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100年以上の歴史あり。「学生服」の出荷全国1位はどこでしょう?

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日本では多くの中学・高校、場合によっては小学校でも着用する学生服。物語や歌詞などにも登場するように、学生生活の思い出には欠かせない存在だ。セーラー服や学ラン、ブレザーなどのタイプはもちろん、現在ではデザインも多様化している学生服だが、日本一生産している県はどこ?

目次

70%近いシェア!学生服の出荷日本一は岡山県 

日本で一番学生服を出荷しているのは、繊維産業がさかんな岡山県。現在では全国の70%近くの学生服を岡山県内のメーカーが生産しているという。なぜ岡山で学生服が多く作られるようになったのか。岡山県が発行している冊子「おかやまのせんいvol.3」、「岡山県アパレル工業組合」のホームページなどを参考に、その歴史を紐解いていく。

岡山県にはよく知られている学生服メーカーの本社も複数あり、とくに工場は倉敷市児島玉野市といった、瀬戸内海に面したエリアに多い。この地域で繊維産業が始まったのは江戸時代から。塩気に強い綿花が児島などで広く栽培され、真田紐や小倉織が起源といわれている。かつては足袋の産地として知られ、その後、学生服やジーンズ、ワーキングウエアなどのアパレル製品などの製造に発展した。

100年以上の歴史を誇る岡山県の学生服製造

日本の制服のはじまりは明治時代にさかのぼる。1879年(明治12年)に華族学校(現・学習院大学)で海軍士スタイルの制服や女子はバックスタイル洋装の制服が採用され、以後、次々に制服が制定される。その後、岡山県での学生服製造がはじまり、発祥は諸説あるが1918年(大正7年)に児島の角南周吉氏がはじめたとされ、2018年(平成30年)に100年を迎えた。
大正時代には足袋の生産で日本一になったが、昭和に入り服装の洋装化とともに、第一次世界大戦以降は足袋の需要が激減、足袋の裁断・縫製の技術がそのまま学生服に活用され、生産がよりさかんに。太平洋戦争の戦中戦後は学生服の生産そのものが縮小したが、1947年(昭和22年)に教育基本法・学校教育法が制定され、岡山でも学生服生産が再開。合成繊維の登場や高度経済成長の波にのり生産量はさらに拡大し、1963年(昭和38年)には児島の学生服は生産量1006万着と史上最高を記録した。

昔の学生服
(左)学習院制服のモデルとなった海軍中将の軍装(昭和初期頃)と、華族女学校一期生が卒業時にそろえて誂えたドレス。(右)岡山県でつくられた初期のもので、現存する小倉織学生服(右は霜降り)。写真提供:株式会社トンボ  

流行や時世を反映し学生服も進化 

1980年代には高校を中心にブレザー化へのモデルチェンジが進み、学校別制服も一般的に。平成に入るとDCブランドの流行が学生服のデザインにも波及し、より多彩になっていく。
環境問題が注目されるとともに、1998年(平成10年)にはペットボトルによる再生ポリエステルのリサイクル学生服の採用が始まり、翌年には岡山県でも「岡山県アパレル産地環境ビジョン」を策定、地球環境に優しいエコ学生服が誕生する。
このようにトレンドや時世を大きく反映してきた学生服だが、ここ数年注目されているのが、生き方の多様性に対応した、所謂“ジェンダーレス制服”だ。岡山県に本社をおく学生服メーカーに話をきくと、「スカートとスラックスを自由に選択できる学校が増えています」(菅公学生服株式会社)や、「そもそもどの制服を買うかを生徒が選べる仕組みが採用されている学校もあります」(株式会社明石SUC)とのこと。

女子のスラックス
女子のスラックススタイル 写真提供:菅公学生服株式会社
現代の学生服
本来の男子制服をAタイプ、女子制服(スカート)をBタイプ、女子制服(スラックス)をCタイプとし、自由に選択できる制服。写真提供:株式会社明石SUC

また、“ジェンダーレス制服”という呼び名についても配慮が必要だという意見も。「ジェンダーレス制服という表現は使用せずに、利便性(例えば防寒性が高いなど)を重視した制服であることや、選択は自由であることを表現していくことも大切です」(株式会社トンボ)

 

岡山県で学生服がつくられ始めて100年以上。技術も素材もデザインも、時代のさまざまなニーズに対応して進化を遂げてきた。少子化に加えダイバーシティやコロナ禍による学校生活の変化など課題は尽きないが、この先も子どもたちが楽しく快適な学生時代を送れる学生服を生み出し続けてもらいたい。  

▼取材協力
岡山県アパレル工業組合
株式会社トンボ
菅公学生服株式会社
株式会社明石SUC

※タイトルイメージ画像:写真AC

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