アフリカ・ケニアに届いたシューズは、現地にいるスタッフが必要とされているエリアの小学校などに持って行き、子どもたちに手渡しされています。貧困層といわれる人々が多く住むエリアで寄贈を行うのですが、貧困層が生まれるには、歴史的な背景があります。ジュジャという町でのシューズ寄贈レポートです。
ケニア・ジュジャでのシューズ寄贈レポート。
ケニアの貧困層といわれる人々には、そうなった歴史や事情がある。
たとえば、ケニアの主要産業の一つであるコーヒー農園の労働者の中には、1963年のケニア独立の後、土地のオーナーが代わったために強制退去させられたり、1980〜90年代のコーヒー豆の価格暴落による農園閉鎖で土地が切り売りされ、仕事や行き場を失い、貧困層に陥ってしまったケースがある。
首都・ナイロビから、高速道路で北東へ1時間弱走ったところにあるジュジャという町は、そんな事情から貧困層を生み出した地区で、多くの人たちが今なお貧しさと闘っている。中には家庭が崩壊し、何人もの子どもを抱えるシングル・マザーが明日の食べ物にも困り、地域の小学校を頼ってくるケースも少なくないという。
ケニアにいる「スマイル アフリカ プロジェクト」スタッフの井上清司から、ジュジャでのシューズ寄贈報告が届いた。
メッセージカードをとおした、子どもたちとの交流。
ジュジャにあるトゥイガ小学校は、ケニア独立前にコーヒー農園で働く労働者の子どもたちのために建てられた学校だが、今では地域周辺に暮らす貧困層の子どもたちが通う小学校になっている。
トゥイガ小学校を含む、ジュジャにある小学校を紹介してくれたのは、この地域の行政担当者の一人である、「マダム・エダ」と呼ばれる女性だ。
「学校に通うのは、生活することで精いっぱいの家庭の子どもたちがほとんどで、校長先生がマダム・エダに行政からの支援を相談していました」と、井上は話す。
そんななかでプロジェクトによるシューズ寄贈が行われた。段ボール箱に詰められたシューズを校庭で並べ始めると、大きな歓声が上がった。マダム・エダも「こんなに上等なスポーツシューズを贈っていただけるのですね」と、驚いた様子だったという。
集まった子どもたちも段ボール箱の中を覗き込み、シューズの配布が行われる頃には大きな瞳をキラキラと輝かせ、シューズを受け取って履くや、満面の笑みを浮かべていたそうだ。
シューズの中には、日本の子どもたちからアフリカの子どもたちへの手書きのメッセージカードが入っていて、「なんて書いてあるの?」と、井上に聞いてくる子どももいたという。
「大切に履いて、病気になったり、ケガをしないようにしてね」と書いてあることなどを伝えると、ニコニコしながら駆け出していったという。
マダム・エダからは「この小学校だけでなく、ほかにもシューズを待っている学校が多くあります。プロジェクトに心から感謝し、期待しています」というメッセージを受け取った。子どもたちに笑顏をもたらすシューズの力に感動していたそうだ。