高地のブータンの暮らしとともにあるヤク、そして歌。映画『ブータン

高地のブータンの暮らしとともにあるヤク、そして歌。映画『ブータン 山の教室』

 1972年、第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクによって、GDP(国内総生産)ならぬGNH(国民総幸福量)を挙げる政策が提唱されたブータン王国。以来、半世紀、時代の追い風もあり、半ば独り歩きした感もある“世界一幸福な国”というスローガンを、伝統と現実のはざまに生きる彼の地の人びとはどう受け止めているのか。写真家で放浪者でもあるパオ・チョニン・ドルジ監督は、世界の秘境と呼ばれる地が直面している課題を描いてゆく。


 安定した職業に就けという祖母の勧めで、学校の教師になったウゲン。だが、オーストラリアでミュージシャンになることを夢見ている彼の関心は、仲間とバーで飲むこと、歌うことに向いている。学校関係者から呼び出された待合室でもヘッドフォンを着けたまま、やる気のなさをあからさまに見せる彼は、教官に命じられ、ブータン北部のルナナ村へと赴任する。



 マイクロバスの到着地には、村から迎えに来たミチェンがいて、彼を宿へと案内する。翌朝、荷物をロバに載せると日暮れまで歩き、集落(といってもあるのは1軒だけ)に寝泊まりする。あとはテント泊でトレッキングを続け、首都ティンプーを発って1週間。仰ぎ見ていたヒマラヤが目の前に現れると、ウゲンは“未来に触れることのできる”教師として、村人総出で迎えられる。


 電気も、(当然)携帯電話も通じない、同じ国とは思えない環境に投げ込まれた彼は、到着早々、ここで教師を務めるのは無理だと、村長とミチェンに告げる。旅の疲れで寝過ごし、級長のペム・ザムに起こされた彼は、正装して教室に入り、互いの自己紹介をすると、授業を休みにしてしまう。


 だが、自分にとっては何もないこの地で、教師を、授業を心待ちしていた生徒たちに強い眼差しを向けられ、ウゲンの気持ちに徐々に変化が生じる。ティンプーにいる友人に教材を送るように依頼し、授業のための準備をし、ギターを弾いて子どもたちと歌い、踊る。




 ウゲンがルナナ村での生活に馴染んできたことを、ふたつのものが象徴する。ひとつはヤク、そしてもうひとつが歌だ。ウシ科の動物ヤクは、乳からチーズを、毛からテントを、ハレの日には解体して肉を、そして糞は着火剤にと、余すところなく利用される。高地のブータン人にとって、ヤクは家族であると同時に財産でもある。また、ものや娯楽の少ない地で、歌は人々の暮らしと不可分であることを、映画は伝えている。


 ヤクの糞を集めに行ったウゲンは、美しい歌声を響かせるセデュに、「ヤクに捧げる歌」を習う。この歌が、のちに彼のブータン人としてのアイデンティティを支えるものになるとは知らぬまま、ウゲンは歌を自分のものとしてゆく。


 幸福は終点ではなく、旅の過程にあるものだと話す監督のことばが腑に落ちる、そんな作品だ。


『ブータン 山の教室』


岩波ホールにてロードショー、全国順次公開中。
https://bhutanclassroom.com/

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