日本人が大好きなラーメン。その歴史を、黎明期から現代にかけて紐解いていきます。まずは第一次ラーメンブームまで。
黎明期
古くは奈良時代(759年頃)に遡り、「正倉院古文書」によると「索餅が唐より伝来した」とあります。これが、麺が日本の食文化に流入してきた起点とされています。平安時代(790年頃)になると醤油も作られるようになり、醤油や味噌で索餅(麦縄)やほうとうが広まっていきました。鎌倉時代(1200年頃)になると、素麺やひやむぎの記録も出てきます。手延べ麺や切り出し麺の手法も、この時代に中国より伝来したといわれています。

室町時代である1488年には、日本初のラーメンといえる「経帯麺」という中華麺が文献に登場。水戸黄門が日本初のラーメンを食べたとされる1650年よりも、はるか昔の出来事です(なお、水戸黄門が食したのはうどんであった説が濃厚)。いずれにせよ、徐々に麺食が習慣となり、江戸時代になると蕎麦やうどんが人気を博すようになっていきます。これがラーメンの下地をつくる黎明期です。
第一次ラーメンブーム
鎖国をしていた1689年、長崎の出島に中国人居住区ができ、ここで初めて中国料理店が生まれたと言われています。ただし、これは中国人が同胞向けに作った店であり、一般向けの店としては1871年の日清修好条規の締結がきっかけだったそう。
ここから中国人が日本で事業を行うことが可能になり、横浜や神戸に南京街が形成され、屋台や店が次々とオープン。遂には1910年に日本初のラーメン専門店とされる「来々軒」が創業(実際には当時既に幾つかのラーメン店が営業していたとされています)。11時~23時の営業時間で1000食以上も出るほどの人気だったそうです。当時のラーメンは一杯6銭。かけそば3銭、カレーライス7銭くらいの時代の話。これこそが第1次ラーメンブームです。

1920年頃からはラーメン屋台の貸し出し業もあり、チャルメラを拭いて街を流すラーメン屋も多くいたとされています。日清戦争や日露戦争を経て、中国からの引き揚げ者や移民も増え、ラーメンは全国区に。こうしてラーメン文化が育まれていったのです。しかし当時はまだラーメンという名は無く、南京そば、支那そばと呼ばれていました。
(後編に続く)



















