まさに世界の自然の一部がここに集約、保存されているといってよいものだ。
僕が標本を語る文脈で重視するのは、さまざまな動物種の特徴を後世に残すことだけではなく、標本にまつわる歴史的ストーリーがある。例えば、「『国立科学博物館』には、21世紀初頭に活躍したモグラ研究者の川田伸一郎が、アメリカ合衆国ミシガン州で採集したホシバナモグラという奇妙なモグラの標本があるが、これは2001年9月に同国で勃発した同時多発テロの前日に入国した川田が、その事件も知らず呑気にトラッピングして捕まえたものである」といった具合だ。標本には採集地や採集年月日などの採集情報が不可欠だが、それに付随するストーリーがあればなお魅力的になる。
博物館の歴史が長いほど、標本数も多くはなるし、物語も多くなるのは至極当然。世界に名だたる『大英自然史博物館』ともなれば、その歴史は250年以上となるから、人の世代にして10世代弱の人物が関わることとなる。膨大なコレクションは哺乳類だけで50万点以上はあり、『国立科学博物館』の10倍だ。僕はこの巨大博物館に何度か足を運び、標本やその歴史資料を調査してきた。標本は世界中から集められており、まさに世界の自然の一部がここに集約、保存されているといってよいものだ。残念ながら滞在費がかかるため、調べた標本はモグラの仲間だけ。キャビネットが立ち並んだ収蔵庫にいるだけで、研究テーマが続々浮かんできそうな、そんな空間である。
標本の数ということだけで考えたら、僕がこれまでに集めてきたニホンカモシカの頭骨1万点以上とか、世界的に誇れるものは日本にもある。ところが「タイプ標本」という種の存在に関する歴史的証拠がどれくらいあるのか、ということにおいてはさすがにかなわない。僕が訪問したのは、アジアのモグラが続々新種として記載された19世紀に、インドやネパールにいたブライアン・ホジソンや、中国・台湾に滞在したロバート・スウィンホーといった「アジアモグラ学の父」とも呼べる人たちが収集・記載したタイプ標本をはじめとするコレクションを調査するためだった。それらは種の特徴を現在に残しているだけでなく、当時の標本作製技術までもが理解できる。さらに彼らの伝記を読めば、そのストーリーが標本の価値を高めてくれる。
現在国立科学博物館では特別展「大英自然史博物館展」が開催されている。この展示は同館のお宝収蔵物が初めて国外を巡回する企画なのだが、僕のような歴史好き人間にはたまらないのが、これら標本にまつわるストーリーが満載されている点である。モグラの標本は来ないのだが、僕がこのコラムでこれまでに書いてきたロスチャイルド、オーストンといった人物が関わった標本が来るので、このコラムの読者は展示内容の一部を先取りしているといえよう。展示の監修者として携わっていると、「僕は国立科学博物館にどのような歴史を残すことができるだろうか」、と考えさせられる。未来の研究者は、この「標本バカ」を読んで川田という男と彼が残した標本の歴史を垣間見ることになるのかもしれない。そう思うと下手なことは書けないな、と思いながら、連載6年目に突入する。