています。自分がどこにいたとしても、自分が夢中になれるものを見つけられていないと、せっかくの仲間や環境を活かせないと思います。もっとポジティブに捉えるなら、地方にずっといたことで「たくさん学ばないと追いつけない! 追い越せない!」というハングリー精神が身についていたのかなと思います(笑)。チャンスは待つのではなく、掴みにいくものです! 私も釧路に戻っても、まだまだチャレンジを続けるつもりです。
日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院 国際医療救援部のホームページhttps://www.nagoya2.jrc.or.jp/development
日本赤十字社 釧路赤十字病院のホームページ
https://kushiro.jrc.or.jp