世界でさまざまな困難に立ち向かう女の子を支援する国際NGO『プラン・インターナショナル』は、その制定にも尽力した10月11日の「国際ガールズ・デー」に先駆け、グアテマラの活動地を安田菜津紀さんと共に訪問しました。移民・難民問題に揺れる同国の現状と、そこで出会った女の子の歩みを、世界各地の情勢を見てきた安田さんにレポートしてもらいます。
メキシコとの国境を有する中米・グアテマラ。首都・グアテマラ市は高原地帯に位置する街で、ちょうど雨期の中休みということもあり、爽やかな気候が続いていた。カラフルな街並みと大らかな人々の姿、一見穏やかに見えるこの国は今、隣接する国々やアメリカとの間で揺れ動いていた。
昨年秋、ホンジュラスなどの中米諸国から、アメリカを目指す移民集団、「キャラバン」に参加する人々の姿が世界中で報じられた。そして今年7月、グアテマラ政府は、隣国から米国へ難民申請を希望する人々を、その通過点であるグアテマラ国内で待機させることを米国政府と合意した。果たしてグアテマラは、彼らの安全な居場所となりえるだろうか。国内の格差や不安定な治安を背景に、これまでグアテマラからも多くの人々が「キャラバン」に加わってきたのだ。密入国の斡旋業者たちは貧困層の家族たちを、「アメリカには”夢“がある。でっかい家だって買えるんだ、この生活から抜け出せる」と誘い出す。支援者の男性は、グアテマラ国内にも残る、難民、移民への根強い反発の声を懸念し、こう語る。「グアテマラにはふたつの顔がある。キャラバンの集団には手を差し伸べても、一人一人が道端で物乞いをする姿を見つけると、通報するんだ」。
私は、住宅地にひっそりとたたずむ移民女性の救済施設を訪ねた。その施設の一部は、『プラン・インターナショナル』の支援で運営され、若い女性や、幼い子どもを連れた母親たちが暮らしていた。不安定な道のりを歩んできた彼女たちは、性暴力の被害を受けたり、性産業関連の仕事を強要されたりと、深く心に傷を残している場合も少なくない。彼女たちにとって、法的地位を安定させることはもちろん、精神的な安らぎを得ることが不可欠なのだ。
施設に暮らす17歳のマリアさん(仮名)は、隣国・エルサルバドルから単身で国境を越えてきたという。「私の叔父はギャングの中核にいました。両親は彼と縁を切っていましたが、私は叔父を悪い人だとは思えず、交流を続けていたんです。けれども次第に、私もそのギャング集団に巻き込まれそうになり、彼らは両親に悪いことをしろと命じるようになって……」。ギャングに加われば、待っているのは墓場だけだと、彼女はうつむきながら語った。両親に昼食代としてもらっていたお金を貯め、そのなけなしの貯金を斡旋業者に払ってここまでたどり着いた。
彼女の腕にはびっしりと、リストカットの傷跡が残っていた。両親と連絡は取り合っているものの、ギャングの脅威が残る限り戻れないと思うと不安は尽きない。彼女が作った粘土細工には、「常につきまとっている」という影の姿が浮かび上がっていた。
それでも彼女は今、幼い頃からの夢であった医師を目指し、薬学の学校に通っている。元々難民申請という仕組み自体を知らなかった彼女は、グアテマラでの手続き完了を待ち、法的に安定した立場で滞在や就労ができるようになることを願っている。「結果はまだ、分かりません。それでも申請をするということ自体が、生まれ変わったような気持ちでした」。
同施設ではすでに、難民認定を受け、ここで職業訓練を受けた後に就職した人々もいる。グアテマラに限らず、移民、難民の存在を「負担」ととらえる存在はいまだ少なくない。けれどもどんな人でも学びの機会さえあれば、自立し、共に社会を築く人々になりえるのだという視点を忘れたくない。
「フォトジャーナリスト 安田菜津紀が出会ったグアテマラの女の子たち」トークイベント&写真展
https://plan-international.jp/girl/idg2019