インドネシアから私たちの元に、コーヒー豆が届くまでには、現地の生産者を信じ期待することで、少しずつ紡がれてきた、40年分の信頼がありました。
トラジャとは、キリマンジャロやマンデリンなどと並んで世界的に知られるコーヒー銘柄のひとつで、インドネシアのスラウェシ島が原産だ。トラジャは絶滅した幻のコーヒーとされていたが、40年前にキーコーヒーが復活させた。キーコーヒーといえば、来年で創業100周年を迎え、コーヒー製造・販売だけでなく、インドネシアで自社農園も運営している、日本では老舗の企業だ。
コーヒー業界は、ジュエリーやチョコレートといったそのほかの業界と同様に、個性あるスタートアップ企業が出現し始めている。彼らは、フェアトレードをはじめとした生産者への尊重や、生産環境まで考慮する姿勢を、既存企業に対する優位性として打ち出している場合が多い。一方で、大手企業が手がけるコーヒーと聞くと、安定した品質の豆を大量に確保するために、システマティックに生産されている印象だろうか。しかし、実際はそういうわけでもない。キーコーヒーが作る『トアルコトラジャ』は、日本人がインドネシアに渡り、40年をかけて少しずつ構築されてきた、人と人との関係の上に成り立っている。
7月某日のペランギアン出張集買所。ここは、トラジャ地区の数ある集買所の1つで、6月〜9月の収穫のハイシーズンには、週に1度、キーコーヒーの現地法人『PT.TOARCOJAYA』(以下『トアルコジャヤ社』)が、生産者からコーヒー豆の直接買い付けを行う場所だ。『トアルコジャヤ社』で扱うコーヒー豆の内8割は、生産者や仲買人から買い付けされたものだ。
この日も販売登録をしている近隣の生産者は、朝早くからコーヒー豆の詰まった麻袋を持ち寄っていた。頭に麻袋を載せて1時間歩いてきた女性、バイクに載せて運んできたという裸足の男性ほか集まった生産者は総勢50名以上に及んだ。毎週集買現場に立ち会うという『トアルコジャヤ社』取締役の藤井宏和さんは、「今日もたくさんの人が売りに来てくれてよかった」と安堵の表情を浮かべた。というのも、ここにいる生産者は、『トアルコジャヤ社』と専売契約を結んでいるわけではないため、集買日を知らせたところで、絶対に売りに来てくれるという確証はないのだ。
「海外からだけでなく、インドネシア国内からもトラジャコーヒーへの注目は高まっていて、多くの買い手が参入しています。コーヒーが唯一の現金収入源という生産者も多いので、より高い金額で買ってくれる会社が現れれば、そちらに売る人は当然出てくる」としたうえで、「いい豆に対してきちんとした対価は支払います。それは大前提。ですが、一時的に市場平均を超えるような高価格をつけたとしても、今度はこのコーヒーの買い手がいなくなってしまうから、続かない。意味がないんです」。
だからこそ、売買以外の部分で、生産者と信頼を紡ぐ努力を怠らない。持ち込まれた豆にナンバリングをして品質を細かくチェックし、一人ひとりに栽培方法や選別方法のアドバイスをする。指導を受け生産方法を改良する中で、家の隣の空き地に片手間で栽培していたレベルから、数ヘクタールまで農地を広げ、コーヒー専門の生産者となった者もいる。
「自分の作った豆がダメだというフィードバックは一度もない。それが誇りだよ」という、生産者マルクス・タンディさんは、2001年にコーヒー農家へと転身した男性だ。「自分の作ったコーヒーはすべて、ここの集買所で売っている」と話してくれた。ほかではなぜ売らないのかと聞くと、笑ってこう答えた。「苗の育て方から豆の洗い方や乾かし方まで、藤井さんたちに教えてもらって、いいコーヒーが作れるようになったんだ。それに、いいコーヒーを作っていることをちゃんとわかったうえで買ってくれるから」。
生活のためにコーヒーを作っているマルクスさんからすれば、1円でも高く売って現金を手に入れたいという気持ちが本音のはずだ。しかし改善を重ね、いいコーヒーを作り続けている自負があるからこそ、金銭とは別の喜びとして、努力に対する理解や評価への喜びが芽生えつつあるのかもしれない。それは間違いなく、40年間絶え間なく、この場所でいいコーヒーを作ることに真摯に向き合い続けたからこその、兆しだ。
藤井さんは「理想かもしれないけど……」と言ってこう明かしてくれた。「いつか、生産者がコーヒー豆の生産に誇りを持ってくれる時が来ると信じています。だって、コーヒー作りって格好いい仕事じゃないですか」。