人の成長を応援したい。悩みもがいた自分だからこそできるサービスを。

連載 | 「自分らしく生きる」を選ぶーローカルプレイヤーの働き方とは | 12 人の成長を応援したい。悩みもがいた自分だからこそできるサービスを。

街ごとにコミュニティを形成するSNSアプリ「PIAZZA」や、子育て支援施設の運営を行うPIAZZA株式会社に務める吉澤さん。ただなんとなく過ごしてきたと語る吉澤さんが変わったきっかけや、大人になって見つけた成し遂げたいこととは。お話を伺いました。

「なんとなく」から、主体的に変わって行った自分


北海道の釧路市に生まれました。道東の小さな町です。3人兄妹の真ん中ということもあってか、空気を読んでバランスよく立ち回るような子どもでした。特に問題も起こさないし、怒られることもありません。自分で言うのもなんですけど、なんでもそつなくこなすようなタイプです。逆に言うと、自分で考えて熱意を持ってこれをやりたいと言うこともありませんでした。


小学生から高校生まで何かに情熱を傾けることのないまま、なんとなく地元で日々を過ごしました。キャビンアテンダントに憧れがあったので、高校卒業後は英語を学べる東京の大学に進学。大学でも特に何かに打ち込むことはなく、「大学は通過点だから、早く就職したい」と考えていました。しかし、いざ卒業する頃になると就職氷河期で、そもそもキャビンアテンダントの求人がありませんでした。仕方なく「受かればどこでもいいや」という気持ちで就職活動をしました。


何社か受ける中で、自分を一番必要としてくれていると感じた会社がありました。面接をしているときに、入社したらチャレンジしてほしい業務やイメージを伝えてくれ、道を示してくれたんです。自分を必要としてくれていることが決め手となり、入社を決意。入ってすぐに秘書課に配属されました。


秘書課での仕事は楽しかったです。秘書の仕事をしていると、会社全体の動きがわかるんです。たとえば、優先順位をつけて社内アポイントを調整する業務では、各部署の状況や社長と話したい内容を共有することになります。細かいところまではわかりませんが、全体の動きはだいたいわかる。そこに面白さを感じていましたね。責任があることにやりがいも感じ、仕事に邁進していました。


苦しみが解消された営業と退職の葛藤


秘書の仕事は楽しかった反面、苦しさもありました。「社長がどう思うか」という判断基準で物事を考えなければいけないので、自分自身で判断して実行できないんです。誰かが作った事業を聞いて整理していくだけで、結局自分は事業を作っていないことも苦しかったですね。


プレーヤーになりたくて、営業に異動させてもらいました。営業として数字を追いながら新規事業の開発も行いました。両方をこなすのは大変で、辛さもあったんですよね。それでも、楽しかったんです。新しい事業を考えているとき、アイディアを試しているとき、うまくいくかどうかいつもワクワクして最高でした。


とあるメーカーと手を組んで新商品を開発した時は、作って、PRをして、販売するところまで全部担当できました。PRのために自分で原稿を書いて業界紙に載せることもありましたね。新しい商品を作って広めることで、その商品が多くの人に求められていく。これが私にとってのやりがいでした。実際に自分が携わった商品が売れていく姿はもう最高でしたね。営業の仕事に打ち込むことで、秘書時代に感じていた苦しみは解消されていきました。


営業の仕事に取り組むうちに、段々と上を目指す気持ちが芽生えました。「この会社で、例えば役員になることってできるのかな」なんて話をしていたとき、ある同僚から「それは絶対に無理だよ。そうなりたいならベンチャーしかないんじゃない?」と言われました。自分が満足するためには自分でやるしかない、そう思わせられる強烈な一言でした。この言葉を聞いた時、自分は裁量のある仕事、責任の重い仕事に挑戦していきたいと思っていることに気がつきました。


一方で、子どもが欲しいという思いもありました。仕事を続けながら子育てをすることも考えましたが、今の働き方のまま会社に居続けるのは難しいだろうと感じました。このまま居ても責任の大きな立場につけることがないのはわかっていましたし、子どもに関わる仕事をしたいという憧れもあったので、退職を決意しました。


出産を機に考え直した自分の生き方


専業主婦になり、妊娠中には保育士と食育の資格を取得し、自分の時間軸で動けることにウキウキしていました。でも、無事に子どもが生まれて1歳になる前に疑問を感じました。「息子は成長しているのに、自分はこのままってどうなんだろう」。何かしたいけど何もできない、先の見えない焦りでした。


なにかやることを見つけようともがいて、アンケート調査の回答やブログの執筆、訪問型のベビーシッターを個人でやったりしていました。


ベビーシッターとして様々な子どもたちを見ているうちに、自分が子どもの頃に母が毎日食事を作ってくれていた記憶が蘇りました。その記憶が、親に愛されているという自信に繋がっていることを感じたんです。子どもが親の愛情を感じて成長するためには食が大事だと気づき、食の事業を始めました。34歳の時でした。


「忙しくても作れる子育て料理」をコンセプトに、自宅で料理教室を一人でやることから始めました。ブログで発信するうちに取材が来たり、手伝いを申し込んでくれる人たちが出てきて。だんだんと賛同者が増えてきたので、食育のイベントをやろうと思い立ちました。


イベントを思い立ったのは、自分の子育てが始まった時、誰も知り合いがいなくて、大変な思いをしたからです。イベントを通じて地域コミュニティを作り、ママたちの孤独を無くしたいと考えました。さらに、「子どものために、この街を地元にしてあげたい」とも思いました。子どもにとっての地元を作るためには、家族が地域と繋がって、支え合える人間関係を築く必要があります。子どもの成長を願い、地域コミュニティを必要としている人が、この街にはきっと多いと思いました。


地域コミュニティの形成を目指し、食育イベントの開催を続けていきました。もっと賛同者を集めたい、企業の協賛が欲しいと思い、自治体のピッチコンテストのようなものに出たんですよね。このとき、同じ出場者として、ITを使って地域コミュニティを形成しようとしている矢野という男性と知り合いました。


話をしているうちに、「お互いツールは違えど、求めているものって地域のコミュニティだね。目指しているところは一緒」という話になり、矢野が創業したばかりだったPIAZZA株式会社にジョインしました。


人の成長を手助けしていきたい


現在は、PIAZZA株式会社でVicePresidentとして事業全体を見ています。PIAZZAは地域の人々が支え合えることを目指して生まれた会社。地域SNSのエリア展開をするデジタルコミュニティ事業と、子育て支援施設などの運営を行うリアルコミュニティ事業の2つを基軸を展開し、ファミリー層はもちろん、シニア層や商店の人、行政など街のみなさんが繋がり楽しく暮らせるためのサービスに注力しています。


たとえば、地域SNS「PIAZZA」は、勝どきや豊洲、二子玉川など、狭いエリアに特化して情報を交換することができるサービス。新しいお店やイベントの情報を共有したり、いらなくなったものを譲り合ったりすることができます。また、子育て支援施設は地域に根差す拠点として、リアルのコミュニティになっています。デジタルとリアルの両軸でコミュニティへの参加を実感してもらえます。


これらのサービスは企業や行政と手を組んで、現在15エリアで展開しています。関東近辺が中心ですが、東北や関西にも範囲を広げていて、全国に拡大していく考えです。


また今後は、求人サービスにも力を入れていく予定。例えば出産や転勤を機に退職されたり、子どもがいるので働きたいけど働けないという状態のママたちが、日中だけとか月末だけなど、スポット的にでも仕事ができるようにしたいと考えています。勝どきの子育て支援施設も、今は地域のママさんたちで運営しているんです。働けなかったママさん達が働ける場所を得て、仕事を通してどんどん成長していく。そんな姿に刺激を受けますし、尊敬できる仲間と働けることに言いようのない嬉しさを感じます。


すごくいいのが、働くことによって稼いだお金で子どもたちに習い事をさせたり、ご自身の趣味を楽しんだりして、ママさんたちがとても輝いていることです。そして、地元でお金を使うことが多いので経済の地産地消もできているんですよね。コミュニティを作った結果、地域経済が豊かになっていく。このモデルを全国展開していきたいですね。


PIAZZAは、自分で考えたことを試して事業化できます。今はそれにすごく満足しています。でも、最終的な責任を取るのって社長の矢野なんです。彼は私よりも何倍も考えているし、考えることの範囲も規模も違うんですよね。


だから私も、自分で判断できるレベル、物事への覚悟のレベルを上げていって、自分の責任を重くすることで成長していきたいです。私の人生のキーワードは「成長」。人の成長につながるような挑戦をし続け、自分も成長していきたいと思っています。

編集部ピックアップEDITER’S PICK UP